天皇制の意義は宗教と一寸異なる2026年07月01日 09:45

2021年にモスクワを訪れた際、ある日曜の朝、衝撃的な光景を見た。

宗教は麻薬だという共産主義のソ連が100年近くも続いた後にもかかわらず、市の中心部にあるロシア正教のモスクワ大聖堂には数千人の信者がモスクワ川の堤防沿いに列を作って並んでいたのである。ところどころには臨時トイレも置かれているのだから、数時間待つのは普通のことなのだろう。

ソ連崩壊にも関わらず、ロシアが国としてまとまっていたのは実は民衆が信じていた宗教の力だと思い知ったのである。

では、日本はどんな宗教が国民をまとめているのかといえば、仏教か神道なのかもしれないが、その根底には天皇がおられる。日本を統一し、どんな時代も為政者ですらその権威の認証を形式的であっても天皇から得ていたのだから、日本の統一の象徴であることに間違いはない。

ただ、諸外国の宗教と異なり、天皇は物理的に存在しているヒトでもある。一般的な宗教では神は物理的な存在ではないので神の生存の心配はする必要がない。スピノザは神はすべての事物の原因と位置付けていたそうだから、何物にも影響されない存在、即ち、物理的な実在の上位に存在するものである。

しかし、天皇はヒトでもあるので、その継続性を物理的にも保証できなければ、日本の統一の象徴が消えるのである。

終戦後まもなく公布された日本国憲法は昭和天皇のことしか考えなかったように思える。基本的人権が保障されていないように見える天皇の位置づけが日本の法律の離島と言われるのであろう。

現在、皇室典範の変更が現政権の一部の思惑で優先課題にされているが、その前にこの日本国憲法の矛盾を解決することこそ議論の最優先課題にすべきことだろう。

そして、皇室の人々の基本的人権をどう守るのかから後継論議を始めないと数十年後には皇室は消えてしまう可能性も十分にあるだろう。現在皇室典範の変更を急いでいる一部の権力者はこの基本的人権の問題をどう考えているのか、答えてもらいたいものだ。

また、皇室典範を変更しなければならないとするならそれは天皇家の意向に沿ったものでなければならない。それが現憲法の趣旨に沿ったものであるはずだ。それを保証し、推進するのが国事行為をお願いしている政府の義務でもある。現時点の政府の行動はそれとはまったく反対の方向にあるように見える。

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