戦争と平和-トルストイとナイチンゲール,プーチン2022年08月16日 01:43

モスクワ河畔のピョートル大帝像
 浦和神経サナトリウムの院長先生がブログで引用している金沢美知子先生の記事
https://jnapcdc.com/LA/kanazawa2/index.html
によれば、
 トルストイとナイチンゲールはクリミア戦争でロシア軍側と連合軍側ですれ違い、トルストイは戦争の現実を自身の内面の向上として向き合い作家活動を始め、ナイチンゲールは戦争の現実的な課題の解決のため赤十字運動に向かったーという趣旨のことが書かれている。
 まさに「万人が善人であり、万人が悪人である」というトルストイの「セヴストーポリ」の八月での言葉が象徴する戦争が今もウクライナに繋がる歴史の教訓である。
 私の小学校の恩師は、どのような戦争体験をしたのか不明だが、戦中派なので国家というものに常に疑問を持っていたようだ。終戦という言葉を嫌い、敗戦の日というべきだと言っていたし、君が代も嫌っていた。戦中派は国家教育の嘘を身にしみて感じている人が多い。
 今日は旧盆の送り火の日である。
確かに、平和を祈る前に、やるべきことはたくさんあると思う。
統一教会問題一つとっても、日韓関係や個人の家庭的不幸の救済に関わる多くの歴史的課題があり、それは単に宗教による祈りだけで救済できそうにない。作られた物語を信じることで不幸を生んでいる例が多い。
 善人と悪人がすべての人に混在しているということを前提に一歩一歩、課題を解決するための活動を微力であっても個々人が開始する以外に平和への道はないようだ。

 写真はモスクワ川の中洲に建つピョートル大帝の像である。
高さは50メートル位はある。プーチンはこのロシアを大国にした初代皇帝の像を窓のすぐそばに見ながら、定宿にしていたモスクワ川沿いのプレジデントホテルで日夜ソ連崩壊後のロシアの政治戦略を練っていたのである。
 今回、プーチンがウクライナに攻め入った理由の一つには、この像を見て、自分もそうなりたいと思ったためもあろう。写真の下に写る、戦争の被害を最初に受けるような庶民の目線でこの像を見ることができなかったのである。