サッカー選手が錯覚したワケ ― 2026年07月09日 20:46
サッカーと錯覚は日本語では一字違いなのでJOKEと錯覚するかもしれないが、真面目な話である。
現在、私は放送大学の錯覚の科学(テキストは菊池聡「錯覚の科学」放送大学出版会)を受講している。この錯覚について、詳しくはそのテキストを参照するか、または放送大学のネット配信(最低約1万円を支払い、入学すればだれでも見られる)を見てもらいたい。
この講義の主要な結論で印象的だったものは下記の2項目である。
(1)錯覚とは社会生活を営む上で効率的に、即ち、簡単に結論を出すために必要な感覚であり、人は通常そういう感覚を持って判断する。これは物事を効率的に処理うえで重要な感覚であり、必ずしもネガティブなものではない。
(2)一般的な業務については誰もが他人よりも多少は優れていると錯覚している。
このうち、(1)は事故を起こしたサッカー選手が赤信号で交差点に入った(自転車の被害者も同じように赤信号で入ったのだが)ことである。これは要するに歩行者用信号が青なら自動車も青になるだろうという常識を信じた(これが錯覚なのだが)結果である。こんな小さな交差点が渋谷のようなスクランブル交差点形式にしているはずはないという錯覚(効率的な思考)に従ったまでである。
(2)は心理学的な調査によれば、人は誰でも、一般的な作業に関して、平均的な他人よりは優れていると回答する比率が8割程度あるということである。現実は5割であるはずだが、運転でもなんでも人よりは優れていると錯覚するのがヒトの心理の真実らしい。(他人事ではないのは胸に手を当てれば良く理解できる。)
今回の事故では(1)が第一の原因である。
歩行者用信号が青なら、同じ向きの自動車用信号も青になるはずだと信じ込んでいるのである。更に自動車用信号は高い位置にあり、視線を通常よりかなり上に向けないと見ることができない、そこで歩行者用信号を見て信じてしまったのであろう、狭い住宅街の道路ではよくあることだ、
海外から日本に戻ってきた人は特に道路標識や道路システムが錯覚を起こさせるように作ってあると考えて運転しなければならないようだ。常識が通じない事例や例外が多いのが日本の道路である。
この前、ニュースでやっていたが、仙台には進入禁止と進入可能の標識が時間で変わるようにできているものがある。ある時間になると表示板の中心部が自動的に回転することで、進入禁止の横棒表示が、普通車が進入可能となる表示に変わるのである。初めてこの交差点に来たヒトには何らかの錯覚を生じさせ、事故原因にもなるかもしれない。
一方、(2)も誰もが心当たりがある。自分の運転が上手いと信じて危険な動きをする車も多い。
昨日、危うくバイクがBMWに追突しそうになる現場を見た。それはとある交差点の先にある道路左側の店の前にある駐車場にBMWがバックで止めようとしたときである。BMWだからハンドルは軽快である。交差点を過ぎ店の前の駐車場も過ぎたBMWがちょっと左にハンドルを切ってすぐに右にハンドルを戻し道路上でブレーキをかけた。後ろには車がいないのは分かっていたのだ。しかし、その瞬間、交差点の信号が変わり、交差する道路からバイクが右折して、そのBMWに迫ってきたのである。その結果、店の前でブレーキをかけて止まっていたBMWに危うく追突しそうになった。BMWの運転手もバイクの運転手も運転が上手いと過信していた結果のヒヤリハットであった。
道路を管理する側はこのような錯覚があることを考慮して各種信号や道路構造を整備する必要がある。上記のような錯覚を生じる恐れがある交差点では、公安委員会など関係機関が注意書きを工夫し、特殊な状況であることを目立つように表示することである。
また、道路の利用者側、運転者側は常に自分が何か錯覚してないか疑うという心構えを持つ必要がある。運動神経を働かせるだけではなく、状況をよく見極める冷静な配慮と気配りが必要である。
現在、私は放送大学の錯覚の科学(テキストは菊池聡「錯覚の科学」放送大学出版会)を受講している。この錯覚について、詳しくはそのテキストを参照するか、または放送大学のネット配信(最低約1万円を支払い、入学すればだれでも見られる)を見てもらいたい。
この講義の主要な結論で印象的だったものは下記の2項目である。
(1)錯覚とは社会生活を営む上で効率的に、即ち、簡単に結論を出すために必要な感覚であり、人は通常そういう感覚を持って判断する。これは物事を効率的に処理うえで重要な感覚であり、必ずしもネガティブなものではない。
(2)一般的な業務については誰もが他人よりも多少は優れていると錯覚している。
このうち、(1)は事故を起こしたサッカー選手が赤信号で交差点に入った(自転車の被害者も同じように赤信号で入ったのだが)ことである。これは要するに歩行者用信号が青なら自動車も青になるだろうという常識を信じた(これが錯覚なのだが)結果である。こんな小さな交差点が渋谷のようなスクランブル交差点形式にしているはずはないという錯覚(効率的な思考)に従ったまでである。
(2)は心理学的な調査によれば、人は誰でも、一般的な作業に関して、平均的な他人よりは優れていると回答する比率が8割程度あるということである。現実は5割であるはずだが、運転でもなんでも人よりは優れていると錯覚するのがヒトの心理の真実らしい。(他人事ではないのは胸に手を当てれば良く理解できる。)
今回の事故では(1)が第一の原因である。
歩行者用信号が青なら、同じ向きの自動車用信号も青になるはずだと信じ込んでいるのである。更に自動車用信号は高い位置にあり、視線を通常よりかなり上に向けないと見ることができない、そこで歩行者用信号を見て信じてしまったのであろう、狭い住宅街の道路ではよくあることだ、
海外から日本に戻ってきた人は特に道路標識や道路システムが錯覚を起こさせるように作ってあると考えて運転しなければならないようだ。常識が通じない事例や例外が多いのが日本の道路である。
この前、ニュースでやっていたが、仙台には進入禁止と進入可能の標識が時間で変わるようにできているものがある。ある時間になると表示板の中心部が自動的に回転することで、進入禁止の横棒表示が、普通車が進入可能となる表示に変わるのである。初めてこの交差点に来たヒトには何らかの錯覚を生じさせ、事故原因にもなるかもしれない。
一方、(2)も誰もが心当たりがある。自分の運転が上手いと信じて危険な動きをする車も多い。
昨日、危うくバイクがBMWに追突しそうになる現場を見た。それはとある交差点の先にある道路左側の店の前にある駐車場にBMWがバックで止めようとしたときである。BMWだからハンドルは軽快である。交差点を過ぎ店の前の駐車場も過ぎたBMWがちょっと左にハンドルを切ってすぐに右にハンドルを戻し道路上でブレーキをかけた。後ろには車がいないのは分かっていたのだ。しかし、その瞬間、交差点の信号が変わり、交差する道路からバイクが右折して、そのBMWに迫ってきたのである。その結果、店の前でブレーキをかけて止まっていたBMWに危うく追突しそうになった。BMWの運転手もバイクの運転手も運転が上手いと過信していた結果のヒヤリハットであった。
道路を管理する側はこのような錯覚があることを考慮して各種信号や道路構造を整備する必要がある。上記のような錯覚を生じる恐れがある交差点では、公安委員会など関係機関が注意書きを工夫し、特殊な状況であることを目立つように表示することである。
また、道路の利用者側、運転者側は常に自分が何か錯覚してないか疑うという心構えを持つ必要がある。運動神経を働かせるだけではなく、状況をよく見極める冷静な配慮と気配りが必要である。
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