不連続連載小説 松尾大源(4)2024年02月23日 06:13

 大源の乗った船は、大型の帆船ではあったが、晩秋の太平洋に出ると揺れは大きかった。若い大源は2か月間、船酔いに悩まされ続け、それが不安感など消し飛ぶほどの苦しさを与えた。

 帆船であるがゆえに偏西風に沿った航海をせざるを得なかった。当時のスペインは世界国家であり、地球の丸さを知り尽くしていたが、帆船では大圏航路をとることはできず、北アメリカ大陸の西海岸にたどり着くまでは2か月間かかったのである。西海岸から南下し、当時も大都会だったアカプルコにつくまではさらに1か月を要した。しかし、その頃はすでに波は穏やかで、大源の体調は良くなっていった。

 アカプルコはスペイン人で満ち溢れていた。スペインの世界支配の最前線であり、スペイン人以外は奴隷扱いであった。しかし、常長一行は、ソテロの計らいで賓客として歓迎された。

 問題は、同行した約100人の町民たちであった。政宗の命で、交易の道を開くことが目的だったので、大量の日本特産品を船に積み込んでいた。アカプルコから先はメキシコ横断の陸路となる。当時、アカプルコからフィリピンへは、貿易風を利用したスペイン船の定期航路があった。  

 ソテロは、同行の海外取引を目的とした日本からの町人たちにここから、この航路を利用して、フィリピン経由で日本に戻るよう指示したのである。そのため、町人たちは、アカプルコで日本からの積み荷の売買をせざるを得なくなった。生糸、絹製品だけでなく、金、銀製品まで現地の商人に騙されてたたき売りする状態になったのである。スペインの商人はすでに中南米各地で、現地人から様々な収奪を行っていたのだから仕方のないことではあった。武士と異なり、町民たちは何の武器も持たず、この港で暗躍していた商人たちの餌食となったのである。

伊達政宗は弟を討たなかった!2024年02月21日 02:40

二つの伊達政宗関係の本がある。
(1)小林清治氏の人物叢書「伊達政宗」(吉川弘文館、1985年)
(2)佐藤憲一氏の歴史新書「素顔の伊達政宗」(洋泉社、2012年)

(1)の人物叢書では、江戸時代に伊達藩が公式記録としてまとめた貞山公治家記録の記述に沿って、政宗が弟の小次郎を手打ちしたことになっている。信長や信玄、謙信、家康などが身内を粛清したのと同様、戦国武将は身内すら敵になるという思い込みのストーリーに沿っている。それが戦国武将の武士道ということらしい。

しかし、(2)の歴史新書では、貞山公治家記録での不自然さに疑問を持ち、独自に調査して、政宗に反発した小次郎は、政宗と母義姫の計らいにより、出家し、その後武蔵五日市の大悲願寺で住職の法印秀雄になったのが事実だと記載されており、それを裏付ける寺の関係書簡まで明記している。
 
歴史認識とは時代により変わるということで、事件の後、1985年よりも2012年のほうが、より真実に近づくことができた例である。

身近なところでは、警察官の思い込みのストーリーで発生した冤罪事件が、その後のDNA鑑定技術などの科学技術の進歩により、捜査内容が覆されてより真実に近づくことになった例に似ていると言えよう。

これらは、歴史も、犯罪捜査も、分かりやすいストーリーにしたがった方が大衆受けはするのだろうが、真実は別のところにあったという話になる。

不連続連載小説 松尾大源(3)2024年02月16日 11:37

 同じ頃、政宗も伊達藩の統治について悩んでいた。家康とは関ケ原以来の支援と縁戚関係の強化で、信頼関係を結んでいたとはいえ、あとを継いだ秀忠との関係は弱く、頼りのソテロの希望だったキリスト教は禁令が出されることになった。
 政宗の目論見としては、キリスト教の布教を許容する代わりに、スペイン及び欧州各国と交易をおこない、伊達藩の隆盛を図ることではあったが、幕府がキリスト教禁令と鎖国政策を進めるのを止めるだけの力はなかった。
 伊達藩北部の金成などでは、多くの金山があり、伊達藩の対外貿易における資金力の元ともなっていた。しかし、その生産は地元の農家の手掘りや砂金の回収に頼っていた。
 漫画家石ノ森章太郎の出身地、石ノ森には、金を領主に大量に起草した農家が、金(コン)という名字を送られたとの話もある。作家井上ひさしは、宮城県北部の金資源をもとに、日本から独立を企てた吉里吉里国を想定してSF小説を書いている。
 しかし、そのような農民の乱掘のため、金の産出量も先細りとなっていった。大規模な鉱山開発技術に対する欧州からの技術導入も遣欧使節団の派遣の狙いでもあった。
 秀忠の時代に幕府が鎖国政策を進めた一因として、伊達藩の巨大化を抑える狙いがあったのである。政宗亡き後起こった伊達騒動の主役である伊達安芸も伊達兵部もこれら伊達藩北部の領主であった。幕府は伊達藩の内部分裂を煽って、弱体化するような陰謀を図っていたともいえる。
 政宗もまた、幕府の鎖国政策、キリスト禁令がどうなるか、伊達藩の行く末を決めるものとして心から心配していたのだった。

春の足音が夏の襲来になる日2024年02月14日 06:49

 異常気象である。地球温暖化による日本での影響はすでに2月で20℃という高温状態を現実のものとしている。青森でも長野でもスキー場の閉鎖が続いている。スキー場だけなら関係者は少ないかもしれないが、積雪の減少は、春、夏、秋の貯水率の減少に直結する。要は食糧危機、電力危機でもある。

 テレビでキャスターが暖かいと喜んでいる場合ではない。花粉症の原因すら排気ガスから花粉にすり替えられている現状で、テレビを見ている我々の一億総白痴ぶりでは仕方ないのかもしれない。(昔の評論家がテレビの出現を称して一億総白痴と呼んだが、SNSでは100億総白痴とも呼べようか〇)

 この地球を救うには、鉄文化からの転換が重要である。

自動車、電車、工作機械はいずれもほとんどが鉄でできている。鉄の比重は約8であるが、アルミ(比重約3)で構成できれば、必要エネルギーは半分以下にできる。即ち、二酸化炭素排出量は半減する。そのためにはアルミの強度を上げられるレニウムとの合金化が研究されている。そこで、レニウムなど希少金属の確保が重要になるが、レアアースは地球に偏在している。これを大量に生産するため、タングステンの中性子照射でレニウムに変換する生成する方法がある。これらの新材料開発が地球温暖化を抑制するためのキーとなるかもしれない

不連続連載小説 松尾大源(2)2024年02月12日 14:12

 慶長18年(1613年)9月、松尾大源は石巻の月の浦で、帆船、サン・ファン・バウティスタ号の船上に佇んでいた。2年前の大津波で数千人が亡くなった仙台湾の海はあれていた。

 遣欧使節団を率いる支倉常長が親戚筋とはいえ、仙台藩から出たこともない若者が、何の知識もなく、言葉も知らない欧州に出かけるのである。帰ってくることができるのか、その時、日本はどうなっているのか想像もできない。常長は落ち着いた様子で船長のソテロと航路の話をしているのだが、大源は揺れる船に身を任せる以外、何もできなかった。

 ソテロはスペインから布教のために日本全国を回っていた。まだ、キリシタン禁令が出る前の時代である。江戸にいた政宗の妻の病気を治したのが切っ掛けで政宗と懇意になり、仙台にもしばしば来るようになった。そして、政宗のスペインとの交易やローマ法王との外交関係を結びたいという野望を知り、布教にも役立つと考え、懇意になっていった。ソテロは来日してからすぐに日本語をマスターするほど優秀だったのである。

 表面的ではあったが、政宗が大阪夏の陣で家康の信頼を得ていたこともあり、ソテロの指導で江戸から来た職人を使うことができた。そして、この大型帆船は2年ほどの短期間で完成した。

 当時伊達藩は宮城県北地方も藩下にあり、金成や石越などで多くの金が算出されていたので、経済的には問題がなかったのである。

 しかし、豊臣勢力の排除が終わったばかりの幕藩体制が、スペインなど外国勢力の圧力に耐えられるのか、その中で、欧州との直接的な外交関係が結べるのか、幕府にとっても、伊達藩にとっても難しい時代でもあった。すでに、フィリピンはスペインと植民地と化していたが、徳川幕府の思惑と政宗の野望との交錯するなか、松尾大源の不安が太平洋よりも深く感じられるのも仕方のないことであった。

断続連載小説 松尾大源(1)2024年02月09日 10:37

1.梁川から白石へ

 横谷松三は、生まれ故郷の梁川からここ白石まで歩いてきて、母の親戚筋が経営する白石温麺(しろいしウーメン)の製麺所に住み込むことになった。20年前の廃藩置県で、梁川と白石は福島県と宮城県に分かれているが、元はと言えば同じ伊達政宗の領地ではあった。
 当時の日本の輸出品の最大のものは、絹製品であった。梁川にも多くの養蚕農家があり、松三の父親は地元の養蚕農家を回って、生糸を仕入れ横浜に出荷するという生糸商人をしていた。前年、小金持ちになったその父親が生糸の相場に手を出し失敗して、借金取りに追われる生活となってしまった。そして、一家離散という羽目に陥った。

 父親や兄たちは北海道の開拓地に渡ったが、小さい松三は母親と近くの親戚を頼ったのである。ここ白石は古くからの城下町で、人通りも多く、梁川に比べれば人目を気にしなくて済んだ。小学校を出たばかりの松三は母親と二人きりで寂しくはあったが、頑張ればなんとか食べて行けると感じたのである。

 この製麺所の言い伝えでは、白石温麺は、江戸時代の初め頃、土地の若者が、病気で胃腸の弱った母親のために食べやすい食品を探していたところ、通りがかりの旅の僧から、作り方を教えてもらってできたそうだ」。それが、地元で評判となり、藩主伊達正宗の支援も得て白石の特産品となっていった。
 現在でも白石温麺はお湯だけで簡単に調理ができ、消化もよいのでアウトドアでの食料としても人気がある、細くて手軽な乾麺である。

 松三は、遥か300年前の創業者の境遇が自分と似ているなと思いながら製麺の仕事に朝から晩まで没頭することとなった。それが、彼の浮き沈みの激しいの人生の始まりとなったのである。

震源の西進が始まったようだ2024年01月28日 09:19

 今朝、東京湾を震源とする地震があった。
先日の神奈川北部の地震を含め、普段の東葛地方から震源が西進しているように思える。関東大震災の震源が神奈川西部だとすると、かなり似たようなパターンになってきたように感じる。専門家はどう思っているのだろうか。

広島・長崎の被ばく者データを見直す必要性2023年12月23日 05:09

放射線に絡む全ての社会現象は、国際放射線防護委員会(ICRP)の被ばく防護に関わる勧告・指針に依拠した法律・基準に大きく影響されている。今回の福島事故処理水放出騒ぎも同じである。

この大元であるICRP勧告自体が間違っている可能性が大きい。その被ばく基準の科学的根拠は、広島・長崎の被ばく生存者のがん発生調査に大きく依存している。しかし、広島と長崎では、放射線量とがん発生率の関係が異なっている。それが単に定量的に違うだけならまだよいが、定性的にも違う。即ち、広島ではある線量範囲でがん発生率が減少するのに、長崎では増加しているのである。その時の比較対象者は、原爆投下時に各市の中心から20キロ以上離れた市外位置住民であり、被ばく線量は0と評価されている。

なぜこのようなことが生じるのか、原因は二つ考えられる。

一つは、調査データに不整合がある場合である。例えば、市外位置住民のがん発生データの見積もり方と被ばく住民ではがん発生数の評価方法が両市の間で異なっていた事が考えられる。
がん発生数と言っても単純では無い。そのがんが、同一人の別の場所から転移したものか、無関係に次のがんが発生したものかは、当時の医学レベルでは医師により判断が異なっていたことは大いにありうる。
被ばくゼロでのがん発生数が数倍異なれば、被ばく効果は逆転しうるのである。なぜなら、被ばく以外の効果が勝るからである。その多くは、喫煙によるもので当時は多くの日本人が、女性も含め喫煙習慣があった。がんが喫煙によるものか、被ばくによるものか、新陳代謝によるものかは今でも分からない。

更に両市で異なるのは、原爆のタイプである。広島は濃縮ウラン型で、長崎広島はプルトニウム型である。このため、原爆の構造が大きく異なる。ガンマ線の被ばくが線量の多くを占めるとはいえ、中性子の寄与がどのていどだったのか、地形の影響がどうなのか、今でも議論のあるところである。悲しいことに、軍事機密ということで、その評価の詳細は、米国から日本にはかいじされていない。当時はソ連との冷戦が予想されており、トルーマン大統領が、簡単に大量生産できると思ったプルトニウム型の実験を長崎ですかさずやりたがってのは理解できなくも無い。
しかし、線量評価の詳細、特に、ファットマン原爆の構造も含めて日本側に開示すべきだろう。今も、肝心の放射線線源データは簡単な1ページの表のみであり、担当は米国人に限られている。

もう一つの要因としては、被ばくデータやがん発生データが正しいとしても、その統計処理法が、間違っている場合である。

例えば、喫煙効果と放射線効果は個別のものとして評価されているいる。タバコには、燐酸肥料を通して花崗岩にあるポロニウム210という放射性物質が含まれている。この喫煙にがん発生は、喫煙効果なのか、被ばく効果なのか判然とはしない。仮に、両市の住民のタバコ原料に違いがあれば、原爆の被ばく影響と喫煙効果を混同した評価になっていても不思議ではない。

いずれにせよこのような疑問点だらけのICRP基準でマスコミや政府が福島事故や原発を議論している事態を見直すことから始めなければ日本に将来は無い。日本は科学技術しか頼れない資源小国なのだから。

情報化社会からプラセボ社会へ2023年12月01日 05:00

プラセボ効果とは物理化学的な効果がないにもかかわらず、効果が生じる現象で元々は薬品に関わる医学用語である。

しかし、最近の種々のメディアの情報を見聞きすると、今や社会は実際の効果よりも、情報による心理的効果による効果でほとんどの動きが決まるプラセボ効果が最重要となってしまった。

このプラセボ社会には、人類の進歩にとって良い面も悪い面もある。

良い面は、心理的効果で社会が動くので、エネルギーも物質も最小限で済む、即ち省エネ社会にしやすいことである。
一方、悪い面は、心理的効果は科学的真実とは関係性が薄いので、世界全体が間違った方向に動いたり、人により効果の出方がちがうので、人種間、民族間の分断に繋がりやすいことである。

ガザでの、イスラエルとハマスの情報戦は、心理的効果によりさらに対立を煽る効果でしかない。

重要なのは、物資援助による実際の生活水準、環境の向上である。更には、実質的な自由の確保である。

宗教の教義で平和と幸福が得られるようなプラセボ効果は期待できそうもないことは歴史が証明している。

田と山2023年11月08日 03:59

日本人の名前が出ない時、風景とその修飾語の組み合わせで考えてみることがある。

内田ー内山
北田ー北山
上田ー上山
高田ー高山

といった具合で、修飾語には、順位、方向、比較などを割り当てて見る。
ちょっと難しいのが性質や抽象的概念を示す文字で

福田ー福山

は有るが

幸田ーこうやま

はない。だが、

香田ー香山

があった。

動植物はどうだろう。

藤田ー藤山

はあるが、

熊田ーくまやま

は聞いたことがない。

山に熊がいるのは当然の事なので苗字にはならないようだ。
そこで、

熊野、熊川、熊岡、熊谷

と書いたところで、来週のハイキングには

熊鈴

を持参するべきなのを思い出した。地球温暖化は日本人の名前にも影響するのだろうか?