東京オリンピック、パラリンピックの開催方法2021年01月22日 04:14

新型コロナウイルスの感染拡大により東京オリンピック、パラリンピックは中止すべきだという意見が殆どになってきた。
この際、オリンピックの意義を再確認したほうがいいであろう。クーベルタン男爵が述べた通り、「参加することに意義がある。」である。また、「より高く、より強く、より早く」といったスローガンもある。
これをコロナと関係なく開催できればそれで良しとしよう。そういう発想ができ、開催可能であれば、日本は世界中の人々、アスリートから尊敬をうけるであろう。それこそがオリンピックを開催する名誉であり、財産となる。

では、その具体的な方法であるが、2つのポイントがある。
(1)参加者全員に金メダルを授与する。
これは1個10万として10億の予算で可能だ。大した金額ではない。
そして無意味な順位付けをなくすこともできる。
(2)リモート開催
世界中のアスリートから自分の最も良いと思うぱパフォーマンスの画像、動画をオリンピック委員会に送ってもらい、その著作権を確保する。
そのための、問題は2つであろう。
(A)団体競技、対戦競技をどうするか。
(B)選手の選定をどうするか。
このうち、選手選定については、各国のオリンピック委員会に任せればよい。今でもそうなのだから。
団体競技、対戦競技については、各競技団体の世界競技連盟に対し、個人のどのようなパフォーマンスがその競技の最も優れたポイントかを示してもらい、その画像、動画を例示する。

以上の方法をネットを使い組織化、運営すれば半年後には十分な映像データが組織委員会に集まる。それを世界中に発信すればペイするし、感動も得られる。そして、そのような世界的なイベントをコロナに負けず開催できた栄誉を日本国民、東京が得ることになる。

そのためにはスポーツ競技団体、アスリート、各委員たちのスポーツというものに対する意識の一大変革が必要だが、それが歴史をつくるということでもあろう。


パラリンピックは個人競技が多いのでより一層簡単に開催できるはずである。

因果応報か神の思し召しか2021年01月16日 07:25

コロナ感染に対する各地の人の話を聞くと、日本人は仏陀の教えである因果応報を信じているようだ。感染のいう結果には原因があるはずだからその人が感染したのはその人に原因があると信じているのだろう。
一方、キリスト教では神の思し召しとよく聞く。すべては神様が決めるという運命論を深いところで欧米人?は信じているようだ。だから、感染した人へのいじめはないのではないか。差別はあるかもしれないが。

因果応報という考え方は決定論である。一方、神の思し召しという考えは確率論と親和性があるのではないだろうか。

仏教が多民族国家であるインドでは広がらず、東アジアのような単一民族国家で広がったのも因果応報という考えに関係しているのではないだろうか。皆似たような人なのに、良いひともいれば悪い人もいる。その差を説明するのに、因果応報は都合がよい。一方、欧州やインドなどの多民族国家では、見た目も性格も様々だから個人間の差をわざわざ個々人の努力や行いにその原因を求める必要はない。生まれや家柄、運命などどうしようもないこと、即ち神の思し召しですべてはきまる。その人がコロナに罹るのも罹らないのもすべては運命であるという確率論的考え方である。

現在、我々が自粛として努力しているのも罹らないためではなく、罹る確率を下げるためであるーというこの差を皆が認識できるよう政府もマスコミもSNSもアピールすべきだろう。

コロナいじめを防ぐには、或いは病者やハンディキャップ者への差別も確率論的考えが浸透すれば日本でも無くすことができるのではないかと感染者数のポアソン回帰分析を行いながら考えてしまう。

ゾンダーコマンドと特攻隊2021年01月02日 11:30

NHKーBSでユダヤ人でありながらアウシュビッツで働き、生還した2人のユダヤ人の紹介をしていた。彼らの仕事は殺されたユダヤ人の死体処理である。彼ら収容所で働くユダヤ人たちはゾンダーコマンドと呼ばれていたそうである。
その中の一人の男の娘の話では、父親はいつも怒っていたが、当時のことは何も話さなかったそうである。もう一人は、当時の手記を書きながら、祖国を離れ、アメリカで復讐のために生きると言い、いつも優しく娘に接したそうである。
ある元日本海軍の零戦特攻隊員は、生き残ったが家族には殆ど当時の話をしなかった。特攻帰りと言われ、終戦で一気に変わった世間の戦争に対する風向きを一人受け、国だけでなく、国民にも裏切られた気分であったであろう。
そして誰も信じられなくなり、自分だけを頼りに冷たい世間の目の中で生きれば、ゾンダーコマンド帰りも特攻隊帰りも同じように人間不信になるのは不思議ではない。
彼ら自身がその不条理さを記録に残せれば、復讐の機会もあるだろうし、後世への教訓にもなるであろう。しかし、記録に残せず、深い心の澱とともに亡くなる人も多いであろう。
日本も様々な悲劇と事件を経験してきた。歴史の真実と関係者の心情を可能な限り記録に残すことが義務であり、人類の希望にもなるであろう。
以下は関係記録メモ。
http://yokoyamashindo.asablo.jp/blog/2019/12/09/9187148

一瞬の判断の重要性2020年12月27日 08:12

一昨日NHK‐BSで、シスパーレ登攀での中島健郎氏の落下とその直前のスクリュー挿入が効いて、悲劇を救った様子がリピートされていた。
オツルミズ沢でも同様のことがあったことを思い出した。私の不首尾でカグラ滝上部で日が暮れ、狭い落ち口で2人ビバークすることになった。先輩は薄暗い中、もっと広い場所が無いかと5メートルほど左側の壁を登って行った。その時、一瞬、体に重いものを感じた。このままでは二人とも滝から落下する。たしか、右側に滝の落ち口の水たまりがあったはずだ。水は冷たいけれど右側にうっちゃれば二人とも助かるはずだ。ーこれだけの考えをこの瞬間にできなかったなら、二人とも今は生きていない。これは偶然だろうか。
その当時、私は中性子の散乱反応の勉強をしていた。高速の中性子が水の静止した水素と衝突し、散乱されるのだが、衝突が正面衝突であれば、水素は遠くに弾き飛ばされる。しかし、互いにかするような衝突であれば、エネルギは分散され、中性子も水素も遠くには弾かれない。これを無意識にあの一瞬思い出したのではないだろうか。脳の働きは謎だらけだが、無限の可能性を秘めているようだ。
先輩が落ちたのは、アプザイレンでハーケンが抜けたとのことであったがそこはシスパーレとは違っていた。

コロナによる1年の自粛と時間への思い込み2020年12月22日 21:43

この1年、殆ど新しいことは出来なかった。成人してから最も移動距離の少ない1年だった。毎日が昨日の繰り返し、そんな感じの1年だった。
ただ、コロナ感染者の分析のために、ポアソン回帰分析という統計手法を齧ったのがわずかな新しい経験だった。
ポアソン回帰分析では、感染率が例えば人口密度に対し指数関数的に増大すると想定して相関関係を評価する。まるで人類の発展が時間に対し、指数関数的に増大すると想定するのと似ている。これが自然なのだろうか。
しかし、産業革命以前や鎖国の日本では毎日が昨日の繰り返しただと感じていたのではないだろうか。この1年の自粛生活が昨日の繰り返しのように殆ど進歩がないような日々であってもおかしくはない。単に数百年前に戻っただけである。進化が時間に比例するというのは単なる思い込みである。時間の経過に対して殆ど動きがなくてもおかしくはない。
ポアソン回帰分析においては、原因と結果の相関が直線的である必要がないことを学んだが、時間と進歩の関係も直線的である必然性はない。たまに停滞していてもそのほうが自然だということがこの1年で学んだことである。