旅の僧は隠れキリシタンだった2020年06月05日 08:08

宮城県の白石ウーメンという乾麺の由来は江戸時代に、母親の看病をしていた地元の青年が旅の僧に作り方を教えてもらったということになっている。ではどうして旅の僧が乾麺の作り方を知っていたのか。

それが先週のNHKBS放送の支倉常長特集で解った。
常長は伊達政宗の命を受け、スペイン国王と貿易交渉をしたが、うまくいかず、キリスト教に改宗までしたが、その後、バチカンでは謁見を受けた。その時に同時に謁見を受けた3人の従者の一人が松尾太源である。
常長一行は約6年後に仙台に戻ってくるが既に伊達藩を含め日本はキリスト教禁制となっており、常長や一行は地元で蟄居を命じられた。それから数年後、松尾太源は九州長崎地方に隠れキリシタンが多数住んでいることを知り、九州に向け旅だったとのことである。
常長は仙台の西方約20kmの川崎町に住んでいたが、松尾はその南隣り、村田町に居を構えていた。そこから長崎まで行くには、まず、奥州街道に出る必要がある。仙台から南に延びた奥州街道と村田町から来る道が合流するところは現在の蔵王町宮で、さらに少し南下して白石城下に繫がっている。村田から白石までは約20キロメートルの道のりで、ちょうど大休止するには適当な場所である。
そこで、松尾はイタリア滞在中に仕入れた乾麺製造法をその青年に教えたのではないだろうか。当時隠れキリシタンは表向き仏教徒を装っていたのだから旅の僧に見えてもまったく不思議ではなかったということであろう。