オフレコ破りの是非よりオフレコ会見自体の是非が問題だ2023年02月10日 20:22

 荒井補佐官がオフレコ会見でLGBTへの批判的発言をし、毎日新聞の上層部がオフレコ破りを指示してマスコミが一斉報道し、岸田首相が荒井補佐官を更迭する事態に至った。
 
 この結果、オフレコ破りをすることの是非がネットで話題になっている。確かに発言がひどいが、オフレコ破りも信義則違反だというわけである。そのオフレコ破りをしたのはマスコミが第三権力となっているという自覚の無さでもあり、批判すべき対象であるというわけである。

 しかし、もっと需要な論点は、オフレコ会見なる日本独特のなれ合い制度である。メディアと政治権力は常に緊張感をもって是々非々の関係でなければ、御用メディアにすぐになってしまう。

 オフレコ会見なるものを餌に、メディアを手なずけるのが権力側の常とう手段である。即ち、秘密情報を特定の記者にのみ知らせ、その優位性を確保してあげる代わりに無言の圧力をメディアに加えることを狙っている。

 自分で調査能力のないメディアは、この権力側の餌に簡単に食いついてしまうのである。これは一種の談合ともいえる国民への裏切りである。メディアは電波や運輸、独占取材、独占的スポーツ興行など多くの便宜を受けている。それは、メディアが国民のために権力の暴走を防ぐことが暗黙の了解事項になっているからである。

 その独立性が高いと期待されているメディアが談合まがいのオフレコ会見を行い、政府高官と個人的な関係を深めれば、だれが、公正な報道をしてくれるのだろうか。

 今回は毎日新聞の上層部がたまたまひどすぎるという判断でオフレコ破りをしたが、常にそうとは限らないし、その基準が特定の会社の特定人に依存しているという状態自体が極めて不健全である。

 すぐに政府と特定のメディアのオフレコ会見なる談合体制は止めるべきであり、それが民主的で平等な透明性のある社会の第一歩となる。これはLGBT差別が問題になるような非民主的な社会だからこそありうる慣習である。

 従って、オフレコ会見なる慣習を許してきた毎日新聞を含む大手メディアもLGBT拒否派の保守政治家を民主主義の根幹のところでは大きな差はないと言えよう。