コロナによる1年の自粛と時間への思い込み2020年12月22日 21:43

この1年、殆ど新しいことは出来なかった。成人してから最も移動距離の少ない1年だった。毎日が昨日の繰り返し、そんな感じの1年だった。
ただ、コロナ感染者の分析のために、ポアソン回帰分析という統計手法を齧ったのがわずかな新しい経験だった。
ポアソン回帰分析では、感染率が例えば人口密度に対し指数関数的に増大すると想定して相関関係を評価する。まるで人類の発展が時間に対し、指数関数的に増大すると想定するのと似ている。これが自然なのだろうか。
しかし、産業革命以前や鎖国の日本では毎日が昨日の繰り返しただと感じていたのではないだろうか。この1年の自粛生活が昨日の繰り返しのように殆ど進歩がないような日々であってもおかしくはない。単に数百年前に戻っただけである。進化が時間に比例するというのは単なる思い込みである。時間の経過に対して殆ど動きがなくてもおかしくはない。
ポアソン回帰分析においては、原因と結果の相関が直線的である必要がないことを学んだが、時間と進歩の関係も直線的である必然性はない。たまに停滞していてもそのほうが自然だということがこの1年で学んだことである。