仙台出身のスケーターがオリンピックでメダルを取る理由2026年02月18日 07:13

 ミラノ・コルティナ冬季五輪でも千葉百音選手が活躍しているが、荒川静香選手、羽生結弦選手も仙台出身である。

 彼女等の出身校である東北高校の近くに小松島池や与平沼という比較的大きな池塘がある。これらは昭和30年代には氷結しており、高校のスケート部の練習場でもあった。私も子供のころそれらの沼でスケートをしたこともある。与平沼では氷が割れて東北高校の生徒が亡くなったこともあった。

 当時の仙台の子供たちは、冬になると金物屋でゴムバンド付きの鉄製のフィギュアのスケートブレードを買ってきて、長靴に括りつけ、近くの池で遊んでいたのである。私の通った小学校では校庭に水を撒いてリンク代わりにしていた。

 なぜ仙台でこのようにスケートが流行っていたかと言えば、スキー場まで遠かったこともあるが、青葉城の外堀の一部である五色沼が日本のフィギュアスケート発祥の地だったことが大きい。戦前に仙台を訪れた外国人がこの池でスケートを広めたそうだ。

 五色沼も昭和30年代はスケートができたが、その後市内の池は完全氷結しなくなり、今は仙台の奥座敷と呼ばれる秋保温泉の近くにあった屋外のスケートリンクに、スケート好きはこれも廃線になった秋保電鉄というローカル電車で通うようになった。

 そのころには私も皮のスケート靴を買ってもらい、姉と秋保に何度も通うようになった。

 しかし、昭和40年代になると秋保でも氷結は難しくなり、市内の有名な酒造メーカーが当時の東北大農学部前に勝山スケートセンターという屋内のスケート場を開き、ここがスケーターの練習場になっていった。

 その後は、市内北部などにより大きな屋内スケート場が開設され、ご覧のような有名スケーターも多数現れるようになったのである。海外からの訪問者が仙台にスケートを紹介し、今や、仙台出身者が海外で活躍するようになった。

 海外との人的交流は重要であることに一例である。