ワクチン忌避者と自由主義、全体主義2021年09月16日 08:54

 ワクチンへの不安感から新型コロナウイルスの接種忌避者が身の回りにも1割程度はいる。自由主義者なら、これは個人の自由として尊重されなければならない。一方、社会防衛という観点からは、できるだけ感染者を減らし、安定的な社会を維持するために、ワクチンに頼らなければならないのが現状である。これは社会防衛を主眼とする全体主義的発想である。両者のどのへんでバランスをとるのか。この問題が当面の日本での最重要課題だろう。また、これはあまり政治的立場には拠らない、与野党ともにワクチン接種戦略を推進しようとしているように見える。
 では、ワクチン忌避者をどう考えればいいのだろうか。
 アレルギーなど身体的理由でワクチン接種ができない人々も少数ながら存在する。そのような人々と同様に対応することはできるだろうか。即ち、全体主義的行動に容易には参加できない人々である。先の世界大戦時に、徴兵されたが、身体検査で落とされた人々がいた。また、思想的な理由で兵役拒否した人々もいた。当時、どのようにこれらの人々が社会で扱われていたのかを考える。
 身体的な理由で兵役に付けなかった人々は後方支援に回った。即ち、軍隊で言えば裏方作業である。同様に、コロナ禍で、ワクチンが接種できない人々の場合にはできるだけ対人接触を避けられるような仕事や環境で生活できるように支援することが考えられる。
 思想的理由で兵役拒否した人に対しては、戦争中は、社会的罰則によって対応していた。しかし、基本的人権として公共の福祉に反しない限り個人の自由を認める新憲法下では思想的理由でワクチン拒否をする人々も守られなければならない。即ち、ワクチン拒否は公共の福祉に反するかという課題に帰着する。確かに、ワクチン接種率が上がるほど感染者や重症者が減るというデータを見れば、ワクチン拒否は公共の福祉に反するようにも見える。しかし、この場合のワクチン拒否者でも、公共の福祉に反しない方法がある。それは、行動の自由の制限を課すことで、ワクチン接種を容認している人々や子どもなど未接種者への感染可能性を避ける行動をしてもらうことである。
 これは、社会的分断を進めることになるかもしれない。しかし、思想的な自由を認めるということは多少の社会的分断を認めるということであろう。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yokoyamashindo.asablo.jp/blog/2021/09/16/9423936/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。