選択式試験問題でのウッカリ回答ミスの防ぎ方2023年01月24日 10:47

 大学試験など計算機処理される選択式試験問題が最近は普通のようだ。
 困ったことに、この形式では、正しい記述ではなく、間違っているものを選べという設問が多い。
 
 人間心理として、正しいものを選択するのが習慣になっている。ウッカリすると間違っているものではなく、正しいものをチェックしがちである。(これまで数回やってしまった実績がある。)

 そこで、どうするか。

 紙があるとして、選択肢の番号を縦に書き、その右に順番に〇、×を書く。

この手間は大したことはないだろう。

 次に、おもむろに解答用紙にある×の選択肢番号にチェックをいれる。

 それだけでミスはゼロになる(はずだ)。

 人間の習慣はなかなか治らない。特に、試験のような時間に追われた状況では、うっかりミスが出やすい。

 上記のような段取りで回答することを習慣化しておけば、心理な余裕ができるので、うっかりミスを容易に防ぐことができる(はずだ)。

小林陵侑選手の強さの秘密ー自律訓練法?2023年01月22日 06:05

 スキージャンプWC札幌大会で、小林遼侑選手は2日続けて表彰台に立った。一日目は優勝、二日目は3位だが、共に2回目の大ジャンプによる逆転での表彰台である。
 ジャンプは一瞬のタイミングの取り方が結果を左右するので、心理が大きく影響するスポーツであるとはよく言われる。
 
 大倉山シャンツェは風が巻くため、良く競技が中断されるので、不安定な状況に選手たちが置かれることが多い。この予定通りに進まないというファクターが特に心理的な動揺につながる。

 小林選手はインタビューなどの応答を見ると特に心理的な安定性が強いと感じられる。常に平静で、気負いがまったくというほど見られない。その心理的な秘密を深堀してみる。

 気負いすぎる人の性格というものをネットで調べると、

 負けず嫌い、承認要求が強い、正確に予定通りに成し遂げたがる、といった、スポーツでは有利で必要な性格である。
 相手が人間ならば、このような気負い過ぎは多くの場合、有利に働く。
 
 しかし、これがジャンプでは裏目にでる。勝負の相手が、人間ではなく、刻々変化する、風や雪の状況など、自然環境なのである。自分では制御できない相手である。

 この場合、その状況に合わせて、自分が持つ最高のパフォーマンスを示す以外、最高の成績を残すことはできない。そして、そのためには、冷静に自分と周囲を見渡せる能力、即ち気負いがないことが必須になるというわけである。

 では、どのようにしたらそのような性格に自分を持っていけるのか。

 ネットでは、完全を目指すな、負けることもあると思う、他人から嫌われることも認めるなど、気負わない方法が掛かれているが、それでは、逆にスポーツでは勝負にならない。

 では、真の気負わない方法とは何か。

 それは、自律訓練法である。

 これは、ドイツのシュルツ博士が戦前に体系化した精神の安定のための自己訓練法であるが、禅の心理学的実践法ともいわれる。スポーツ選手が良く取り入れている方法でもある。あがり症の心理的な治療法としても使われる。

 手元に古い自律訓練法の本があった。河野良和著「自己催眠術」、氷川印刷、(1963)によれば、

 自己暗示により、身体、精神のリラックス状態を作るだけではなく、禅のような瞑想による無意識の開発まで可能と書かれている。当時は最初の東京オリンピックの直前だったが、自律訓練法がオリンピック選手の強化のためにも取り入れられていたことが記されている。

 小林選手も当然この訓練法はマスターしているはずである。そして、日本人選手の強みは、禅が子供の時からの宗教的な雰囲気の中で、無意識に体にしみ込んでいることであろう。海外選手にはない強みである。

 すべての成功の秘訣が自律訓練法にはある。

分かりにくい文章が良い場合もある?2023年01月18日 09:34

 受験生には無関係かもしれないが、教科書的テキストであっても分かりにくい文章がある。その要因は、用語の定義が不明確、接続詞がない、パラグラフかしていない、修飾関係に関わる記載が間違っているなど、主として文章術が未熟な場合である。

 このようなテキストが世の中には出回っている。これが、自習を困難にする要因でもある。

 では、このようなテキストは修正又は廃棄すべきものだろうか。

 分かりにくい教科書の利点を敢えて挙げると、

(1)じっくり読むようになる。
(2)どこが分かりにくいのか分析できる。
(3)その分かりにくい問題点を理解しようと他の情報ソースを調べる。
(4)その結果、理解が可能になることもあるし、情報量も増える。
(5)難しい問題に頭を使うので、認知症になりにくいかもしれない。

 勿論、欠点の方が多い。

(1)ストレスが溜まる。
(2)理解するまで長時間かかる。
(3)理解を諦めて、SNSで無駄な時間を過ごす。
(4)本を破りたくなる。
(5)ストレスで酒量と体重が増える。
(6)その結果、認知症と成人病になり易い。

 しかし、分かりにくいテキストの最大のメリットは、自分の知識レベル、文章スキルの確認ができることであろう。多少時間がかかっても食事や風呂の時間までその理解のために、潰すようなことにはならない。
 このような文章は書かないようにしようとか、別の情報を読んでこのテキストの筆者はこのようなことを言いたかったのかという収穫が大きいのである。

 何事も世界の現象の正しい理解というものはなか困難なものである。分かりにくいテキストを書く人は、一般に正解を求めつつ全体の理解ができないまま、思った通りに文章を連ねる人である。
 即ち、このブログの筆者でもある。他人のことには文句は言えない。

写教による勉強方法の勧め2023年01月15日 06:31

 写経の書き間違いではない。この場合の写教は、教科書を書き写すことを意味する。

 何度読んでも理解できない教科書は、鉛筆で書き写すことで理解できるようになるーという仮説である。決してパソコンやスマホに打ち込んではいけない。

 写経では、意味の不明な経典を心静かに墨で書き写すようだが、何となく理解できるようにもなるのではないか。

 それと同様、写教では、分からなかった教科書のテキストが何となく理解できるようになるのである。なぜなら、一字一句書くことで、著者が教科書を書いた際の心理状況が読者の心の中に再現されるのである。そのため、使用されている用語や文脈の相互関係に注意が向かうようになり、文全体の理解ができるようになる。

 これは、一度やってみる価値がある。時間はかかるかもしれないが、理解できないよりは百倍マシである。理解するために教科書や学習というものはあるのだから。

 なお、時間の節約のためには、写教の際の文字をできるだけ小さくすること、鉛筆の硬さは柔らかく、濃いもの(デッサン用の太目のシャープペン等)が良いようだ。これだと鉛筆を削る手間が無いので思考が中断されることもない。

 ボールペンは滑らかすぎて書いたという実感が湧かない。自動運転車のように運転した実感が湧かないのと同様で、著者の心境に近づくことが難しいのであまりお勧めはできない。

初夢2023年01月04日 05:29

ドアの向こうで知り合いたちが研究室のゼミの議論をしている。

中の一人の友人が、出て来て、「ちょっと教えて貰いたいことがある」と言って、遠くの方から私を呼んでいる。

僕も彼とはよく楽しく議論したことがあるので、喜んで行こうとした。

しかし、何かに足に挟まってなかなか彼の所に行くことができない。もがいているところで、目が覚めた。

昨年末の同窓会で、彼を呼ぶことが出来なかった。
彼は、3年前にがんで亡くなっていたのだった。

急に泪が滲んできた。


P.S.:その後、気付いたのだが、この夢を見た日は、彼の命日だった。
コロナもあって墓参りにも行っていなかった。
彼の方から来たのだろう。

昔、叔父から聞いた話だが、冬の蔵王で遭難し、仮死状態から目が覚め生還したあるスキーヤーが、夢の中で、花に囲まれた道の先から、亡くなった親戚たちがこちらにおいでよと呼び掛けられたが、振り切って戻ってきたと話したそうだ。

似たような夢の話である。

単独行が二人パーティよりいい場合2022年12月16日 21:43

単独での山行はしないよう、よく地元警察などの看板に描かれていることがある。では、二人パーティは望ましいだろうか。

昔、ある山で、男女二人パーティの遭難救助をしたことがある。岩場で女性が落石を受け、頭がい骨にヒビが入ったようで意識もうろうである。通りかかった我々が、何とか登山口まで下ろし、女性は病院に運ばれた。男性は警察に呼ばれ、1時間ほどで戻ってきたが、顔色が悪く、無口になっていた。想像するに、故意に石を落としたのではないかと尋問されたのかも知れない。

ドラマではそのような事もあり得る。確かにふたりきりなので、何が真実なのか証明は難しい。警察は疑うことも仕事のうちである。だが、幸い、彼女は一命は取り留めた。

もし、亡くなっていたら、どのような展開になっていただろうか。二人パーティが単独行より必ずしも良いわけではないという例である。即ち、事故らなければ、二人パーティの方が、単独行より安全だが、事故ってしまうと、社会的により難しい立場になり得るという事です。

県公安委員会は左折信号を右折信号より1秒遅れて出すべきだ2022年12月09日 06:14

 11月11日に下記の交通事故未遂についての記事を書いた。
「環状2号と横浜上麻生線の交差点である。夜7時であり、すでに暗くなっていた。私は環状2号の右折車線におり、右折信号がでたので、右折を開始したのであるが、その瞬間、交差する上麻生線側からバイクが飛び出してきて、目の前を通り過ぎて行った。その瞬間、ブレーキを2度踏みし、衝突、追突を防いだ。あと0.5秒、右側からのバイクに気づかなかったら悲劇的な事故になっていたであろう。バイクの速度は既に30キロにはなっていただろうから。」

 この未遂事故の原因が分かった。

 バイクの運転者は赤で飛び出したと思っていたのだが、実はバイクは青信号だと信じていたのである。
 その理由は、2点ある。
 一つは、環状2号線が右折信号に変わると同時に、横浜上麻生線の方は、左折信号の表示が出るのである。この左折信号の存在に、最近気が付いた。
 二つ目は、バイクは信号待ちでは隣の車と同時に発進し先に進もうとする傾向があることである。
 
 この状況で、真ん中の車線にいたバイクの運転者は 左隣の車線の車が左折のために発進しだした途端、正面が青になったと勘違いし、赤信号で直進したーと推定できる。それで、あれだけの速度で右折を始めた私の目の前を通り過ぎて行ったのである。

 交差点は危険な場所である。バイクや自転車、歩行者は車と衝突したら簡単に重傷以上のケガを負う可能性が強い。やはり、青信号ではまず止まるという感覚が重要であることを認識した。

 このような勘違い事故を防ぐために、公安委員会は、左折信号を交差する右折信号よりも1秒遅れて出すように警察に指示すべきだ。このような信号コントロールは簡単にできる。

 現に、歩行者の安全を守るため、ある交差点では、歩行者用青信号を並行する道路の車用の青信号よりも1秒早く出でるように調整されている。

量子もつれ問題の解りやすい説明案2022年11月27日 02:57

量子もつれに関し幾つか解説サイトを見たが、多くは、量子もつれ状態の二つの光子の一方の光子のスピン量子数が測定されれば、もう一方の光子の光子のスピン量子数は、両光子がどれだけ離れていようとも、その瞬間に、対となる量子数であると「分かる」というものである。
この「分かる」という意味が分からなかった。アインシュタインがそれを不気味な遠隔作用だと言ったという逸話が、ますます事象を謎めいたものにしていた。
しかし、その後、この問題の計測実験に関する説明サイトを調べていくうち、話は比較的単純なものであると理解できるようになった。即ち、よくあるサイトの説明は、順序が逆で、量子もつれにある二つの光子を作ることが実験的に可能になったということなのである。量子もつれの状態の二つの光子は、相反するスピン量子数を持つことが量子論の定説なので、一方が測定できれば、他方は距離に関係なく定められるのは不気味でもなんでもない。即ち、量子論の正しさを証明した、或いは、正確に言えば、裏付ける実験が出来たというだけの事である。

量子論が成立した頃、実験的にその正しさを確認するのは困難だった。光の場合、多数の光子があっても、個々の量子数を測定することはできず、まして、量子もつれ状態の二つの光子対を作ることは不可能だった。しかし、その後の実験技術の進歩により、位相の揃ったレーザー光を特殊な結晶に照射することで、量子もつれ状態の光子対が僅かながら発生することができ、それらの量子数を実測して、量子論から予測されていた量子もつれ状態の実在が証明されたということである。

より、具体的には、数万のレーザー光子を偏光作用のある結晶に照射し、量子もつれ状態の電子対を一対作る。この光子対を各々遠方に分離して引き出し、量子数を測定すると、互いに対になった量子数であることが実証されたということである。
従って、量子もつれの光子対を、光ファイバーを用いて通信に使えば、光ファイバーの一端に到達した光子の量子数と、他端の光子の量子数の合計は0になっていなければならないので、情報が漏洩した場合には量子数のズレから盗聴の事態があったことが原理的に分かる事になる。これが、量子通信での盗聴防止原理であると理解できた。

ベランダを登った方法について2022年11月07日 20:59

 幼児がマンションの高層階のベランダから転落して亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。

 現場の写真を見ると、ベランダの柵は2歳児の身長(約85cm)よりは十分高い。気になるのは、我が家にもある洗濯物干し用の支柱である。
2体の支柱が数メートル離れて設置されており、支柱には孔の開いた板状金具が垂直方向に回転できるように取り付けられている。量子中の板状金具を手前に持ち上げ、孔に竿を通して洗濯物を干す仕掛けである。
 問題は、使用していない状態の時である。この板状金具は、折りたたむことで、下向きとなる状態で、支柱の横に収納される。しかし、完全に支柱の中に納まるのではなく、側面にむき出しのままの配置となる。即ち、物干し竿用の孔は、地上50㎝程度の位置に配置されることになる。
 幼児がこれを見て、手や足をかけて登ることは十分可能な構造である。
 今後も同じような事故が起こる可能性はある。
早急にこの物干し用支柱の構造を幼児が登れない構造に変更する必要がある。例えば、竿用の孔がある板状金具が支柱内に完全に収まるような構造にすれば済む。当面は、応急措置として、孔の部分を隠すように硬い板を取り付け、幼児には外せないように縛って固定しておくことが考えられる。
 この物干し竿支柱の設計者は、幼児の行動への想像力を欠いたものだったのだろうと言える。なんでもそうだが、設計基準を守ってさえいればよいというものではない。重要なのは自然と人間への想像力だろう。(年寄りの後付けでした。)

AIを信じるよりは神を信じたほうが良いわけ2022年11月04日 06:11

 宗教学者島田祐巳氏の著書「AIを信じるか、神(アッラー)を信じるか」(祥伝社新書)で、AIと神を対等においているようなキャッチャーなタイトルにしたのはせっかくの内容を貶めているようにも思える。
 哲学者は命を張って世間に主張をするそうだが、宗教学者もそうなのかもしれない。かつて、日テレの番組「知ってるつもり」の最終回では、キリストを大工の息子と断じて放送していた。私もキリストの復活場面を生物学的な仮説で説明しようとしたら、ネットから危ない反応があった。
 イスラム教徒にもいろいろな方がおられるはずである。

このキャッチャーなタイトルに対し、大人気はないが、反論してみる。

 AIを神のように信じてはいけない理由は、以下のとおりである。
(1)スピノザによれば、神は根本原因であり、宇宙の影響は受けない。
しかし、AIを司る半導体のプロセッサは、宇宙からの放射線で誤作動を起こすことがある。
(2)神は誤りを犯さない。しかし、INTELのプロセッサとAMD(RYZEN)のプロセッサ(特に64ビット版)では、全く同じアルゴリズムにも関わらず、計算結果に0.1%程度の差を生じる。これは、外部環境とは関係なく、どちらか、あるいは両者が誤っていることを証明している。
 
 この程度で十分であろう。人間が制作したものが神と比較できるはずはない。

注)聖書もコーランも人間が作ったものだから、これらを信じることと神を信じることは別物であることには注意する必要がある。