手書きによるボケ防止利用とデジタル記録との仕分け方 ― 2026年06月26日 07:47
井上ひさしの妻、井上ゆり氏が、「小説をめぐって」(井上ひさし、岩波書店)のあとがきで”夫は何でもメモをし、手書きの図を作っていたのですぐにファイルが一杯になる。手と脳は直結しているので経験値が小説に反映できる”との趣旨の説明をしている。
デジタルでキーボードだけを使ってこのブログを書いているのは、脳をあまり使っていないことになる。
では、手書きの文字や図を使ってこのブログを作ることは可能か。何らかの装置や写真などを使えば可能なようにも思えるが、保存、検索やデータサイズの制限が問題になろう。
そこでデジタルと手書きの区分だが、記録と記憶の区別ではどうだろうか。即ち、記録したいことはデジタルで、記憶したいことは手書きでデータをまとめるということである。
記憶するということは個人的な行為なので、手書きでも問題はない。
記録はどちらかといえば他人のため、あるいは記憶の再確認の時に利用するにやることなので、手書きでは不便である。
そのうち、技術やシステムの進歩で、手書きの文字、図も安価で容易にデジタル化できるようになるだろう。
デジタルでキーボードだけを使ってこのブログを書いているのは、脳をあまり使っていないことになる。
では、手書きの文字や図を使ってこのブログを作ることは可能か。何らかの装置や写真などを使えば可能なようにも思えるが、保存、検索やデータサイズの制限が問題になろう。
そこでデジタルと手書きの区分だが、記録と記憶の区別ではどうだろうか。即ち、記録したいことはデジタルで、記憶したいことは手書きでデータをまとめるということである。
記憶するということは個人的な行為なので、手書きでも問題はない。
記録はどちらかといえば他人のため、あるいは記憶の再確認の時に利用するにやることなので、手書きでは不便である。
そのうち、技術やシステムの進歩で、手書きの文字、図も安価で容易にデジタル化できるようになるだろう。
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