不連続連載小説 松尾大源(2)2024年02月12日 14:12

 慶長18年(1613年)9月、松尾大源は石巻の月の浦で、帆船、サン・ファン・バウティスタ号の船上に佇んでいた。2年前の大津波で数千人が亡くなった仙台湾の海はあれていた。

 遣欧使節団を率いる支倉常長が親戚筋とはいえ、仙台藩から出たこともない若者が、何の知識もなく、言葉も知らない欧州に出かけるのである。帰ってくることができるのか、その時、日本はどうなっているのか想像もできない。常長は落ち着いた様子で船長のソテロと航路の話をしているのだが、大源は揺れる船に身を任せる以外、何もできなかった。

 ソテロはスペインから布教のために日本全国を回っていた。まだ、キリシタン禁令が出る前の時代である。江戸にいた政宗の妻の病気を治したのが切っ掛けで政宗と懇意になり、仙台にもしばしば来るようになった。そして、政宗のスペインとの交易やローマ法王との外交関係を結びたいという野望を知り、布教にも役立つと考え、懇意になっていった。ソテロは来日してからすぐに日本語をマスターするほど優秀だったのである。

 表面的ではあったが、政宗が大阪夏の陣で家康の信頼を得ていたこともあり、ソテロの指導で江戸から来た職人を使うことができた。そして、この大型帆船は2年ほどの短期間で完成した。

 当時伊達藩は宮城県北地方も藩下にあり、金成や石越などで多くの金が算出されていたので、経済的には問題がなかったのである。

 しかし、豊臣勢力の排除が終わったばかりの幕藩体制が、スペインなど外国勢力の圧力に耐えられるのか、その中で、欧州との直接的な外交関係が結べるのか、幕府にとっても、伊達藩にとっても難しい時代でもあった。すでに、フィリピンはスペインと植民地と化していたが、徳川幕府の思惑と政宗の野望との交錯するなか、松尾大源の不安が太平洋よりも深く感じられるのも仕方のないことであった。