穢れと福島廃炉2021年03月21日 07:47

日本人は自然とともに生きてきたとの意識が欧米に比べ強いようである。これは、自然災害が多く、欧州での産業革命以来の自然を克服して文明化を図るという思想が育たなかったことによるものであろう。
また、穢れという自然のままの状態が一番だという思想もその流れから生まれたものであろう。
この前提で福島事故を見ると、廃炉にして更地にすることで穢れが回復するということになる。では、どこまできれいにすれば、穢れがなくなるか。
これが今朝NHKのニュースで取り上げられていた問題だろう。
しかし、実は照射能については完全な穢れなき状態には最初から存在していないかもしれないとの観点を含めて議論したほうが良いと思う。
実際、地殻には大量のウランやトリウム、カリウムなどの放射性物質が含まれており、温泉や地震のエネルギー源になっている。一方、福島で完全な廃炉を目指しても、放射性物質を消滅することは現在の技術ではかなり限られた量になる。それよりも、崩壊により自然消滅を待ち、自然レベルに近くなるまで、300年程度待つという選択肢が現実的かもしれない。
それには一つは穢れの思想を変える必要がある。自然は元から放射性物質で汚染されていたという認識である。確かにインドのケララ地方では福島での避難区域レベルの土地に何千万もの住民が生活している。このような思想の変換は長時間かかるだろう。
もう一つの問題は、そのような地域に住むこと、生産物を出荷することに対する心理的、金銭的負担に対する補償である。
これは知識の普及と統計データの調査、経済的補償の推進で対処するしかないであろう。

原子力発電での核分裂とは、簡単に言えば、地中の半減期10億年のウランを核分裂させて、ほとんどは半減期約3時間以下の核分裂生成物2個に変換する反応である。半減期と放射能は逆比例するので、強い放射能を持つことになる。しかし、半減期が短いということは、10年も経過すれば実質0になるはずである。即ち、核分裂生成物の中の半減期が比較的長い核種のみが問題になる。特にその中の揮発性の核種であるヨウ素-131(半減期8日)とセシウム-137(半減期約30年)が生成量も多く、主要な被ばく線源になりうる。半減期8日であれば、10年後には問題ないが、半減期30年のセシウムは多くが残ることになる。即ち、セシウムの沸点である670℃以下に燃料貯蔵領域の温度を保持することが最重要であろう。