アルコールとコーラ2022年11月22日 04:05

カタールのワールドカップでは、アルコール飲料の扱いで混乱を生じているソーダ。コーラんが書かれた頃、アルコール飲料はあっただろうが、コーラは無かった。そのためか、インドネシアの若者は、宗教的に禁じられているビールを飲まずに、コーラをガブ飲みすることがままある。それが、かの国で糖尿病が多い遠因になっているようだ。アルコールより健康には問題がある。
タイでは、修行僧がお金を喜捨されることは禁じられている。お金以外のモノならば受け取ることは出来る。その為、金券やクレジットカードなら幾らでも受け取ることはできる。小乗仏教の戒律が出来た頃、金券やクレジットカードシステムは無かったのだろう。

米国では、妊娠中絶の是非が最大の政治的課題になろうとしている。新約聖書が書かれた頃、簡単な中絶方法は無かったため、聖書には記載がないためだろ。

事程左様に、科学技術の発展に宗教戒律が追い付いて行かない例は山ほどある。それが無用な混乱と紛争の原因となっている。

本来、宗教とは、人間の幸せのためにうまれたものであろう。従って、そのかいりつも、しあわせのために、せっていされたものであったはずだ。それが、時代の流れの中で、逆に問題を生じるようにさえなっている。

今や、政治家だけでなく、宗教界の指導者も科学技術の知識に精通し、時代にあった戒律を確立してもらいたいものだ。伝統を維持するには革新が必要だとは、よくきく話だ。

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