選択式試験問題でのウッカリ回答ミスの防ぎ方2023年01月24日 10:47

 大学試験など計算機処理される選択式試験問題が最近は普通のようだ。
 困ったことに、この形式では、正しい記述ではなく、間違っているものを選べという設問が多い。
 
 人間心理として、正しいものを選択するのが習慣になっている。ウッカリすると間違っているものではなく、正しいものをチェックしがちである。(これまで数回やってしまった実績がある。)

 そこで、どうするか。

 紙があるとして、選択肢の番号を縦に書き、その右に順番に〇、×を書く。

この手間は大したことはないだろう。

 次に、おもむろに解答用紙にある×の選択肢番号にチェックをいれる。

 それだけでミスはゼロになる(はずだ)。

 人間の習慣はなかなか治らない。特に、試験のような時間に追われた状況では、うっかりミスが出やすい。

 上記のような段取りで回答することを習慣化しておけば、心理な余裕ができるので、うっかりミスを容易に防ぐことができる(はずだ)。

ラジオ深夜便が聞き逃し配信されない訳2023年01月24日 04:56

スマホでラジオ深夜便の3時台の聞き逃し配信を聴こうとしたら、いくらタップしても再生されない。
 
 PCで調べたら、原則として2時台、3時台は配信しないとのこと。

 2時台は名曲、3時台は懐メロが多いので配信してもらいたいところだ。

 しかし、良く考えると、これは著作権料が関係する時間帯だ。NHKはJASRACとの交渉で、この時間帯の再配信をしないという契約を結んでいるのだろう。
 
 スマホ画面では、配信される時間帯なのか、そうでないのか区別がつかない。これはラジコでも同じようなことが起こる。

 らじるらじる、ラジコ共に、配信しているのかどうか、スマホの番組表で区別できるよう修正してもらいたいものだ。無駄な作業を視聴者に強いることになっている。
(NHK受信料はちゃんと払っていますヨ。)

写教による勉強方法の勧め2023年01月15日 06:31

 写経の書き間違いではない。この場合の写教は、教科書を書き写すことを意味する。

 何度読んでも理解できない教科書は、鉛筆で書き写すことで理解できるようになるーという仮説である。決してパソコンやスマホに打ち込んではいけない。

 写経では、意味の不明な経典を心静かに墨で書き写すようだが、何となく理解できるようにもなるのではないか。

 それと同様、写教では、分からなかった教科書のテキストが何となく理解できるようになるのである。なぜなら、一字一句書くことで、著者が教科書を書いた際の心理状況が読者の心の中に再現されるのである。そのため、使用されている用語や文脈の相互関係に注意が向かうようになり、文全体の理解ができるようになる。

 これは、一度やってみる価値がある。時間はかかるかもしれないが、理解できないよりは百倍マシである。理解するために教科書や学習というものはあるのだから。

 なお、時間の節約のためには、写教の際の文字をできるだけ小さくすること、鉛筆の硬さは柔らかく、濃いもの(デッサン用の太目のシャープペン等)が良いようだ。これだと鉛筆を削る手間が無いので思考が中断されることもない。

 ボールペンは滑らかすぎて書いたという実感が湧かない。自動運転車のように運転した実感が湧かないのと同様で、著者の心境に近づくことが難しいのであまりお勧めはできない。

赤は進め、青は止まれーは横浜でも言えるのか2022年11月11日 04:06

 青森に居る知人の話では、青森では「赤は進め、青は止まれ」というのは常識だそうである。
 道が凍るので、信号が赤になっても強いブレーキはかけずに惰性で交差点に進入したほうが良い、ブレーキによるスリップのほうが危険だからである。従って、交差する道の車は信号が青になっても暫く止まったまま、横からの侵入車が無いことを確認するーということである。青森では、スタッドレスがよく利くとは限らないほど完全凍結した道も多い。

 最近、道が凍っていない横浜の幹線道路で、2日続けて、この警句を実証する危険な出来事を経験した。
 1回目は、環状2号と横浜上麻生線の交差点である。夜7時であり、すでに暗くなっていた。私は環状2号の右折車線におり、右折信号がでたので、右折を開始したのであるが、その瞬間、交差する上麻生線側からバイクが飛び出してきて、目の前を通り過ぎて行った。その瞬間、ブレーキを2度踏みし、衝突、追突を防いだ。あと0.5秒、右側からのバイクに気づかなかったら悲劇的な事故になっていたであろう。バイクの速度は既に30キロにはなっていただろうから。
 バイクは赤で飛び出し、私は右折青信号で右折を始めたが、青信号では進むべきではなかったということになる。

 2回目は、翌日の新横浜通りでの出来事である。新横浜通りは片側2車線あり、中央線がわの車線を走っていたが、目の前の小さな交差点の信号は赤になった。その交差する道には横断歩道があり、脚の不自由な歩行者が渡り始めた。脚はかなり遅く、横断するには時間がかかる。その歩行者が横断歩道を1/3ほど渡った時点で、新横浜通り側の信号は青になってしまった。そのため、私はブレーキを踏みしめたまま、その歩行者が渡りきるまで待つことにした。対向車線の車も青信号にも拘わらず、停車を続けていた。
 その瞬間である。左側の車線を猛スピードで交差点に進入しようとする車が来た。私はクラクションを鳴らし、前方への注意を促そうとした。その車は、交差点内で右側車線側にハンドルを切ったため、横断歩道上の歩行者にギリギリ近づいて通り過ぎて行った。
 クラクションを鳴らしたことが良かったかどうかは分からない。ハザードランプを付けておいたほうが良かったかもしれない。いずれにせよ事故には至らなかったが、横浜においても、青信号であっても進まないほうがよいという例であった。

 要は想像力の問題である。AIのほうが、ヒトより想像力はあるのかもしれない。しかし、AIでは基本的に感知できるものを判断材料にしている。見えない歩行者をどこまでAIがアルゴリズムにとりいれられるのか。プログラマーの想像力に期待したいところだ。この2日目の例の場合、左車線の侵入車からは脚の悪い歩行者は私の車の陰におり、交差点手前ではカメラの死角に入っていたのだから、交差点内で急ブレーキをかけても間に合わなかった可能性もある。

 当面は、青森のこの警句を、横浜でも念頭に置いて運転するべきだろう。特に高齢化社会では今まではあり得ない道路状況も生じ得る。また、歩行者、運転者ともに認識力、想像力は劣化しているのだから。

今冬の電力危機と原発再稼働問題2022年10月18日 14:31

 報道によれば、今夏と同様、冬にも電力需要が逼迫することが予想され、政府は数基の原発を再稼働する方向で動いているとのことである。
 一方、世論調査によれば、半数程度が再稼働には反対のようである。それは、福島事故の影響が大きいだろう。政府や電力会社を信頼していないということである。
 確かに、放射性物質、放射線による人体影響はまだ正確には分かっていない部分が大きい。従って、できれば原発には頼りたくない。
 一方、再エネによる十分な発電量が確保できるかといえば、その不安定さ、コストの高さから化石燃料に頼らざるを得ない。
 そうなると二酸化炭素排出による地球温暖化のほうが問題だという考えも十分納得できる。また、Nature Japanによれば、石油・天然ガスの井戸からも放射性物質が放出されているらしい。
https://www.natureasia.com/ja-jp/research/highlight/13476
 地熱がトリウム、ウランの放射性崩壊によるものなのであり得る話ではある。
 このトリレンマをどう解決できるであろうか。

 その一案は、放射能フリーの原発を開発することである。完全な放射能フリーはどんな技術でも、人間でもあり得ないが(人間も4000ベクレルの放射能を体内に持っているので)、化石燃料により放出される放射能と同レベルの放射能までは許容されるはずである。これまで100年以上その放射能と共存してきたのである。
 また、農業肥料で使われている年間のカリウム肥料に含まれる放射能と同レベルの放射能も許容されるであろう。

 次の案は、停電でも凌いでいくということである。多少の死者がでても放射線被ばくを考えれば仕方がないと思うことも可能である。

 被ばく影響であれ、地球温暖化影響であれ、医学的問題、環境問題の見通しをすべて明らかにするのは不可能である。従って、電力不足問題など特に社会的な合意に関わる問題は、関連する課題に関して、できるだけ多数の国民ができるだけ詳細な知識と正確な認識を持つことで、政治的な決着をつけるしかないであろう。

 その判断が間違っていたとしても、それが仕方のない人類の選択の歴史であると思う。

 そのためには、人知を結集して、現在課題となっているあらゆる技術的問題、医学的問題の最新情報を、国民に分かりやすく開示することが最重要である。それを行うのは行政府の役割であろう。

統一教会信者二世の方々に関して2022年10月10日 04:14

 外国特派員協会における旧統一教会信者二世の方の記者会見でのやり取りや、教会側、ご両親の応答が話題となった。
 宗教や信仰は、個々人の精神に関わる問題だから、その主張の善し悪しを判断することは避けなければならない。親子関係が絡めば更に判断することは困難だろう。
 ここでは、人類の子どもとはどういう立場のものなのかという観点で見てみたい。
 嘗て、江戸時代など、庶民が生活に困った時には、子どもを売ったり、親の都合で働かせたりして、自分の意のままになる生き物として扱うことが、間々あった。今でも、開発途上国ではよくあることで、国際NPO団体では、子どもの権利を強調し、伝統社会と対立することも多い。
 ある生物種の生存のために、親を犠牲にするか、子どもを犠牲にした方がいいのかという問題もあるが、それは、飢饉など究極の事態なのでケースバイケースであろう。
 ここで問題にされているのは、親の精神的救済の為に、子どもを犠牲にしても良いのかという問題である。親は精神的に飢餓状態にあるが、その宗教に救われたと信じている。そして、自分の子どもも精神的飢餓状態にあると思って、その宗教を押し付けるという構図である。
 このため、構図で、精神的飢餓状態を身体的飢餓状態と比較できるかどうかを考えれば、解は得られるだろう。
 精神的飢餓状態というものは、社会的な人間関係から生じるものである。幼児が生まれながらにして精神的飢餓状態にあるはずはない。長じてそうなるならば、その主要因は親子関係であろう。子どもがそのような精神的な危機を周りに訴えるなら、それは、社会が手を差し伸べる必要がある。
 それは、飢饉状態において、親が肉体的に飢えており、子どもを犠牲にしようとする時には、親の反対を押してでも子どもに対し、周囲が食糧などの支援をして救出する必要があることと同じである。
 可能なら、親子関係がスムーズになるような解決方法があれば良いが、親子だからこそ、人間関係を変えるには時間と手間が必要である。





立ち食いできない立ち食い蕎麦屋さん2022年10月04日 20:22

本当にJR桜木町駅前にありました。特に鶏肉うどんは絶品です。なぜ立ち食いできないかと言えば、店内の席は一席を除きすべて椅子席のためだからです。アクリル板で仕切られているので、安心して食事できます。
どうしても立ち食いしたい方は、店外に置かれたテーブルにて青空の下、ゆっくり食事できます。立ち食いの時間だけですので、にわか雨は気にしないでくださいますようお願い申し上げます。

円安の乗り切り方2022年09月26日 05:41

令和3年度農水産物輸入比率
合理的な判断では、輸入品が価格が上昇するのだから、自給率の高い物品にシフトすれば良い。自給率の低いものは出来るだけ手を出さないというわけである。では、自給率の高いものは何か、農水省の令和3年リストを整理すると、添付図のようになる。
 ここで輸入比率は輸入量を(国内生産量+輸入量-輸出量)で割った値で0%なら全量国内生産、100%なら全量輸入となる。
 この表で10%以下の農産品、水産品は

 温州ミカン、牛乳、みそ、しょうゆ、大豆油、鶏卵、でん粉、果実的野菜、コメ、バター、野菜類である。

 海藻類は33%、肉類では鶏肉が36%と比較的低い。リンゴはなぜか47%と割高である。魚介類57%と肉類平均48%より高くなっているのが残念である。穀類は小麦が83%、大麦が89%なので平均71%と高いのは当然である。

 これらから、食事としては、昔ながらの慎ましい卵とみそ汁、コメ(出来れば玄米食が良いが農水省分類では米で一括りになっている。)の組み合わせをベースとし、鶏肉、牛乳、バター類で多少洋風とし凌ぐという、予想どおりの食生活なら、円安の影響はあまりないことが分かる。

 次に、エネルギーだが、これは、原発再稼働など、自前のエネルギー生産を何とか増加する以外低減要因は殆ど見いだせないように思える。再エネやバイオ発電など割高な発電方法もあるが、まだ、輸入燃料による発電のほうがこの程度の円安では発電原価は安いであろう。自家用燃料である灯油類、ガスはあがる一方だろう。石炭の再生産も難しいだろう。そうすると、電気料金を下げる方策としては、福島などの廃炉処理を先延ばしにして、当面、無駄な経費を抑えることも考えられる。これは国内出費が大部分なのでエネルギー価格に転嫁するかどうかは政策次第だ。
 庶民の方策としては、スマホ、パソコンやインターネットなど無駄な電気使用を抑えることだ。即ち、意味のないブログを読んだりしないほうが良い。勿論、大型テレビでニュースショウを見ることも自戒しなければならない。このような電気の無駄遣いに加担しない方法を思いつかないことをお詫びしたい。

本日のアナウンス2022年09月11日 18:03

 某TT電車での某駅発車間際の車掌のアナウンス。

 「飛び込み乗車はお止めください!!」

確かに命に関わりそうだ。

ゴミ出しにおけるある誤解2022年09月09日 10:09

 先日の早朝、見慣れない外国製の高級スポーツカーが近所に泊まり、その車から大きなゴミ袋を手にした女性が下りてきて、ごみ集積所のある方向に歩いて行った。
 少しして振り返ると、彼女は手ぶらで車に乗り、Uターンをするところだった。
 これはてっきり無断ゴミ捨てだと思いその車の行き先を追ったが、見失うことになった。
 しばし散歩をして、そのゴミ捨て場に戻ってきたが、そこで重大な発見をした。そのゴミ捨て場から10メートルほど離れたところに、資源ゴミ回収ボックスがあったのである。
 これは4重の意味で誤解を生じる状況だったと思う。
 一つは、高級スポーツカーを乗り回すような人々は一般にマナーに無頓着な場合が多いという思い込みである。
 二つ目は、ゴミ袋が大きく膨らみ、一般の家庭ごみのように見えた点である。
 三つ目は、ゴミ捨て場の先に、資源ゴミ回収ボックスがあったことを認識していなかった点である。
 四つ目は、数日前にゴミ捨て場が荒らされ、他所からゴミ捨て場に来るものがあったという事実である。
 これらの状況から誤解してしまった。
(実際には資源ごみのボックスの蓋を開くのは憚られたので、上記の事象の確認はしていないが、誤解であろう。)
 何事も判断には思い込みを排除すべきだという教訓を思い出した。冤罪はこのようにして状況と思い込みから生まれる。心の中で、「事態を深く受け止めます。」と呟いた。