仙台とクマとウマとヒトの意外な関係 ― 2026年05月26日 03:59
報道によれば、女性騎手のG1制覇の影響で仙台の街が注目されているらしい。
その関係性は以下のとおりである。
仙台在住の作家 伊坂幸太郎氏の作品「重力ピエロ」は仙台を舞台にした優れたミステリーである。最近映画化もされている。
一方、G1で女性騎手が乗った馬の馬主はこの作品に感服し、馬の名前をジュウリョクピエロと名付けたらしい。
そこで、この作品も仙台の名所、風景も注目されるようになったということである。出版社も映画配給会社も思わぬお年玉に喜んでいるようだ。
仙台は伊達政宗が広瀬川の西岸の崖の上に築城し発展した町である。天守台の上には騎馬に跨った伊達政宗の像が広瀬川の対岸に広がる仙台の街を見下ろしている。
そして背後には青葉山の原生林のままの東北大学植物園が広がっている。その西北には広大な東北大学のキャンパスがある。
これらはいずれも映画のロケ地になっている。
わたしも幼いころ青葉城の天守台から広瀬川の河岸に落ちる崖を手作りのそりで滑りスリル満点の遊びをしていた。大手門の堀の一部は五色沼と呼ばれた池で、昔は氷結したので私もフィギュアスケートを楽しんだ。ここは日本フィギュアスケート発祥の地なので、羽生結弦選手、荒川静香選手、千葉百音選手がメダルを取っているのは偶然ではない。
ところで小説や映画にはクマが出てこないが、実は広瀬川が仙台とクマを結ぶキーである。
広瀬川は仙台の中心部を通り、下流は名取川に合流し仙台湾に流れ込むが、上流は蔵王の北部の奥羽山脈の1500メートル級の背稜が水源になっている。支流にはニッカ工場がある新川(にっかわ)がある。(単なる偶然)
新川の奥、即ち奥新川にはその昔スキー場はあり、山形を結ぶ仙山線で汽車に乗ってスキーに行くのも冬の楽しみだった。
この仙山線には熊ヶ根駅という名前の駅があるのでクマは山奥には昔からいたのだろう。私も大東岳という仙山線近くの山で一人ビバークしていた際にクマの気配を感じたことがある。また、小学校のころ、先生や同級生と広瀬川の上流の大倉ダムまで熊ヶ根駅から歩いて見学に行ったこともある。当時は大倉ダムは仙台の水源として建設途中だったが、その道すがらクマとの遭遇のリスクを考なかったのだろう。先生も同級生も無警戒だった。クマもトラックの通る里まではおりてこなかったのである。
その源流には泉ヶ岳という現在の仙台市民の登山やスキーのメッカがあるが、そのスキー場である年の春先に一人で泉ヶ岳に登ろうとしていた時に私は親子熊を見かけた。大声を出したら逃げて行ったが当時はクマがヒトを避けていた時代だった。
仙台市街の北西部には、高度成長期に住宅地として開発された国見地区がある。ここも最近はクマが目撃され、自治会が早朝散歩自粛通知がでたそうだ。
しかし、この付近は昔国見峠と呼ばれ、小学校の時は市中心部からの遠足の定番であった。クマもヒトを避けていた時代である。
高校のころ、軽免許を取った私は国見峠から泉ヶ岳の麓に延びる林道を軽自動車で運転に慣れるために走っていたことがあった。峠を過ぎて森の中を走っていら、小学生が一人でランドセルを担いで歩いているのを見かけた。集落までは結構な距離があったので、声をかけて乗せたが、のどかな時代だった。襲われたり襲ったりというリスクなどヒトもクマも考えられなかったのである。
そののどかな時代から半世紀、世の中は交通機関が発達し、食料も豊富で便利になったが、その分、我々は森のクマの領分を侵食していった。中途半端な自然保護活動のためか、温暖化のためか、クマもヒトも環境の激変に対応できていない。
クマはシカなどの増加により森を追われて市街地に食料を求めるようになった。ヒトは車社会の恩恵とより広い居住空間を求めて郊外に住むようになった。この二つの波がぶつかってアーバンベアやヒトを襲うクマの問題が目立ってきたのだろう。
クマは賢く速い動物である。河川が山奥と市街地を障害物なく結ぶフリーウエーであることを熟知している。仙台ならば広瀬川に加え、泉ヶ岳を水源とする七北田(ななきた)川がある。
森を追われればこれらの川を通って食料豊富な市街地に来るのは自然の摂理でもある。
彼らは食料さえあれば森の中で暮らすことがリスクがいっぱいの市街地よりも安心なはずである。
早くヒトの知恵を絞って、クマにも優しい自然環境を取り戻すことが必要だがそれにはヒトの文化というものがある程度自然を改造して成立するという認識が必要だ。
ヒトによる文化的自然改造とクマの自然環境の回復の両立ができるモデル都市として、仙台市が成長していくことを期待したい。
そのためには、限られた国土での動物同士の生息域のバランスの確保とともに、ライフルなどによるヒトがリスクであるとクマ認識させるようなクマへの教育も必要だろう。
その関係性は以下のとおりである。
仙台在住の作家 伊坂幸太郎氏の作品「重力ピエロ」は仙台を舞台にした優れたミステリーである。最近映画化もされている。
一方、G1で女性騎手が乗った馬の馬主はこの作品に感服し、馬の名前をジュウリョクピエロと名付けたらしい。
そこで、この作品も仙台の名所、風景も注目されるようになったということである。出版社も映画配給会社も思わぬお年玉に喜んでいるようだ。
仙台は伊達政宗が広瀬川の西岸の崖の上に築城し発展した町である。天守台の上には騎馬に跨った伊達政宗の像が広瀬川の対岸に広がる仙台の街を見下ろしている。
そして背後には青葉山の原生林のままの東北大学植物園が広がっている。その西北には広大な東北大学のキャンパスがある。
これらはいずれも映画のロケ地になっている。
わたしも幼いころ青葉城の天守台から広瀬川の河岸に落ちる崖を手作りのそりで滑りスリル満点の遊びをしていた。大手門の堀の一部は五色沼と呼ばれた池で、昔は氷結したので私もフィギュアスケートを楽しんだ。ここは日本フィギュアスケート発祥の地なので、羽生結弦選手、荒川静香選手、千葉百音選手がメダルを取っているのは偶然ではない。
ところで小説や映画にはクマが出てこないが、実は広瀬川が仙台とクマを結ぶキーである。
広瀬川は仙台の中心部を通り、下流は名取川に合流し仙台湾に流れ込むが、上流は蔵王の北部の奥羽山脈の1500メートル級の背稜が水源になっている。支流にはニッカ工場がある新川(にっかわ)がある。(単なる偶然)
新川の奥、即ち奥新川にはその昔スキー場はあり、山形を結ぶ仙山線で汽車に乗ってスキーに行くのも冬の楽しみだった。
この仙山線には熊ヶ根駅という名前の駅があるのでクマは山奥には昔からいたのだろう。私も大東岳という仙山線近くの山で一人ビバークしていた際にクマの気配を感じたことがある。また、小学校のころ、先生や同級生と広瀬川の上流の大倉ダムまで熊ヶ根駅から歩いて見学に行ったこともある。当時は大倉ダムは仙台の水源として建設途中だったが、その道すがらクマとの遭遇のリスクを考なかったのだろう。先生も同級生も無警戒だった。クマもトラックの通る里まではおりてこなかったのである。
その源流には泉ヶ岳という現在の仙台市民の登山やスキーのメッカがあるが、そのスキー場である年の春先に一人で泉ヶ岳に登ろうとしていた時に私は親子熊を見かけた。大声を出したら逃げて行ったが当時はクマがヒトを避けていた時代だった。
仙台市街の北西部には、高度成長期に住宅地として開発された国見地区がある。ここも最近はクマが目撃され、自治会が早朝散歩自粛通知がでたそうだ。
しかし、この付近は昔国見峠と呼ばれ、小学校の時は市中心部からの遠足の定番であった。クマもヒトを避けていた時代である。
高校のころ、軽免許を取った私は国見峠から泉ヶ岳の麓に延びる林道を軽自動車で運転に慣れるために走っていたことがあった。峠を過ぎて森の中を走っていら、小学生が一人でランドセルを担いで歩いているのを見かけた。集落までは結構な距離があったので、声をかけて乗せたが、のどかな時代だった。襲われたり襲ったりというリスクなどヒトもクマも考えられなかったのである。
そののどかな時代から半世紀、世の中は交通機関が発達し、食料も豊富で便利になったが、その分、我々は森のクマの領分を侵食していった。中途半端な自然保護活動のためか、温暖化のためか、クマもヒトも環境の激変に対応できていない。
クマはシカなどの増加により森を追われて市街地に食料を求めるようになった。ヒトは車社会の恩恵とより広い居住空間を求めて郊外に住むようになった。この二つの波がぶつかってアーバンベアやヒトを襲うクマの問題が目立ってきたのだろう。
クマは賢く速い動物である。河川が山奥と市街地を障害物なく結ぶフリーウエーであることを熟知している。仙台ならば広瀬川に加え、泉ヶ岳を水源とする七北田(ななきた)川がある。
森を追われればこれらの川を通って食料豊富な市街地に来るのは自然の摂理でもある。
彼らは食料さえあれば森の中で暮らすことがリスクがいっぱいの市街地よりも安心なはずである。
早くヒトの知恵を絞って、クマにも優しい自然環境を取り戻すことが必要だがそれにはヒトの文化というものがある程度自然を改造して成立するという認識が必要だ。
ヒトによる文化的自然改造とクマの自然環境の回復の両立ができるモデル都市として、仙台市が成長していくことを期待したい。
そのためには、限られた国土での動物同士の生息域のバランスの確保とともに、ライフルなどによるヒトがリスクであるとクマ認識させるようなクマへの教育も必要だろう。
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