福島事故の反省点とは2024年10月20日 07:06

現時点で、知っている範囲で再度反省点を整理してみた。

1960年代に米国GE製のBWRプラントを輸入しようとしたとき、原研は独自の原子炉を開発中であった。原研は当時組合活動が盛んで、政府や電力業界から嫌われていたこともあり、原研などの日本の原子力関係者の頭越しにGEから米国製の原発を輸入しようとしたのである。そこに土光敏夫はクレームをつけ、GEに日本側での設計チェックをしたいと申し入れたのであるが、GEは設計を変えるなら輸出そのものをしないと回答し、電力や政府もGEの回答を受け入れたのである。

 その後、4基のBWRプラントはGEの設計通りに建設され、40年後に2011年の地震と津波で全電源喪失の大事故を起こすことになる。土光の意見で配置設計が見直されていたらこのような全電源喪失が防げたのかどうかはわからない。

 しかし、土光が1988年に亡くなったのちの話であるが、東電は、使用済み燃料貯蔵プールの設計変更を行った。2001年に貯蔵プールに中性子吸収体を装荷することで収容可能な燃料貯蔵本数が2000体以上に増加することになった。使用済み燃料貯蔵のための外部置き場が無くなり、臨界安全性に問題がある設計変更をしてまでも貯蔵容量を増やさざるを得なくなったのである。

 福島事故で米国NRCが問題にしたのは、この使用済み燃料貯蔵プールの超臨界による事故進展である。格納容器外にあるため、超臨界になると放射性物質の放出が原子炉の事故よりも大きくなる可能性がある。結果的に超臨界は生じなかったと思われるが、貯蔵プール水の放射線分解による水素発生源になった可能性はある。これが4号機の建屋爆発に繫がったかもしれない。

 以上の経緯からは、今後への反省として、

(1)海外からプラントなどを輸入する場合は、現地の地理的、気象的、歴史的状況を考慮して設計変更をするべきである。
(2)しかし、その設計変更により、安全上の問題が発生しないか十分に吟味する必要がある。

などが挙げられる。

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