クマ対策とクマ教育 ― 2026年04月30日 04:10
連日クマの出没ニュースが報道されている。このままではコロナ時代の二の舞になりかねない。狭い国土が心理的にさらに狭くなり、混雑と閉塞感が高まる一方だ。
リスクがある場合、農耕社会ではリスクを避けない行動はそれだけで非難される。そのリスクの程度は各自が判断すべきなのだが、秩序を重んじないと社会が機能しなかった農耕社会では社会の「気」がその行動の善悪を決める。ゼロリスク論が多数派を占める社会なのである。
その結果、クマの密度が高い地方では野外行動はリスクとみなされ、アウトドアは事実上不可能になる。要するに必要もないのに屋外にいることはゼロリスク社会ではそれだけで悪ということになる。
仙台のある町内会では早朝の散歩を自粛するよう通知があったそうだ。
まして登山や釣りなどアウトドアは論外ということになる。これではコロナ時代と同じで、必要不可欠な外出は禁止されているのに等しい。
ではそのままクマを恐れてヒトは外出活動を自粛すべきなのか。そうではないだろう。その対策を工夫して、自由な活動を確保するのがヒトが自然と付き合ってきて、文化、文明を発展させてきた基礎のところにある。
クマ対策をどこまで進めるべきか、ゼロリスク論という達成不可能な論理を排除し、ある程度のリスクを認めつつヒトがアウトドア活動ができるようになるにはどうすればよいか。
それはクマが合理的な行動ができるよう教育することにあると思う。
ヒトでも合理的判断をできず、暴走することはある。それによる死傷者の数のほうが、クマの被害よりは圧倒的に多いはずだ。今でも交通事故による死者は約2500人/年でクマ被害者より二けたは多い。
なぜそれでもクマを恐れてしまうのかと言えば、クマの行動を非合理的なものだと決めつけているからであろう。即ち、クマは理由もなくヒトを襲うと考えるからである。
ヤクザな若者が力ない高齢者を襲うとの同じである。
ヤクザな若者が高齢者を襲わないように教育するにはどうすればいいかということだ。
その方法は2つある。
(1)高齢者を襲った場合、逆襲されて襲った方が致命傷を受ける可能性があるとヤクザな若者が認識するよう教育されている場合。
(2)高齢者を襲っても、メリットはないとヤクザな若者が認識するよう教育されている場合。
それ以外にヤクザな若者が高齢者を襲うことはあるかもしれないが、それはある意味心神喪失者が襲うのと同じでリスクとして許容せざるを得ない。クマがヒトに突然出会ってクマの方がパニックになる状態である。
これは今でも熊鈴などヒト側の注意深い行動で防止できる。
では、上記(1)、(2)を達成するにはどうすればよいか。
(1)は昔のマタギの存在を復活させるような社会的システムを作ればよい。クマではなく、マタギのほうが絶滅危惧種と言われてから半世紀経つ。その結果、クマ社会(クマ家系かもしれないが)ではヒトは恐れる必要がない生物であるという常識が数世代にわたり続いてきた。その結果、クマがヒトを恐れなくなり、ヒトとの距離を取らなくなったのである。
マタギをそのまま復活することはできないだろうが、公共機関がマタギ的な役割を果たすことは可能である。訓練されたスナイパーが高齢者の格好で(マタギは大体高齢者に見える場合が多かったが)中山間地域で活動すれば、(1)は数年間で達成できる。クマ社会は今でも存在し、子どもの教育も普通の動物と同じだからである。
(2)は、ヒトの食料をどう管理するかという問題である。
知床などではキャンパーの食料を夜間ヒグマにとられないように鋼鉄製の箱に収めることが一般的になっている。クマの出没する地域では、食料や残飯がクマに食べられないよう、厳重な管理を条例などで義務付ける必要がある。果樹類については、(1)が有効に機能するまでは容易にクマが近づけないようバリアを強化するか、早急な収穫を行うことで対応すべきであろう。また、アウトドア活動者は持参する食料を金属製のパッケージに収め、シールも完全にして匂いが出ないように対策すべきである。
これら(1)、(2)は実現不可能なことではない。(2)を徹底するには時間がかかりそうだが、(1)を行政が早急に行うとともに良識ある人は(2)の対策を自主的に進めるべきだろう。
リスクがある場合、農耕社会ではリスクを避けない行動はそれだけで非難される。そのリスクの程度は各自が判断すべきなのだが、秩序を重んじないと社会が機能しなかった農耕社会では社会の「気」がその行動の善悪を決める。ゼロリスク論が多数派を占める社会なのである。
その結果、クマの密度が高い地方では野外行動はリスクとみなされ、アウトドアは事実上不可能になる。要するに必要もないのに屋外にいることはゼロリスク社会ではそれだけで悪ということになる。
仙台のある町内会では早朝の散歩を自粛するよう通知があったそうだ。
まして登山や釣りなどアウトドアは論外ということになる。これではコロナ時代と同じで、必要不可欠な外出は禁止されているのに等しい。
ではそのままクマを恐れてヒトは外出活動を自粛すべきなのか。そうではないだろう。その対策を工夫して、自由な活動を確保するのがヒトが自然と付き合ってきて、文化、文明を発展させてきた基礎のところにある。
クマ対策をどこまで進めるべきか、ゼロリスク論という達成不可能な論理を排除し、ある程度のリスクを認めつつヒトがアウトドア活動ができるようになるにはどうすればよいか。
それはクマが合理的な行動ができるよう教育することにあると思う。
ヒトでも合理的判断をできず、暴走することはある。それによる死傷者の数のほうが、クマの被害よりは圧倒的に多いはずだ。今でも交通事故による死者は約2500人/年でクマ被害者より二けたは多い。
なぜそれでもクマを恐れてしまうのかと言えば、クマの行動を非合理的なものだと決めつけているからであろう。即ち、クマは理由もなくヒトを襲うと考えるからである。
ヤクザな若者が力ない高齢者を襲うとの同じである。
ヤクザな若者が高齢者を襲わないように教育するにはどうすればいいかということだ。
その方法は2つある。
(1)高齢者を襲った場合、逆襲されて襲った方が致命傷を受ける可能性があるとヤクザな若者が認識するよう教育されている場合。
(2)高齢者を襲っても、メリットはないとヤクザな若者が認識するよう教育されている場合。
それ以外にヤクザな若者が高齢者を襲うことはあるかもしれないが、それはある意味心神喪失者が襲うのと同じでリスクとして許容せざるを得ない。クマがヒトに突然出会ってクマの方がパニックになる状態である。
これは今でも熊鈴などヒト側の注意深い行動で防止できる。
では、上記(1)、(2)を達成するにはどうすればよいか。
(1)は昔のマタギの存在を復活させるような社会的システムを作ればよい。クマではなく、マタギのほうが絶滅危惧種と言われてから半世紀経つ。その結果、クマ社会(クマ家系かもしれないが)ではヒトは恐れる必要がない生物であるという常識が数世代にわたり続いてきた。その結果、クマがヒトを恐れなくなり、ヒトとの距離を取らなくなったのである。
マタギをそのまま復活することはできないだろうが、公共機関がマタギ的な役割を果たすことは可能である。訓練されたスナイパーが高齢者の格好で(マタギは大体高齢者に見える場合が多かったが)中山間地域で活動すれば、(1)は数年間で達成できる。クマ社会は今でも存在し、子どもの教育も普通の動物と同じだからである。
(2)は、ヒトの食料をどう管理するかという問題である。
知床などではキャンパーの食料を夜間ヒグマにとられないように鋼鉄製の箱に収めることが一般的になっている。クマの出没する地域では、食料や残飯がクマに食べられないよう、厳重な管理を条例などで義務付ける必要がある。果樹類については、(1)が有効に機能するまでは容易にクマが近づけないようバリアを強化するか、早急な収穫を行うことで対応すべきであろう。また、アウトドア活動者は持参する食料を金属製のパッケージに収め、シールも完全にして匂いが出ないように対策すべきである。
これら(1)、(2)は実現不可能なことではない。(2)を徹底するには時間がかかりそうだが、(1)を行政が早急に行うとともに良識ある人は(2)の対策を自主的に進めるべきだろう。
最近のコメント