ヒトは何故山に登るのか? ― 2023年05月26日 07:24
歩きながら考えた。
街を歩けば角がある。
蝶も風吹けば流される。
とかくこの世は分からない。
と思いながら、ふと見上げると軒の向こうに見慣れぬ小高い杜が見える。
大通りから左側の路地に入りその先に杜はあるようだ。
その杜を目指して、裏道を辿ると、大きな鳥居が現れた。
それは、杉山神社というその付近では結構大きな神社だった。
周辺はすでに都市化しているが、その一角だけは、小高い森になっており、
石段の先に大きな社があった。
昔のヒトはなぜ、此処に社を建てたのだろう。
それはどこからも見えるからに違いない。そして、思った。
ヒトが山に登るのは、神に近づけるという意味もあるかもしれないが、
高いところに登ると世界全体が見渡せるという知的好奇心のなせる業なのだろう。
いつも平地を歩いていると遠くに理想郷があるのかもしれない。それを高いところに登ってみてみたいという本能が、安全な平地に住むよりも、山登りというリスクのある行為に向かわせるのだろう。
夏目漱石は素晴らしい文章を残してくれた。有難い。
街を歩けば角がある。
蝶も風吹けば流される。
とかくこの世は分からない。
と思いながら、ふと見上げると軒の向こうに見慣れぬ小高い杜が見える。
大通りから左側の路地に入りその先に杜はあるようだ。
その杜を目指して、裏道を辿ると、大きな鳥居が現れた。
それは、杉山神社というその付近では結構大きな神社だった。
周辺はすでに都市化しているが、その一角だけは、小高い森になっており、
石段の先に大きな社があった。
昔のヒトはなぜ、此処に社を建てたのだろう。
それはどこからも見えるからに違いない。そして、思った。
ヒトが山に登るのは、神に近づけるという意味もあるかもしれないが、
高いところに登ると世界全体が見渡せるという知的好奇心のなせる業なのだろう。
いつも平地を歩いていると遠くに理想郷があるのかもしれない。それを高いところに登ってみてみたいという本能が、安全な平地に住むよりも、山登りというリスクのある行為に向かわせるのだろう。
夏目漱石は素晴らしい文章を残してくれた。有難い。
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