都道府県別感染者数とポアソン回帰分析2021年02月05日 03:59

都道府県別新型コロナ感染者数のポアソン回帰分析を何度か実施した。(2020年12月11日など)
この統計分析モデルで使われるポアソン分布とは、2項分布(感染する確率と感染しない確率の2項)をn人に適用したモデルにおいて、感染する確率を非常に小さく、nを非常に大きくした場合の極限分布として得られるもので、希少事象に適用できるので疫学研究によく使われている。
では、都道府県別新型コロナ感染者数の場合、実際にはどう考えればいいのか。

ポアソン分布で前提としているのは、感染率が都道府県に拠らず一定ということである。
この場合、仮に47都道府県の人口がすべて同じであれば、感染者数も同一というのが決定論であり、統計論では、神のみぞ知る、或いは未知の条件の影響により、感染者数は人口が同じでも都道府県ごとに異なるが、その分布がポアソン分布に従い、その平均値が人口×感染率になる。
実際には、都道府県ごとに人口が異なるので、ポアソン回帰分析では感染者数を人口で割った値を対象に分析し、人口はオフセット項と呼ばれ、感染率に対する回帰解析結果を感染者数に戻すときに用いられる。
ところで、都道府県が1つだけだったらどうなるのか。
この場合には、データは一件だけである。その感染者数は人口に対しある値であり、それが単に観測された感染率だというだけで、分布というものはないことになる。しかし、それでも日ごとに感染者数は異なるはずで、それがポアソン分布すると考えることができる。
その場合、統計的な平均感染率λは、人口×日(複数の観測期間)という値(暴露量と呼ぶらしい)に対し、λ/日として定義しなおし、複数の期間ごと(複数の異なる一日でもよいが)の感染者数を対象に回帰分析を行えば得られることになる。

コロナウイルスの今後2021年02月05日 11:32

インフルエンザウイルスは元々シベリアのツンドラ凍土に冷凍保存されているが、渡り鳥が啄んで中国に運びニワトリ、豚、ヒトと変異しながら伝染する。
ツンドラ凍土には様々な遺伝子型のインフルエンザウイルスが保存されているので、地球温暖化により新たなウイルスが広がる可能性がある。

新型コロナはコウモリから拡散したらしいが、コウモリは飛ぶための心臓は駆動回数が多く、体温も高いために様々なウイルスに無症状感染することができる。

これらから2つの可能性が考えられる。

(1)冷凍食品が新型コロナ汚染され、全国に拡散する可能性。
(冷凍食品を大量廃棄した中国のニュースが思い出される。)
(2)高体温動物が感染し、ヒトに変異型をうつす可能性。
(体温の高いこともが無症状、感染しにくいということが思い出される。)

いづれもワクチンの効果がはっきりするまでは注意しなければならない。インフルエンザのように変異型別のワクチンが必要になる可能性もある。

自粛生活でのドパミンとやる気2021年02月13日 06:45

kyupin先生のブログによれば、やる気がなくなるのはドパミン放出の低下によるとのことで、ドパミン放出には旅行などによる心ときめく新環境の刺激が必要だそうだ。これは現行の自粛生活とは逆で、コロナ下での精神疾患の増加(といわれているようだが証拠はない)に関係しているのであろう。
では、自粛生活でドパミンを放出させるにはなにが有効なのか。心ときめく趣味などが自粛生活でできる人は幸運である。アウトドアなどが好きな人はかなりつらい。最近の若年層はゲームなど屋内の趣味で満足している(ように見える)ので適応できそうだが、渋谷などを見ているとやはり屋外での刺激を望んでいるようだ。
屋内でもっとも刺激的なものは何か。常識的には動物としての人間の本性に根差したもろもろであろう。しかし、これも独身者には難しい。また、飽きることもある。それが趣味ならばそれも幸せな人種である。
危険ではないが刺激的なもの、そのような矛盾した事物があるだろうか。
それは、人生を賭けた決断であろう。即ち、生き方を変えることではないか。他人の目や非難を気にせずに自分の価値観を最優先して生き方、生活のすべてを変える。これは刺激的でかつ物理的な危険性はない。実際には難しいが、コロナ禍では誰もが価値観を変えた生活を強いられるのだから、この際、政治的、社会的で世間の目を気にしない活動に乗り出すというのが一つの解であると思う。

差別発言と「the」問題2021年02月15日 07:18

マーク・ピーターセンさんの「日本人の英語」に書かれていたと記憶するが、「the」には話者と読者が了解している場合の名詞に使われるので、無知の「the」というものがあるそうだ。宇宙人の襲撃のSF映画で、誤解してロシアからの攻撃だと思いこんだ米国人がthe Russians comeとか言ったそうだ。
冷戦時代の米国民でも差別意識なしに、the Russians と言ってしまうのだから、女性が鉄のカーテンの向こうの人々だと思って生きてきたお方がthe Femalesと言ってしまっても仕方がないかもしれない。

しかし、冷戦はとっくに終わったし、genderに関係なく共生する社会となっている。

日本人は特に同質化が進んだ民族なので、同質でない人々をこの無知のtheでグルーピングしないと不安になり、自分の存在意義がなくなると思いがちである。当事者にとっては不愉快なこともおおいであろう。このような例は山のようにある。

the 大阪のおばちゃん
the 迷惑老人
the 若者
the サラリーマン
the 政治家
the マスコミ

しかし、しかし、言葉というものはもともと事象をグルーピングすることで抽象化し、効率的に意識を具現化、伝達するものなのである。どうしてもtheでまとめたような言葉が必要になる。

ではどうするか。すべてはその単語ではなく、どのような文脈でその言葉が使われたかで判断せざるを得ない。そういう意味で私は文章となっていないスローガン、キーワードの羅列、最近ではツイッターでの短い発言などはまともに聞かないようにしている。マスコミやCMで使われる何とかが重要だとか、何とかが良いなどという話もそれだけではあまり意味がないものと思っている。

老人暴走事故の起こるわけ2021年02月17日 07:03

 老人の暴走事故は勘違いによるものだが、ではなぜ勘違いが暴走につながるのだろうか。
 先日、ある駐車場でヒヤッとした出来事があった。隣に大型の車があり、その右側にバックで入った時である。ブレーキを踏んで止まろうとしたのだが、ゆっくり動いたままで止まらない。おかしい。故障したのか。その時、左の車がゆっくり前にでていることに気が付いたのである。パニックにならずに済んだ。
 この事象の逆を考えてみる。
 いま、駐車状態で、アクセルは踏んでいないと思って車が前進してしまったとする。そうすると、周りの車は止まっているが、自分の車だけがなぜかゆっくり前進しているように感じるのである。その結果、ブレーキをより強く踏んで止めようとする。だが実際にはアクセルをふんでいる状態なので止まらない。その結果、さらに、ブレーキ(実際にはアクセル)を踏んで止めようとする。その繰り返しで暴走事故は起こるというメカニズムである。

 この事象の防止のためには、最初のアクセルに足を載せないように注意することだけでなく、運転者の視界を広くすることが重要であろう。 一般に、老人は目が悪いし、視界が狭い。その結果、自分の車と周りの状況を正確に把握できないのである。車が動き始めているという初期の事象をすぐに認識できるようにしなければならない。それが勘違いでなく、自分のかすかな動作のためであると常に広い視野で周囲が見えるようにならないといけない。軽自動車では周りが大きな車で囲まれるとわずかにアクセルを踏んだだけで大きく動いているように勘違いしやすい。その結果、上記の状況に陥る。
 プリウスや軽自動車が視界が狭く、目線が低いことが暴走車になり易い理由ではないだろうか。