パワハラと論争の境目はどこか? ― 2021年09月11日 06:21
報道によれば、某市長が、対立する某市議をパワハラで訴えているそうである。客観的な状況からすれば、政敵をパワハラという名目で攻撃していることになる。政治的手法としてはなかなか、うまいのかもしれない。
一般に、政治的であれ、技術的であれ、論争は立場の異なる人間同士の話し合いだから、パワハラと解釈することも比較的容易である。
パワハラ防止法では、組織で下位の立場であっても、その人間がいないと業務が成立しないような場合には、下位のものが上位のものに論争で発言した内容がパワハラと見なされることもあることになっている。
では、そのような、パワハラ的発言と論争との境界はどこにあるのだろうか。(パワハラと強い指示でも同じような問題はあるが、ここでは、棚上げしておく。)
厚労省のサイトの説明では、パワハラ防止法でパワハラと見なされる3要件は以下のとおりである。
(1)優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
(この中に下位のものによるパワハラもありうることが示されている。)
(2)業務の適正な範囲を超えて行われること
(単純化すれば、常識的な業務形態、時間、方法ということらしい。)
(3)身体的若しくは精神的な苦痛を与えること又は就業環境を害すること
となっている。
この中で議論になりそうなのは(3)の中の精神的苦痛という部分である。
普通に生きていても精神的苦痛はよくあることで、技術論争で負けても精神的に苦痛を感じる、例えば、恥ずかしいと感じたり、敗北感を感じたりすることがある。そこで慰められるのは、論争相手が自分を見下していないということが確認できる場合だろう。即ち、論争に負けた人間が、人格が全否定されているわけではないという感じられるその場の状況である。
即ち、パワハラと論争の差はその話し合いの中身による差ではなく、ましてや、技術レベルとか知識量とか立場の差ではない。
相手に対する尊敬、思いやりがある状況になっているかどうか、即ち、対象とする論点以外の点での状況と背景にある。
仮に尊敬できそうもない相手であっても、どこかに良いところはあるはずなので、政敵であろうと、見下したりしないほうがよいということだ。
ここでは上記の市長と議員でのパワハラ問題とは関係ないが、いずれにせよ、常に人間として個々人を尊重する必要がある。これは、たとえ罪人であったとしても同じだろう。
分かりやすく言えば、罪を憎んで人は憎まず、間違いは正すが人は尊重するという心構えでいれば、パワハラせずに論争ができるということである。
どうでしょうか。長文で申し訳ありませんでした。
一般に、政治的であれ、技術的であれ、論争は立場の異なる人間同士の話し合いだから、パワハラと解釈することも比較的容易である。
パワハラ防止法では、組織で下位の立場であっても、その人間がいないと業務が成立しないような場合には、下位のものが上位のものに論争で発言した内容がパワハラと見なされることもあることになっている。
では、そのような、パワハラ的発言と論争との境界はどこにあるのだろうか。(パワハラと強い指示でも同じような問題はあるが、ここでは、棚上げしておく。)
厚労省のサイトの説明では、パワハラ防止法でパワハラと見なされる3要件は以下のとおりである。
(1)優越的な関係に基づいて(優位性を背景に)行われること
(この中に下位のものによるパワハラもありうることが示されている。)
(2)業務の適正な範囲を超えて行われること
(単純化すれば、常識的な業務形態、時間、方法ということらしい。)
(3)身体的若しくは精神的な苦痛を与えること又は就業環境を害すること
となっている。
この中で議論になりそうなのは(3)の中の精神的苦痛という部分である。
普通に生きていても精神的苦痛はよくあることで、技術論争で負けても精神的に苦痛を感じる、例えば、恥ずかしいと感じたり、敗北感を感じたりすることがある。そこで慰められるのは、論争相手が自分を見下していないということが確認できる場合だろう。即ち、論争に負けた人間が、人格が全否定されているわけではないという感じられるその場の状況である。
即ち、パワハラと論争の差はその話し合いの中身による差ではなく、ましてや、技術レベルとか知識量とか立場の差ではない。
相手に対する尊敬、思いやりがある状況になっているかどうか、即ち、対象とする論点以外の点での状況と背景にある。
仮に尊敬できそうもない相手であっても、どこかに良いところはあるはずなので、政敵であろうと、見下したりしないほうがよいということだ。
ここでは上記の市長と議員でのパワハラ問題とは関係ないが、いずれにせよ、常に人間として個々人を尊重する必要がある。これは、たとえ罪人であったとしても同じだろう。
分かりやすく言えば、罪を憎んで人は憎まず、間違いは正すが人は尊重するという心構えでいれば、パワハラせずに論争ができるということである。
どうでしょうか。長文で申し訳ありませんでした。
最近のコメント