スピノザ哲学と宗教教義の一解釈2022年08月20日 05:59

 スピノザは16世紀のオランダでユダヤ教会から異端者として破門になった哲学者である。
 彼は、著書エチカにおいて、神は根本原因と定義した。即ち、神とは何物にも影響を受けないものであり、宇宙のすべての原因にもなるものである。したがって、人間には自由意志というものは存在しない。
 私見であるが、一般の宗教には教義があり、キリスト教などでは聖書と称されている。それはスピノザ哲学に従えば、人間が書いたものであれば何者かの影響を受けたものであり、神が書いたものではないはずである。したがって、そこに書かれたものは神とは別の人間の解釈が必ず含まれている。
 ということは、聖書、または宗教の教義とは、誰かの解釈によるものであるから、何らかの世界の影響を受けた存在になっている、即ち、神そのものではない。
 人間は何かに救いを求めたい生き物ではある。宗教はその時に分かりやすい解を用意している。その教義を信じれば救われるということである。
 ただ、その前に、その教義はどこかの誰かが何かの社会状況の影響を受けて作ったものであり、神そのものを表しているものではないということをよく認識しておく必要がある。
 先日、散歩の途中住宅街で見かけた、冷菓を売り歩く二人の若い女性もどこかの団体の所属なのだろう。疲れを知らずに暑い中、通りすがりの人々に声をかけている。
 彼女たちが、誰かの指示で神の行為と信じてこれを行っているとしたら、熱中症のリスクも忘れないことである。即ち盲信することには、熱中症に限らず、人間が絡んだことによるリスクが必ずあるということである。
 信じるということに何らかのリスクがあるのであれば、そのリスクを客観視するのも人間としてとるべき態度であろう。
 このような態度を忘れずに、あらゆる問題に冷静に対処していきたいものである。

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