トリチウムの有機結合とカリウムによる内部被ばくの評価 ― 2024年06月01日 10:14
中ロの首脳による福島処理水におけるトリチウムの放出非難の報道は非科学的だったが、実際にトリチウムが体内でどの程度DNA損傷に影響するのかを体内に存在するカリウム放射能との比較で定量的に比較してみた。
一般に体内には成人で約3800ベクレルのカリウム‐40同位体(K-40,半減期12億7千万年)が存在している。
https://www.saitama-u.ac.jp/ashida/ques-box/quesbox144.htm
カリウムは必須栄養素なので、K-40も体内に存在しているわけだが、そのミトコンドリア内での作用は、細胞のエネルギー源とも言われている。酸素がなくても自然放射能なので、エネルギー、即ち熱源として利用されるのである。
しかし、K-40の放射線は1ベクレル当たり、1.33MeVのベータ線と1.46MeVのガンマ線であり、トリチウム(1ベクレル当たりの放射線18.591keV,平均5.7KeVのみ)に比べ3ケタ大きいエネルギの放射線を放出する。
1MeVのガンマ線の水中での飛程は約14㎝(スピンクス・ウッズ「放射線化学入門」産業図書、p.48)であるから、K-40のガンマ線は体内を貫通するエネルギーとなる。即ち、体内のどこかのDNAに衝突して損傷を与えることになる。これはヒトが誕生してから常に体内で内部被ばくを受けていることを意味する。
では、トリチウムではどうだろうか。
西尾、「被曝インフォデミック」、寿郎社、p.109によれば、
「体内で有機結合トリチウムとなったトリチウムからのベータ崩壊によりヘリウム‐3に核変換するために、DNAの水素結合が損傷される」と記載されている。
即ち、体内の有機結合トリチウム濃度が問題になるわけである。
(なお、トリチウムβ線は上記書籍では細胞1個分の飛程しかなく、細胞内のDNA重量比はヒトで0.06%(=6pg/10ng)程度であり、β線によるDNA損傷寄与は無視できるのでここでは、上記書籍の記述のようにヘリウム‐3への核変換によるDNA損傷を評価する。即ち、仮に、ベータ線でDNAが損傷したとしても、核変換による損傷に比べ、無視できるということにである。)
福島サイト沖の海水のトリチウム濃度は10ベクレル/Litter以下と報告されている。
https://www.tepco.co.jp/decommission/data/analysis/pdf_csv/2024/2q/seawater_rapid_measurement_240531-j.pdf
仮にこの濃度が体内でも存在すれば、体重60㎏の人は約600ベクレルのトリチウムを内包して内部被ばくを受けることになる。(上記濃度で毎日2Litterを飲むと20ベクレル/日であるが、濃縮なしでの平衡状態を想定した。)
これは、上記のメカニズムでDNAの水素結合部の水素のみが有機結合トリチウムに変わったという超安全側を想定した場合、K-40からのガンマ線によるDNA損傷の15%程度(=600/3800)の寄与になる。
上記書籍ではトリチウムの体内濃縮がありうるとしているが明確に記載されていない。この場合、その寄与はDNAの結合水素と細胞内の水素の比率まで許容できる。ヒトゲノムは約30億の塩基対からなる(二河、「生命分子と細胞の科学」、放送大学出版、p.116)が、各塩基対に水素が一個対応するとすれば、細胞当たり30億個のDNA結合水素が存在する。
一方、成人の細胞数を約60兆個とした場合、細胞一個の平均重量は約1ng(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E3%83%92%E3%83%88%E3%80%80%E7%B4%B0%E8%83%9E%E6%95%B0)であるので、細胞当たりの水の中の水素の個数は
6.23E23/18*1E-9 *0.6*2=7.5E14
となる。(水重量比率を60%と仮定)
即ち、DNAの30億のどこかの位置にトリチウムが取り入れられる確率は、トリチウム1個が600ベクレルの中で運よくその細胞に摂取されたとしても
30E8/7.5E14/1.79E-9=2.2E-5
(1.78E-9/sはトリチウムの崩壊定数)となる。
逆に言えばDNA内の有機結合トリチウムの生成において、トリチウム濃縮効果が2の4乗倍にできれば、その細胞のDNAにトリチウムが取り入れられるということである。
即ち、少なくともこれだけのトリチウム濃縮効果が細胞内で達成できなければ、体内に自然に存在するK-40の放射線影響には競合することができないということになる。
この書籍自身が被ばくインフォデミックにならないことを願います。
なお、トリチウムのベータ線によるDNA損傷の監察結果、濃度との関係については下記に詳しい。
https://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2022/01/77-01_035_researches3.pdf
一般に体内には成人で約3800ベクレルのカリウム‐40同位体(K-40,半減期12億7千万年)が存在している。
https://www.saitama-u.ac.jp/ashida/ques-box/quesbox144.htm
カリウムは必須栄養素なので、K-40も体内に存在しているわけだが、そのミトコンドリア内での作用は、細胞のエネルギー源とも言われている。酸素がなくても自然放射能なので、エネルギー、即ち熱源として利用されるのである。
しかし、K-40の放射線は1ベクレル当たり、1.33MeVのベータ線と1.46MeVのガンマ線であり、トリチウム(1ベクレル当たりの放射線18.591keV,平均5.7KeVのみ)に比べ3ケタ大きいエネルギの放射線を放出する。
1MeVのガンマ線の水中での飛程は約14㎝(スピンクス・ウッズ「放射線化学入門」産業図書、p.48)であるから、K-40のガンマ線は体内を貫通するエネルギーとなる。即ち、体内のどこかのDNAに衝突して損傷を与えることになる。これはヒトが誕生してから常に体内で内部被ばくを受けていることを意味する。
では、トリチウムではどうだろうか。
西尾、「被曝インフォデミック」、寿郎社、p.109によれば、
「体内で有機結合トリチウムとなったトリチウムからのベータ崩壊によりヘリウム‐3に核変換するために、DNAの水素結合が損傷される」と記載されている。
即ち、体内の有機結合トリチウム濃度が問題になるわけである。
(なお、トリチウムβ線は上記書籍では細胞1個分の飛程しかなく、細胞内のDNA重量比はヒトで0.06%(=6pg/10ng)程度であり、β線によるDNA損傷寄与は無視できるのでここでは、上記書籍の記述のようにヘリウム‐3への核変換によるDNA損傷を評価する。即ち、仮に、ベータ線でDNAが損傷したとしても、核変換による損傷に比べ、無視できるということにである。)
福島サイト沖の海水のトリチウム濃度は10ベクレル/Litter以下と報告されている。
https://www.tepco.co.jp/decommission/data/analysis/pdf_csv/2024/2q/seawater_rapid_measurement_240531-j.pdf
仮にこの濃度が体内でも存在すれば、体重60㎏の人は約600ベクレルのトリチウムを内包して内部被ばくを受けることになる。(上記濃度で毎日2Litterを飲むと20ベクレル/日であるが、濃縮なしでの平衡状態を想定した。)
これは、上記のメカニズムでDNAの水素結合部の水素のみが有機結合トリチウムに変わったという超安全側を想定した場合、K-40からのガンマ線によるDNA損傷の15%程度(=600/3800)の寄与になる。
上記書籍ではトリチウムの体内濃縮がありうるとしているが明確に記載されていない。この場合、その寄与はDNAの結合水素と細胞内の水素の比率まで許容できる。ヒトゲノムは約30億の塩基対からなる(二河、「生命分子と細胞の科学」、放送大学出版、p.116)が、各塩基対に水素が一個対応するとすれば、細胞当たり30億個のDNA結合水素が存在する。
一方、成人の細胞数を約60兆個とした場合、細胞一個の平均重量は約1ng(https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E3%83%92%E3%83%88%E3%80%80%E7%B4%B0%E8%83%9E%E6%95%B0)であるので、細胞当たりの水の中の水素の個数は
6.23E23/18*1E-9 *0.6*2=7.5E14
となる。(水重量比率を60%と仮定)
即ち、DNAの30億のどこかの位置にトリチウムが取り入れられる確率は、トリチウム1個が600ベクレルの中で運よくその細胞に摂取されたとしても
30E8/7.5E14/1.79E-9=2.2E-5
(1.78E-9/sはトリチウムの崩壊定数)となる。
逆に言えばDNA内の有機結合トリチウムの生成において、トリチウム濃縮効果が2の4乗倍にできれば、その細胞のDNAにトリチウムが取り入れられるということである。
即ち、少なくともこれだけのトリチウム濃縮効果が細胞内で達成できなければ、体内に自然に存在するK-40の放射線影響には競合することができないということになる。
この書籍自身が被ばくインフォデミックにならないことを願います。
なお、トリチウムのベータ線によるDNA損傷の監察結果、濃度との関係については下記に詳しい。
https://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/2022/01/77-01_035_researches3.pdf
日本における意見の異なる人への説得方法 ― 2024年06月07日 04:11
ある社会的課題について、人々の意見は様々であり、議論がかみ合わないことは普通にある。
そこで、人々は更に論争し、決着をつけたがるのであるが、決して納得はしない。議論で決着をつけるのが正統派であるいわゆる合理主義的考えが通らないのである。中島みゆきの歌のように、ヒトはみな望む答えだけを聞きたがるものなのである。(〽永遠の嘘をついてくれ)
しかし、日本においてこの問題に対する唯一の解があるように思う。それは、自分の人柄を論争相手にわかってもらうことである。そして、自分が決して相手に対する真の敵ではないということを納得してもらうことである。
そのためにはいわゆる腹を割って付き合うことである。決して最終目的である社会的課題に触れてはいけない。相手と共有できる関心事項についてのみ話し合って、自分の人柄を分かってもらい、相手の共感を得ることである。
これは所謂優秀なセールスマンの客へのアプローチの方法と似ている。ただ、目的が多少異なる。セールスマンは対象とする商品のみが関心事項だが、社会的課題については、その人の心理的な立場が深く関わる。その人自身の心理的な支柱になっていることが多い。
相手の心理的支柱を多少こちら側にずらすことができれば、ある程度説得できたことになる。そのためには自分が相手の敵ではないことを理解してもらう必要がある。そのためにはまず自分の人柄を共通関心事の話題により理解してもらうことが重要になる。
この手順により相手は自分に心理的に関心を持つようになり、自分がなぜそのように考え、相手と異なる意見を持つのかを相手自身が考えるようになる。そして、相手の心理的支柱が徐々にずれてくるのである。
そのタイミングで、自分の考えを伝えることができれば、相手が自分の考えに関心を持つようになる。そして、共通認識の範囲が広がるのである。このレベルまでで十分であろう。ヒトが他人と同じ意見をもつなどという幻想は早く捨てなければならない。様々な意見がある中で、どこまで共通認識の範囲を広げてられるかが、真の議論の成立性、民主化の実効性を決める。
社会的課題を議論しているように見えて、実際には人は自分の心理的支柱を吐露をすることで、社会的な認知を願っていることがほとんどなのである。日本では(あるいは世界的にも)最初に共通の関心事を話題にすることで、相手を社会的に認知していることを納得してもらうことから始めなければならない。。
そこで、人々は更に論争し、決着をつけたがるのであるが、決して納得はしない。議論で決着をつけるのが正統派であるいわゆる合理主義的考えが通らないのである。中島みゆきの歌のように、ヒトはみな望む答えだけを聞きたがるものなのである。(〽永遠の嘘をついてくれ)
しかし、日本においてこの問題に対する唯一の解があるように思う。それは、自分の人柄を論争相手にわかってもらうことである。そして、自分が決して相手に対する真の敵ではないということを納得してもらうことである。
そのためにはいわゆる腹を割って付き合うことである。決して最終目的である社会的課題に触れてはいけない。相手と共有できる関心事項についてのみ話し合って、自分の人柄を分かってもらい、相手の共感を得ることである。
これは所謂優秀なセールスマンの客へのアプローチの方法と似ている。ただ、目的が多少異なる。セールスマンは対象とする商品のみが関心事項だが、社会的課題については、その人の心理的な立場が深く関わる。その人自身の心理的な支柱になっていることが多い。
相手の心理的支柱を多少こちら側にずらすことができれば、ある程度説得できたことになる。そのためには自分が相手の敵ではないことを理解してもらう必要がある。そのためにはまず自分の人柄を共通関心事の話題により理解してもらうことが重要になる。
この手順により相手は自分に心理的に関心を持つようになり、自分がなぜそのように考え、相手と異なる意見を持つのかを相手自身が考えるようになる。そして、相手の心理的支柱が徐々にずれてくるのである。
そのタイミングで、自分の考えを伝えることができれば、相手が自分の考えに関心を持つようになる。そして、共通認識の範囲が広がるのである。このレベルまでで十分であろう。ヒトが他人と同じ意見をもつなどという幻想は早く捨てなければならない。様々な意見がある中で、どこまで共通認識の範囲を広げてられるかが、真の議論の成立性、民主化の実効性を決める。
社会的課題を議論しているように見えて、実際には人は自分の心理的支柱を吐露をすることで、社会的な認知を願っていることがほとんどなのである。日本では(あるいは世界的にも)最初に共通の関心事を話題にすることで、相手を社会的に認知していることを納得してもらうことから始めなければならない。。
不連続連載小説 松尾大源(7) ― 2024年06月16日 18:10
大源は30名に及ぶ一行の中では最年少であった。そのためか、或いはソテロが特に可愛がったためか、スペイン語の習得は早く、地元民との意思疎通には問題がなかった。そして、スペインにとっての宗主国であるバチカンがあるローマの日常語も彼はマスターできたのであった。
マドリッドに一行が到着して半年後の1615年夏にバチカンからのやっと謁見の許可が下りたとの連絡が入った。但し、人数は最小限にしてもらいたいとのことであった。バチカンとしては、東洋の小国の代表、それもキリスト教禁令の出ている国の派遣団と公式に会うことをできるだけ目立たせなくないとの意向があったのである。
そのため、バチカンに向かったのは10名足らずであった。当然、大源も留め置かれるかと思われたが、彼には通訳ができるほどの語学力がついていたのである。若いということがここで生きたのである。
しかし、バチカンに到着し、明日は法王に謁見できるという朝、謁見できる人数は7名にしてくれとの連絡が入り、大源は法王庁には行けなくなったのである。やはり若年者であるということがその理由になっていた。
常長らが法王庁に向かった当日、大源は時間を持て余し、ローマの街を一人見物することとした。ソテロに教わっていたおかげで、意思疎通に不安はなかった。
そして、ある街かどで、仙台では見慣れたはずの素麺作りをしている現場にであったのである。ただ、わずかに作り方が違っていた。素麺では小麦を長く伸ばす際に切れないように植物油を薄く塗るのである。それが仙台での作り方と異なっていた。話を聞くと、捻りながら打った麺を伸ばすことで植物油を使わずに細い麺を作ることができるそうである。それが現地ではスパゲッティと呼ばれているポピュラーな食べ物だった。ただ、その麺の色はやや黄色ががった見慣れないものだった。小麦の種類がことなるスパゲッティ専用の小麦だそうである。
大源は政宗から西欧との交易のための知識を得てくるようにとの命も受けていた。この植物油を使用しない麺の作り方をマスターするために、その後、常長がローマを離れるまでにそのスパゲッティ工場に数回通い、実際にスパゲティの作り方を習得してしまったのである。
マドリッドに一行が到着して半年後の1615年夏にバチカンからのやっと謁見の許可が下りたとの連絡が入った。但し、人数は最小限にしてもらいたいとのことであった。バチカンとしては、東洋の小国の代表、それもキリスト教禁令の出ている国の派遣団と公式に会うことをできるだけ目立たせなくないとの意向があったのである。
そのため、バチカンに向かったのは10名足らずであった。当然、大源も留め置かれるかと思われたが、彼には通訳ができるほどの語学力がついていたのである。若いということがここで生きたのである。
しかし、バチカンに到着し、明日は法王に謁見できるという朝、謁見できる人数は7名にしてくれとの連絡が入り、大源は法王庁には行けなくなったのである。やはり若年者であるということがその理由になっていた。
常長らが法王庁に向かった当日、大源は時間を持て余し、ローマの街を一人見物することとした。ソテロに教わっていたおかげで、意思疎通に不安はなかった。
そして、ある街かどで、仙台では見慣れたはずの素麺作りをしている現場にであったのである。ただ、わずかに作り方が違っていた。素麺では小麦を長く伸ばす際に切れないように植物油を薄く塗るのである。それが仙台での作り方と異なっていた。話を聞くと、捻りながら打った麺を伸ばすことで植物油を使わずに細い麺を作ることができるそうである。それが現地ではスパゲッティと呼ばれているポピュラーな食べ物だった。ただ、その麺の色はやや黄色ががった見慣れないものだった。小麦の種類がことなるスパゲッティ専用の小麦だそうである。
大源は政宗から西欧との交易のための知識を得てくるようにとの命も受けていた。この植物油を使用しない麺の作り方をマスターするために、その後、常長がローマを離れるまでにそのスパゲッティ工場に数回通い、実際にスパゲティの作り方を習得してしまったのである。
不連続連載小説 松尾大源(8) ― 2024年06月21日 11:00
ローマから日本までの帰路は往路とは一部異なる航海だった。
スペインのグラナダを経由し、ジブラルタルを過ぎ、メキシコに上陸したのはすでにローマを経ってから半年を過ぎていた。
大源は、スペインに残してきた藩士の仲間のことも気にはなっていたが、すでに日本ではキリシタン禁令が敷かれ、常長以下が全員洗礼を受けており、日本に帰ってからの処遇がどうなるのかが最大の心配事であった。
メキシコを陸路アカプルコまで横断する際も、ソテロとはそのことだけが話題になっていた。
アカプルコからの太平洋横断は貿易風にのり、すでにスペインの植民地となっていたフィリピンを経由して東シナ海を北上するのが当時の一般的な航路だった。
ソテロの口利きでで同乗したスペイン海軍の軍艦は、帆船とはいえ、台風など問題とはしないほど強靭な船体で、順調に太平洋を渡り切った、
フィリピンから長崎までは、まだ南蛮貿易を続けていた民間船に乗ることができた。問題は、長崎にソテロが上陸できるかであった。船が長崎港に入ると、幕府の役人が乗り込んできた。
やはり、宣教師であるソテロは上陸を拒否され、仙台藩士だけが鹿児島への上陸を許可されのだった。
スペインのグラナダを経由し、ジブラルタルを過ぎ、メキシコに上陸したのはすでにローマを経ってから半年を過ぎていた。
大源は、スペインに残してきた藩士の仲間のことも気にはなっていたが、すでに日本ではキリシタン禁令が敷かれ、常長以下が全員洗礼を受けており、日本に帰ってからの処遇がどうなるのかが最大の心配事であった。
メキシコを陸路アカプルコまで横断する際も、ソテロとはそのことだけが話題になっていた。
アカプルコからの太平洋横断は貿易風にのり、すでにスペインの植民地となっていたフィリピンを経由して東シナ海を北上するのが当時の一般的な航路だった。
ソテロの口利きでで同乗したスペイン海軍の軍艦は、帆船とはいえ、台風など問題とはしないほど強靭な船体で、順調に太平洋を渡り切った、
フィリピンから長崎までは、まだ南蛮貿易を続けていた民間船に乗ることができた。問題は、長崎にソテロが上陸できるかであった。船が長崎港に入ると、幕府の役人が乗り込んできた。
やはり、宣教師であるソテロは上陸を拒否され、仙台藩士だけが鹿児島への上陸を許可されのだった。
パンツの腰ひもを抜けにくくする方法 ― 2024年06月23日 20:17
パンツのゴム紐に沿って内側を通した伸びない腰ひもが洗濯中などに抜けてしまうことは往々にしてある。
この腰ひもはゴムが緩んだ場合やしっかりパンツを抑えたい場合などに有用であるが、いったんこれが抜けると再度孔に通して一周させるのは意外に時間と手間がかかる。
では多少のことでは腰ひもが抜けないようにする方法はないか、検討してみた。その結果、
(1)パンツをはいたときにへその前に二つの孔がある。右側の孔から腰ひもを入れて、左側の孔からだすのが普通だが、これを左側の孔から入れて右側の孔に出すように変更する。
(2)次に、両側の孔から出た2つの紐の端を正しく2回結ぶ。
(3)更にパンツのゴム紐を完全に伸ばした状態にして孔から出た紐の位置に同じく2回結んだ結び目を作る。これを逆側の紐に対しても行う。
これだけで、腰ひもが抜ける確率は1桁下がる(はずである。)
即ち、仮に右側の紐の(3)で結んだ結び目が孔から内側に入り込んでも、左側の紐の(3)で結んだ結び目が邪魔になってそれ以上引っ張り込まれないのである。
但し、この結び目干渉実験は1回しかしていないので、条件によっては抜ける場合もあるかもしれないが、従来の単純結び目の方法よりは抜け確率は一桁程度下がるはずである。
(申し訳ありませんが、仮に紐が抜けて何らかの損害を負われても、当局は一切の責任と補償は負いかねます。)
この腰ひもはゴムが緩んだ場合やしっかりパンツを抑えたい場合などに有用であるが、いったんこれが抜けると再度孔に通して一周させるのは意外に時間と手間がかかる。
では多少のことでは腰ひもが抜けないようにする方法はないか、検討してみた。その結果、
(1)パンツをはいたときにへその前に二つの孔がある。右側の孔から腰ひもを入れて、左側の孔からだすのが普通だが、これを左側の孔から入れて右側の孔に出すように変更する。
(2)次に、両側の孔から出た2つの紐の端を正しく2回結ぶ。
(3)更にパンツのゴム紐を完全に伸ばした状態にして孔から出た紐の位置に同じく2回結んだ結び目を作る。これを逆側の紐に対しても行う。
これだけで、腰ひもが抜ける確率は1桁下がる(はずである。)
即ち、仮に右側の紐の(3)で結んだ結び目が孔から内側に入り込んでも、左側の紐の(3)で結んだ結び目が邪魔になってそれ以上引っ張り込まれないのである。
但し、この結び目干渉実験は1回しかしていないので、条件によっては抜ける場合もあるかもしれないが、従来の単純結び目の方法よりは抜け確率は一桁程度下がるはずである。
(申し訳ありませんが、仮に紐が抜けて何らかの損害を負われても、当局は一切の責任と補償は負いかねます。)
BNCTが未来のがん治療法なんだって!? ― 2024年06月24日 19:12
今日(6月24日)午後のテレビ朝日のドクターXの再放送ではBNCT(ホウ素中性子捕獲療法)によるがん治療が取り上げられていた。BNCTは、ホウ素薬剤ががん細胞に集中する性質を利用し、体外から照射した中性子がホウ素と核反応して発生するアルファ線など飛程の短い粒子により、がん細胞のみを選択的に死滅させる治療法である。
https://stella-pharma.co.jp/bnct/
この番組のシナリオで治療対象が甲状腺がんとしている事に対してはステラファーマ社から誤解をまねくとのコメントが出ている。
https://stella-pharma.co.jp/blog/1353/
しかし、より大きな誤解を招くこの番組の問題点は「BNCTが未来の治療法である」というセリフが数回あったことである。
ステラファーマ社の解説(下記サイトのBNCTの歴史参照)にあるように、海外では1930年代から、日本でも1960年代から500症例以上の治療実績がある。BNCTはドクターXでも手術困難な脳内に拡散した脳腫瘍や頸頭部がん、体内各部に転移した末期がんでも治療可能な治療法として注目されていた。
https://stella-pharma.co.jp/bnct/
それがなぜ、2020年代まで実用化が遅れたのか。それは原子力離れの世情が大きく影響している。
1960~70年代にかけて、原研JRR-3や武蔵工大炉、京大炉などで研究用原子炉の中性子を利用した、手術困難ながん患者へのBNCT治療が行われていた。
しかし、その後の日本国内の原子力への逆風の影響もあり、これらの研究炉の多くは廃炉に追い込まれ、原子炉中性子によるBNCT治療の開発ができる場所がなくなっていった。
原子炉が利用できないため、住友重機など加速器メーカーによる加速器で発生する中性子を用いたBNCTシステムの開発が行われ、2020年代になってやっと実用レベルの中性子強度が加速器でも得られるようになったのである。
研究用原子炉による中性子束レベルよりも加速器による中性子束レベルが5桁以上小さかったため、なかなか治療に使える中性子発生装置が加速器では実現できなかった。しかし、近年、主に加速器の中性子発生部分(加速された陽子が金属板に衝突するターゲット部分)の構造改良が進み、数時間の照射で治療効果が得られるレベルまで、システムが改良できたのである。患者を何日間も加速器の横にじっと寝させておく事は不可能である。
問題は、加速器の製造コストが高く、その原価償却費用が大分部分を占めるため一人当たりの治療費も実質的に数百万円レベルになることである。この費用の低減のためには、照射可能な患者数を増やせるよう、加速器の中性子レベルをさらに2桁程度はあげたいところであるが、ターゲットの冷却の問題がクリティカルになり、簡単には安くできない。
加速器に比べ、研究用原子炉の中性子束レベルは3桁以上は大きいきいのである。もし、研究用原子炉が各地に設置され、BNCT治療が可能になれば、患者当たり数万円レベルの費用で多くのがん患者がこの治療を受けることが可能になる。
この点も含めて日本人の原子力利用への考え方、マスコミの報道姿勢が見直される必要がある。
加速器でもある程度の放射能は発生しているのである。更に陽子加速のための大量の電力も必要である。一方、がん治療に伴う医療費の大幅削減も急務である。
原子炉によるBNCT治療法開発を行っていた武蔵工大炉は、高度成長期に周辺が宅地化され、その近隣住民の反対運動で廃炉に追い込まれた。こういう歴史を忘れてはならない。
https://stella-pharma.co.jp/bnct/
この番組のシナリオで治療対象が甲状腺がんとしている事に対してはステラファーマ社から誤解をまねくとのコメントが出ている。
https://stella-pharma.co.jp/blog/1353/
しかし、より大きな誤解を招くこの番組の問題点は「BNCTが未来の治療法である」というセリフが数回あったことである。
ステラファーマ社の解説(下記サイトのBNCTの歴史参照)にあるように、海外では1930年代から、日本でも1960年代から500症例以上の治療実績がある。BNCTはドクターXでも手術困難な脳内に拡散した脳腫瘍や頸頭部がん、体内各部に転移した末期がんでも治療可能な治療法として注目されていた。
https://stella-pharma.co.jp/bnct/
それがなぜ、2020年代まで実用化が遅れたのか。それは原子力離れの世情が大きく影響している。
1960~70年代にかけて、原研JRR-3や武蔵工大炉、京大炉などで研究用原子炉の中性子を利用した、手術困難ながん患者へのBNCT治療が行われていた。
しかし、その後の日本国内の原子力への逆風の影響もあり、これらの研究炉の多くは廃炉に追い込まれ、原子炉中性子によるBNCT治療の開発ができる場所がなくなっていった。
原子炉が利用できないため、住友重機など加速器メーカーによる加速器で発生する中性子を用いたBNCTシステムの開発が行われ、2020年代になってやっと実用レベルの中性子強度が加速器でも得られるようになったのである。
研究用原子炉による中性子束レベルよりも加速器による中性子束レベルが5桁以上小さかったため、なかなか治療に使える中性子発生装置が加速器では実現できなかった。しかし、近年、主に加速器の中性子発生部分(加速された陽子が金属板に衝突するターゲット部分)の構造改良が進み、数時間の照射で治療効果が得られるレベルまで、システムが改良できたのである。患者を何日間も加速器の横にじっと寝させておく事は不可能である。
問題は、加速器の製造コストが高く、その原価償却費用が大分部分を占めるため一人当たりの治療費も実質的に数百万円レベルになることである。この費用の低減のためには、照射可能な患者数を増やせるよう、加速器の中性子レベルをさらに2桁程度はあげたいところであるが、ターゲットの冷却の問題がクリティカルになり、簡単には安くできない。
加速器に比べ、研究用原子炉の中性子束レベルは3桁以上は大きいきいのである。もし、研究用原子炉が各地に設置され、BNCT治療が可能になれば、患者当たり数万円レベルの費用で多くのがん患者がこの治療を受けることが可能になる。
この点も含めて日本人の原子力利用への考え方、マスコミの報道姿勢が見直される必要がある。
加速器でもある程度の放射能は発生しているのである。更に陽子加速のための大量の電力も必要である。一方、がん治療に伴う医療費の大幅削減も急務である。
原子炉によるBNCT治療法開発を行っていた武蔵工大炉は、高度成長期に周辺が宅地化され、その近隣住民の反対運動で廃炉に追い込まれた。こういう歴史を忘れてはならない。
不連続連載小説 松尾大源(9) ― 2024年06月25日 08:54
長崎から仙台までの一か月の道中も、常長らと一緒とはいえ、大源にとっては、針の筵の上を歩く厳しい旅だった。
すでに、キリシタン禁令は全国に行きわたっており、彼らは幕府の役人の監視下、武士の命である刀を取り上げられ、目立たぬ服装で歩くしかなかったのである。
まして、藩主正宗から指示があった西欧との貿易の目途はつかず、仙台に着いたらどんな沙汰が待っているのか、6年ぶりの日本の変わりように心は沈むばかりだった。
常長はどんな気持ちでこの旅を見ているのだろうか。どのような処遇になるのだろうか。ソテロが日本に来ることはできるのだろうか。それよりも長崎で見聞きしたように、我々一行がキリシタン禁令に触れるとして仙台で火あぶりになったりすることはないのだろうか。
伊達政宗は機を見るに敏な藩主である。家康が、日光に東照宮を作ると、仙台にも同じように町の東の端に東照宮を建て、北山には輪王寺まで建立し、日光と同じような城下町とすることで家康のご機嫌取りをした。
本心はどうであれ、表立って幕府への反発はできないはずだ。数年前に反発する異母弟を討ち首にしたという政宗の噂は嘘で、実際には、多摩の五日町の旧庵へ出家させたということは聞いてはいた。
我々は政宗の親戚ですらない。結果的に政宗の命を達成できなかったのだから、打ち首になっても仕方はなかった。
だが、政宗はそれほど冷たい藩主ではなかった。仙台城に到着して彼らが受けた裁量は、故郷での蟄居だった。常長は仙台の西、蔵王の麓の川崎に、大源は川崎に隣接する村田に戻されたのである。
蔵王と東側の丘陵に挟まれて盆地になった村田は冬は蔵王降ろしが冷たく、夏は仙台湾からの海風が届かないために多くの農民が日射病で倒れる厳しい気候だった。
まだ、三十にもならない、若い大源は、滞在した欧州の事物の記憶を整理しながら、この村田からの脱出の機会を窺っていた。
すでに、キリシタン禁令は全国に行きわたっており、彼らは幕府の役人の監視下、武士の命である刀を取り上げられ、目立たぬ服装で歩くしかなかったのである。
まして、藩主正宗から指示があった西欧との貿易の目途はつかず、仙台に着いたらどんな沙汰が待っているのか、6年ぶりの日本の変わりように心は沈むばかりだった。
常長はどんな気持ちでこの旅を見ているのだろうか。どのような処遇になるのだろうか。ソテロが日本に来ることはできるのだろうか。それよりも長崎で見聞きしたように、我々一行がキリシタン禁令に触れるとして仙台で火あぶりになったりすることはないのだろうか。
伊達政宗は機を見るに敏な藩主である。家康が、日光に東照宮を作ると、仙台にも同じように町の東の端に東照宮を建て、北山には輪王寺まで建立し、日光と同じような城下町とすることで家康のご機嫌取りをした。
本心はどうであれ、表立って幕府への反発はできないはずだ。数年前に反発する異母弟を討ち首にしたという政宗の噂は嘘で、実際には、多摩の五日町の旧庵へ出家させたということは聞いてはいた。
我々は政宗の親戚ですらない。結果的に政宗の命を達成できなかったのだから、打ち首になっても仕方はなかった。
だが、政宗はそれほど冷たい藩主ではなかった。仙台城に到着して彼らが受けた裁量は、故郷での蟄居だった。常長は仙台の西、蔵王の麓の川崎に、大源は川崎に隣接する村田に戻されたのである。
蔵王と東側の丘陵に挟まれて盆地になった村田は冬は蔵王降ろしが冷たく、夏は仙台湾からの海風が届かないために多くの農民が日射病で倒れる厳しい気候だった。
まだ、三十にもならない、若い大源は、滞在した欧州の事物の記憶を整理しながら、この村田からの脱出の機会を窺っていた。
不連続連載小説 松尾大源(10) ― 2024年06月27日 15:20
村田に引き篭もってから一年が経った頃、長崎で別れた黒川市之丞からソテロが密入国したとの知らせが入った。常長は帰国以来、病いがちとなり、長旅はできそうになかった。
大源は一人、僧の出立ちで長崎に向かうこととした。当時、侍が身分を隠して他国を旅するには、僧侶の恰好をするのが最も安全だった。彼がクリスチャンである事など、気にする必要もなかった。市之丞は長崎で隠れキリシタンとしての活動を密かに行っていたのである。
村田から南に延びる田舎道は、白石の北、宮で奥州街道に交わる。ここは蔵王の刈田岳にある刈田嶺神社の下社があるので宮と呼ばれており、今も蔵王に登るための交通の要衝となっている。
大源は奥州街道をさらに南下し、正宗の筆頭家老であった片倉小十郎の居城、白石の城下に入った。村田から六里(24キロ)を人目につかず歩くのは精神的にも疲れる旅であった。
町外れで旅籠を探していると一人の青年が食べ物屋で困った顔をしている。話を聞くと、親が食事がとれないため、やせ細っていく一方だという。当時の庶民はコメよりは安い麺類を主食としていたが、一般的な素麺は、細く伸ばす際に切れないようにするために薄く食用油をまぶしていた。その脂分が高齢者には消化を妨げるものとなっていたのである。
その晩、大源は、ローマの街角で習った、スパゲッティの油を使わない麺の伸ばし方を思い出していた。翌朝、青年の家を訪ねた。この青年にスパゲッティと同じように打った麺を捻りながら伸ばすことで、途中で切れないうえに細くできる麺の製造法を、詳しく伝授したのである。
(注1)スパゲッティが黄色いのは、油のよるものではなく、用いられる小麦自体の色に由来しています。
(注2)半導体基板の製造に関連した粘性液体の研究では、下記の沖縄科学技術大学院大学サイトに示されているように捻ることで粘性液体の切れを良くすることができるそうです。
https://www.oist.jp/ja/news-center/news/2021/6/15/new-twist-break-viscoelastic-liquid-bridges
しかし、打った麺のような高粘性材料では、伸ばす際に逆に捻りながら行うと切れにくくなることがあり、これは捻ることで細い材料内での応力集中を防ぐ効果が生じると考えられています。
ChatGPTによれば、
「捻ったほうが切れやすい場合がある一方で、条件によっては捻ることで逆に切れにくくなる場合もあります。これは粘弾性液体の特性やひねりの条件によって異なります。
切れにくくなる可能性のある要因
粘弾性の高い液体: 粘弾性が高い液体は、ひねりによって内部の応力が吸収・分散されやすくなり、破断が遅れることがあります。
ひねりの速度: ひねりの速度が遅い場合、液体が変形に追随する時間があり、破断しにくくなることがあります。急速なひねりは逆に内部応力を急激に増加させるため、破断しやすくなります。
液体の粘度: 高粘度の液体は、ひねりに対してより抵抗するため、破断までに時間がかかることがあります。
ひねりの角度: ひねりの角度が一定の範囲内であれば、液体ブリッジが安定することがあります。角度が大きすぎると破断しやすくなりますが、小さい角度であれば切れにくいことがあります。
具体的なシナリオ
材料の分子構造: 例えば、高分子溶液のような液体では、分子の絡み合いやネットワーク構造がひねりによって解消されることなく、逆に安定化することがあります。
応力緩和: 粘弾性液体は、時間とともに応力を緩和する特性があります。ゆっくりとしたひねりでは応力が内部で緩和され、破断が遅れることがあります。
実験条件の影響
具体的な実験条件(温度、ひねりの速度、液体の粘度など)によって、ひねりが破断に与える影響は大きく変わります。そのため、ひねりが必ずしも液体ブリッジの破断を促進するとは限らず、場合によっては逆の効果を持つこともあるのです。
このような特性を理解することで、例えば、より強固な接着剤や特殊なコーティング材を開発する際の指針となります。」
ChatGPTの回答に示されるように、白石ウーメンの製造法方法は現代の半導体製造方法にも関係する特異な技術ともいえます。
大源は一人、僧の出立ちで長崎に向かうこととした。当時、侍が身分を隠して他国を旅するには、僧侶の恰好をするのが最も安全だった。彼がクリスチャンである事など、気にする必要もなかった。市之丞は長崎で隠れキリシタンとしての活動を密かに行っていたのである。
村田から南に延びる田舎道は、白石の北、宮で奥州街道に交わる。ここは蔵王の刈田岳にある刈田嶺神社の下社があるので宮と呼ばれており、今も蔵王に登るための交通の要衝となっている。
大源は奥州街道をさらに南下し、正宗の筆頭家老であった片倉小十郎の居城、白石の城下に入った。村田から六里(24キロ)を人目につかず歩くのは精神的にも疲れる旅であった。
町外れで旅籠を探していると一人の青年が食べ物屋で困った顔をしている。話を聞くと、親が食事がとれないため、やせ細っていく一方だという。当時の庶民はコメよりは安い麺類を主食としていたが、一般的な素麺は、細く伸ばす際に切れないようにするために薄く食用油をまぶしていた。その脂分が高齢者には消化を妨げるものとなっていたのである。
その晩、大源は、ローマの街角で習った、スパゲッティの油を使わない麺の伸ばし方を思い出していた。翌朝、青年の家を訪ねた。この青年にスパゲッティと同じように打った麺を捻りながら伸ばすことで、途中で切れないうえに細くできる麺の製造法を、詳しく伝授したのである。
(注1)スパゲッティが黄色いのは、油のよるものではなく、用いられる小麦自体の色に由来しています。
(注2)半導体基板の製造に関連した粘性液体の研究では、下記の沖縄科学技術大学院大学サイトに示されているように捻ることで粘性液体の切れを良くすることができるそうです。
https://www.oist.jp/ja/news-center/news/2021/6/15/new-twist-break-viscoelastic-liquid-bridges
しかし、打った麺のような高粘性材料では、伸ばす際に逆に捻りながら行うと切れにくくなることがあり、これは捻ることで細い材料内での応力集中を防ぐ効果が生じると考えられています。
ChatGPTによれば、
「捻ったほうが切れやすい場合がある一方で、条件によっては捻ることで逆に切れにくくなる場合もあります。これは粘弾性液体の特性やひねりの条件によって異なります。
切れにくくなる可能性のある要因
粘弾性の高い液体: 粘弾性が高い液体は、ひねりによって内部の応力が吸収・分散されやすくなり、破断が遅れることがあります。
ひねりの速度: ひねりの速度が遅い場合、液体が変形に追随する時間があり、破断しにくくなることがあります。急速なひねりは逆に内部応力を急激に増加させるため、破断しやすくなります。
液体の粘度: 高粘度の液体は、ひねりに対してより抵抗するため、破断までに時間がかかることがあります。
ひねりの角度: ひねりの角度が一定の範囲内であれば、液体ブリッジが安定することがあります。角度が大きすぎると破断しやすくなりますが、小さい角度であれば切れにくいことがあります。
具体的なシナリオ
材料の分子構造: 例えば、高分子溶液のような液体では、分子の絡み合いやネットワーク構造がひねりによって解消されることなく、逆に安定化することがあります。
応力緩和: 粘弾性液体は、時間とともに応力を緩和する特性があります。ゆっくりとしたひねりでは応力が内部で緩和され、破断が遅れることがあります。
実験条件の影響
具体的な実験条件(温度、ひねりの速度、液体の粘度など)によって、ひねりが破断に与える影響は大きく変わります。そのため、ひねりが必ずしも液体ブリッジの破断を促進するとは限らず、場合によっては逆の効果を持つこともあるのです。
このような特性を理解することで、例えば、より強固な接着剤や特殊なコーティング材を開発する際の指針となります。」
ChatGPTの回答に示されるように、白石ウーメンの製造法方法は現代の半導体製造方法にも関係する特異な技術ともいえます。
不連続連載小説 松尾大源(11) ― 2024年06月28日 17:00
身分を隠す旅ならば当然ではあるが、大源は翌日、名前も告げずに奥州街道を南に旅立っていった。青年の製作した麺は大源の見聞きしたスパゲッティより更に細く、固かった。そして、型崩れせずに短く切ることもできた。簡単に茹でられしかも消化も良かった。青年の親は見る間に回復し、この麺は従来のそうめんに比べて美味しく、調理しやすく、消化にもよいと城下町で評判になっていった。城主小十郎はこの話を主君政宗にも伝えたのである。
実は政宗の元にもソテロが長崎に戻った知らせは入っていた。その後、大源が 村田を密かに旅立ったことも聞いてはいたが黙認していたのである。政宗が派遣したのに帰ってきて幕府の命令で蟄居させたのだから当然である。
政宗は小次郎からの知らせを聞き、彼が白石で遣欧使節団としての最後の仕事を成したことを察知したのである。
そして、小十郎に白石の地産品として広めるよう指示したが、仙台藩一円にも白石温麺(ウーメン)という名で広めたのである。
現在、仙台駅でも白石ウーメンを食することができるし、各地の百貨店、ネットでも購入ができるほどの人気商品になったのは政宗のこの罪滅ぼしともいえる動きのおかげである。
政宗は実は大変情に厚い人物であり、弟を殺めたというのも戦国武将が天下のためなら身内も手に掛けるという常識に合わせた俗説だったことが現在では明らかになっている。
https://rekishikaido.php.co.jp/detail/6441
実は政宗の元にもソテロが長崎に戻った知らせは入っていた。その後、大源が 村田を密かに旅立ったことも聞いてはいたが黙認していたのである。政宗が派遣したのに帰ってきて幕府の命令で蟄居させたのだから当然である。
政宗は小次郎からの知らせを聞き、彼が白石で遣欧使節団としての最後の仕事を成したことを察知したのである。
そして、小十郎に白石の地産品として広めるよう指示したが、仙台藩一円にも白石温麺(ウーメン)という名で広めたのである。
現在、仙台駅でも白石ウーメンを食することができるし、各地の百貨店、ネットでも購入ができるほどの人気商品になったのは政宗のこの罪滅ぼしともいえる動きのおかげである。
政宗は実は大変情に厚い人物であり、弟を殺めたというのも戦国武将が天下のためなら身内も手に掛けるという常識に合わせた俗説だったことが現在では明らかになっている。
https://rekishikaido.php.co.jp/detail/6441
不連続連載小説 松尾大源(12) ― 2024年06月29日 04:43
白石を経ってから長崎までの道中は安泰だった。大源は長崎に着くと早速黒川市之丞、ソテロらと面談し、キリスト教布教の方策を相談した。
木場(木場)付近で、庵を開き、表向きは仏僧の姿をしながら、隠れキリシタンとしての活動を開始したのである。近辺にはすでに多くの隠れキリシタンがおり、布教活動が幕府の監視で大きく阻害されるようなことは少なかった。
ただ、伊達藩と長崎ではあまりにも距離があった。白石で青年に伝授した麺の製法が評判となり、それが政宗にも伝わったことを知ることもなく、大源は一生を終えた。墓は今も長崎の三ツ山教会のそばにあり、大源をルーツとする人々も居られる。
歴史上、伊達政宗の慶長遣欧使節団は、徳川幕府の成立とキリシタン禁令、鎖国政策により何の成果も得られないまま終わったと一般には見られている。
しかし、松尾大源は実際には、大きな地場産業を興し、また、キリスト教の布教活動により、現在の人々にも多くの経済的利益と心理的救済を与え続けているのである。大源がそれをどこまで期待し、予測していたのか、今では知る由もないが、現実の歴史が彼の願いを実現しているのであった。
木場(木場)付近で、庵を開き、表向きは仏僧の姿をしながら、隠れキリシタンとしての活動を開始したのである。近辺にはすでに多くの隠れキリシタンがおり、布教活動が幕府の監視で大きく阻害されるようなことは少なかった。
ただ、伊達藩と長崎ではあまりにも距離があった。白石で青年に伝授した麺の製法が評判となり、それが政宗にも伝わったことを知ることもなく、大源は一生を終えた。墓は今も長崎の三ツ山教会のそばにあり、大源をルーツとする人々も居られる。
歴史上、伊達政宗の慶長遣欧使節団は、徳川幕府の成立とキリシタン禁令、鎖国政策により何の成果も得られないまま終わったと一般には見られている。
しかし、松尾大源は実際には、大きな地場産業を興し、また、キリスト教の布教活動により、現在の人々にも多くの経済的利益と心理的救済を与え続けているのである。大源がそれをどこまで期待し、予測していたのか、今では知る由もないが、現実の歴史が彼の願いを実現しているのであった。
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