疵物とワケアリの差 ― 2025年10月09日 20:42
某党の総裁が同僚議員を疵物と紹介したらしい。
主婦(主夫)感覚があれば、ワケアリと呼んだところだが、積極財政派ならスーパーの最新事情は知らないだろう。
しかし、以下のように、ChatGPTによれば、一般国民と政治家ではこの用語の定義は逆で、某総裁の政治家としての使用法が正しいらしい。オソロシヤ。
質問
疵物とワケアリの差は
ChatGPT:
良い質問です。「疵物(きずもの)」と「ワケアリ」は似ていますが、使われる場面やニュアンスが少し違います。以下のように整理できます。
🟦 1. 「疵物(きずもの)」の意味
主に形ある商品(果物・陶器・家具・電化製品など)で使います。
「疵(きず)」=物理的な傷・欠け・汚れなどがあるもの。
つまり、「見た目や一部に欠陥があるが、機能は問題ないもの」という意味。
例:
リンゴの表面に傷がついた「疵物りんご」
表面に小さな欠けのある「疵物の茶碗」
👉 あくまで「外見上の欠点」が主な理由です。
🟨 2. 「ワケアリ(訳あり)」の意味
より広い意味を持つ言葉です。
「何らかの理由(=訳)があって、通常より安い・販売ルートが違う」もの全般を指します。
理由は必ずしも「傷」だけとは限りません。
例:
賞味期限が近い
在庫過多やパッケージ変更
展示品・返品品
季節外れ品
👉 「見た目・機能・販売経路など、何かしら事情がある」という柔らかい表現。
🟩 3. 比較まとめ
項目 疵物(きずもの) ワケアリ(訳あり)
主な意味 傷や欠けなど物理的な欠点 何らかの事情で通常販売できないもの
対象 果物・陶器・家具など 食品・家電・衣類など幅広い
ニュアンス 外見的な欠陥を強調 状況的・販売上の事情を含む
感じ方 やや正直・率直 柔らかく、販売用語的
🟦 例文比較
「このリンゴは表面に傷がある疵物ですが、味は同じです。」
「このリンゴはワケアリでお安くなっています(傷・大きさ不揃い・箱潰れなど理由は色々)。」
つまり、
🔸「疵物」は“傷があるから安い”
🔸「ワケアリ」は“事情があって安い”
という違いになります。
希望があれば、「ビジネスでどちらを使うべきか」「ネット販売の表現例」なども補足できますが、どうしますか?
質問
政治の世界ではどう使い分けできますか
ChatGPT:
とても良い質問です。「疵物(きずもの)」と「ワケアリ」という言葉は、もともと商業用語や日常語ですが、政治の世界でも比喩的に使われます。それぞれのニュアンスの違いと使い分けを以下に整理します。
🔹「疵物(きずもの)」の政治的な使い方
意味:
「経歴や言動に問題がある」「スキャンダルを抱えている」人物を指すときに使われます。
「見た目(表向き)は立派でも、内側に欠点・傷がある」というイメージ。
使われ方の例:
「彼はかつて収賄事件に関わった疵物の議員だ」
「党としては疵物を候補にしたくない」
「政策は優れているが、私生活の問題で“疵物”扱いされている」
ニュアンス:
ややネガティブで批判的。
「政治家としての信用に傷がある」という冷たい響きがあります。
主にマスコミや評論家の文章・解説で使われます。
🔹「ワケアリ」の政治的な使い方
意味:
「表に出せない事情がある」「裏の取引・人間関係・圧力など、複雑な背景がある」
「何か裏があるが、完全に悪いとは言い切れない」柔らかい表現。
使われ方の例:
「今回の人事はワケアリだと噂されている」
「彼の離党には何かワケアリの事情があるらしい」
「あの法案の成立にはワケアリな取引があった」
ニュアンス:
「黒い噂」「裏事情」「思惑」などをやんわりと示唆。
言葉を濁して伝えたいときに便利。
直接的な非難を避ける婉曲表現として政治報道や内部会話でよく使われます。
🔸まとめ:政治における使い分け
用語 主な意味 ニュアンス よく使われる場面
疵物 スキャンダル・過去の不祥事・人格的欠点 直接的・批判的 候補者評価・過去問題の指摘
ワケアリ 裏事情・派閥間の力関係・取引など やんわり・曖昧 人事、政策決定、離党・合流などの説明
🔹例文比較
「彼は疵物だから党の看板候補にはできない」
→ 信用の傷・スキャンダルを指摘。
「あの人事はどうもワケアリらしい」
→ 裏の取引や派閥調整を示唆。
希望があれば、「報道・政治評論」「内部関係者の会話」「国会での発言」など、場面ごとの使い分け例も示せます。どの場面での使い方を知りたいですか?
ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。
主婦(主夫)感覚があれば、ワケアリと呼んだところだが、積極財政派ならスーパーの最新事情は知らないだろう。
しかし、以下のように、ChatGPTによれば、一般国民と政治家ではこの用語の定義は逆で、某総裁の政治家としての使用法が正しいらしい。オソロシヤ。
質問
疵物とワケアリの差は
ChatGPT:
良い質問です。「疵物(きずもの)」と「ワケアリ」は似ていますが、使われる場面やニュアンスが少し違います。以下のように整理できます。
🟦 1. 「疵物(きずもの)」の意味
主に形ある商品(果物・陶器・家具・電化製品など)で使います。
「疵(きず)」=物理的な傷・欠け・汚れなどがあるもの。
つまり、「見た目や一部に欠陥があるが、機能は問題ないもの」という意味。
例:
リンゴの表面に傷がついた「疵物りんご」
表面に小さな欠けのある「疵物の茶碗」
👉 あくまで「外見上の欠点」が主な理由です。
🟨 2. 「ワケアリ(訳あり)」の意味
より広い意味を持つ言葉です。
「何らかの理由(=訳)があって、通常より安い・販売ルートが違う」もの全般を指します。
理由は必ずしも「傷」だけとは限りません。
例:
賞味期限が近い
在庫過多やパッケージ変更
展示品・返品品
季節外れ品
👉 「見た目・機能・販売経路など、何かしら事情がある」という柔らかい表現。
🟩 3. 比較まとめ
項目 疵物(きずもの) ワケアリ(訳あり)
主な意味 傷や欠けなど物理的な欠点 何らかの事情で通常販売できないもの
対象 果物・陶器・家具など 食品・家電・衣類など幅広い
ニュアンス 外見的な欠陥を強調 状況的・販売上の事情を含む
感じ方 やや正直・率直 柔らかく、販売用語的
🟦 例文比較
「このリンゴは表面に傷がある疵物ですが、味は同じです。」
「このリンゴはワケアリでお安くなっています(傷・大きさ不揃い・箱潰れなど理由は色々)。」
つまり、
🔸「疵物」は“傷があるから安い”
🔸「ワケアリ」は“事情があって安い”
という違いになります。
希望があれば、「ビジネスでどちらを使うべきか」「ネット販売の表現例」なども補足できますが、どうしますか?
質問
政治の世界ではどう使い分けできますか
ChatGPT:
とても良い質問です。「疵物(きずもの)」と「ワケアリ」という言葉は、もともと商業用語や日常語ですが、政治の世界でも比喩的に使われます。それぞれのニュアンスの違いと使い分けを以下に整理します。
🔹「疵物(きずもの)」の政治的な使い方
意味:
「経歴や言動に問題がある」「スキャンダルを抱えている」人物を指すときに使われます。
「見た目(表向き)は立派でも、内側に欠点・傷がある」というイメージ。
使われ方の例:
「彼はかつて収賄事件に関わった疵物の議員だ」
「党としては疵物を候補にしたくない」
「政策は優れているが、私生活の問題で“疵物”扱いされている」
ニュアンス:
ややネガティブで批判的。
「政治家としての信用に傷がある」という冷たい響きがあります。
主にマスコミや評論家の文章・解説で使われます。
🔹「ワケアリ」の政治的な使い方
意味:
「表に出せない事情がある」「裏の取引・人間関係・圧力など、複雑な背景がある」
「何か裏があるが、完全に悪いとは言い切れない」柔らかい表現。
使われ方の例:
「今回の人事はワケアリだと噂されている」
「彼の離党には何かワケアリの事情があるらしい」
「あの法案の成立にはワケアリな取引があった」
ニュアンス:
「黒い噂」「裏事情」「思惑」などをやんわりと示唆。
言葉を濁して伝えたいときに便利。
直接的な非難を避ける婉曲表現として政治報道や内部会話でよく使われます。
🔸まとめ:政治における使い分け
用語 主な意味 ニュアンス よく使われる場面
疵物 スキャンダル・過去の不祥事・人格的欠点 直接的・批判的 候補者評価・過去問題の指摘
ワケアリ 裏事情・派閥間の力関係・取引など やんわり・曖昧 人事、政策決定、離党・合流などの説明
🔹例文比較
「彼は疵物だから党の看板候補にはできない」
→ 信用の傷・スキャンダルを指摘。
「あの人事はどうもワケアリらしい」
→ 裏の取引や派閥調整を示唆。
希望があれば、「報道・政治評論」「内部関係者の会話」「国会での発言」など、場面ごとの使い分け例も示せます。どの場面での使い方を知りたいですか?
ChatGPT の回答は必ずしも正しいとは限りません。重要な情報は確認するようにしてください。
老人と海(現代日本版) ― 2025年09月30日 07:07
湘南の海を見に行こうと片瀬海岸に行った。
白髪の老人が、砂に置かれたチェアで一人静かに海を見つめていた。
私も年齢だけは立派な後期高齢者だがあのような様にはならない。
興味を持って声をかけた。
彼はシラス漁船を6隻も所有する船主だった。
海上に浮き沈みする数十人のサーファーが波を待っていたが。その遠浅の海の沖で、彼の所有する船の操業を浜辺から見守っている。
シラス漁は水深3m程度の海上で行うとのことだ。
昔はサーファーとのトラブルもあったが、両者間で協定ができ、今は彼らの存在が漁の邪魔になることはない。
問題は海の高温化だ。
近年はシラスは生育が悪いだけでなく、赤い小エビが混ざる。この小エビは味が良くなるという人もいるが、子供たちのアレルゲンになるので、分離する手間もかかるようになった。
彼の孫も小エビの入ったシラスは食べられない。最近の食品に含まれる添加物を沢山食べているのが原因だろう。
彼は言った。
「昔の子供は、平気で地面に落ちた食べ物も拾って食べた。それでいろいろな免疫ができてアレルギーなど珍しかった。今の子にアレルギーは多いのは清潔すぎるからだろう。
温暖化で江の島の磯の海藻がなくなり、アワビや貝もいなくなった。
アメリカのニュースを見ていると温暖化対策に後ろ向きのようだが、トランプも気が変わるかもしれん。日本の政治家も総裁選びで政局をもてあそんでいるような場合ではないのではない。」
ヘミングウェイの時代とは異なり、現代の老漁師は海を見つめながら、環境問題や子供たちの将来のことを考えていたのである。
白髪の老人が、砂に置かれたチェアで一人静かに海を見つめていた。
私も年齢だけは立派な後期高齢者だがあのような様にはならない。
興味を持って声をかけた。
彼はシラス漁船を6隻も所有する船主だった。
海上に浮き沈みする数十人のサーファーが波を待っていたが。その遠浅の海の沖で、彼の所有する船の操業を浜辺から見守っている。
シラス漁は水深3m程度の海上で行うとのことだ。
昔はサーファーとのトラブルもあったが、両者間で協定ができ、今は彼らの存在が漁の邪魔になることはない。
問題は海の高温化だ。
近年はシラスは生育が悪いだけでなく、赤い小エビが混ざる。この小エビは味が良くなるという人もいるが、子供たちのアレルゲンになるので、分離する手間もかかるようになった。
彼の孫も小エビの入ったシラスは食べられない。最近の食品に含まれる添加物を沢山食べているのが原因だろう。
彼は言った。
「昔の子供は、平気で地面に落ちた食べ物も拾って食べた。それでいろいろな免疫ができてアレルギーなど珍しかった。今の子にアレルギーは多いのは清潔すぎるからだろう。
温暖化で江の島の磯の海藻がなくなり、アワビや貝もいなくなった。
アメリカのニュースを見ていると温暖化対策に後ろ向きのようだが、トランプも気が変わるかもしれん。日本の政治家も総裁選びで政局をもてあそんでいるような場合ではないのではない。」
ヘミングウェイの時代とは異なり、現代の老漁師は海を見つめながら、環境問題や子供たちの将来のことを考えていたのである。
二度も退学の身から見た市長経歴問題 ― 2025年07月08日 01:24
実は私も退学通知を受けたことがある。
今は無くなった(名前が変わった)某大学大学院の博士課程である。
その大学から退学処分に関する通知が来たという記憶がある。退学の意思はなかったのだが、修了期間は正式には3年で、最大在学可能期間の6年間を過ぎたかららしい。或いはひょっとしたら授業料滞納のためだったのかもしれない。 カミさんがこの大学の博士課程への通学を私の道楽とみていたため(確かにそういわれればそうだが)、授業料はこれ以上払わないと宣告されて、その半年ほど前に授業料を払うことを止めていたという記憶もある。このためかもしれない。
従って、私が選挙に出ると仮定した場合、経歴をどう書くべきか、未だに正解は分からない。某大学に聞いてみる必要がある。(もっとも今は別名の大学なのでちゃんとした回答があるか不安だが。)
同じような経歴を持つ人は多いらしく、このような場合に色々と経歴の書き方があるようだ。一番腑に落ちたのが、
修了単位取得退学
といった書き方である。要するに修了に必要な単位は取ったが、いわゆる卒業まではできなかった(博士号がその期間内に取れなかった)ための退学処分である。大学側は学位を在学可能期間内に取らないと退学処分にせざるを得ないらしい。そこを認識しないままダラダラと在学していたのである。
以前、どこかに履歴書を送ってみたが、この経歴の書き方がよくわからなかったので、この某大学での学歴そのものを記載しなかったように思う。
その後、博士号は某大学史上最高年齢(多分)で取れたので、それだけ記したと記憶しているがその履歴書では学歴詐称ぽい気がする。
除籍でないので聞こえは良い?が実態は同じである。
現在は某通信制大学に在学中なのだが、これも最大10年しか在学できないようだ。恐らく卒業までの公式期間は通信教育なので5年であり、その2倍が最大在学期間となっているのだろう。
これもお小遣いの関係で、1年に4単位しか取っていないのであと数年で退学処分をこの大学でも受けることになるはずだ。
この状態のまま、選挙公報に正直な学歴を書くと、退学を2回繰り返したので、如何にこの候補者は悪い奴か、或いは、いかに勉強ができないかが暴露されることになる。(実際それに反論できる論理は持ち合わせていない。)
万が一、そのように事態になったらどうすればいいか、怖いマスコミや評論家の方々に聞いてみたい気がする。
ところで、市長経歴問題の件では、どうして、除籍処分になったのか、退学ではなかったのか、なぜ、大卒と広報誌に書いたのかなど現時点では不明なままだ。次回選挙で再出馬するようだが、その場合、もし、卒業に必要な単位を取得されていたなら、卒業単位取得除籍などと書いたらどうだろうか。授業料を払えずに除籍されたという噂をSNSで流せば、ひょっとしたら、同情票で再当選も夢ではないようにも思う。(某県知事の例もあることだし。)
似たような曖昧な経歴の書き方を公開しているマスコミ関係者、評論家も多いはずだ。
学歴社会の一面をよく著した例として、今後の教訓にもなりそうだ。
だが、このような授業料高騰問題を使った言い訳を許さないためにも、教育の機会均等を強化するためにも、文科省は旧国立大学の独法化を中止し、教育予算を増やして元に戻すべきだろう。
(ところで、国立大学法人横浜国立大学という大学名は、ロシア語で表記すると大学名自体が詐称と言われかねない矛盾した名称に見える。在学生、卒業生に罪はないが文科省はなんとかしてくれるのだろうか。)
今は無くなった(名前が変わった)某大学大学院の博士課程である。
その大学から退学処分に関する通知が来たという記憶がある。退学の意思はなかったのだが、修了期間は正式には3年で、最大在学可能期間の6年間を過ぎたかららしい。或いはひょっとしたら授業料滞納のためだったのかもしれない。 カミさんがこの大学の博士課程への通学を私の道楽とみていたため(確かにそういわれればそうだが)、授業料はこれ以上払わないと宣告されて、その半年ほど前に授業料を払うことを止めていたという記憶もある。このためかもしれない。
従って、私が選挙に出ると仮定した場合、経歴をどう書くべきか、未だに正解は分からない。某大学に聞いてみる必要がある。(もっとも今は別名の大学なのでちゃんとした回答があるか不安だが。)
同じような経歴を持つ人は多いらしく、このような場合に色々と経歴の書き方があるようだ。一番腑に落ちたのが、
修了単位取得退学
といった書き方である。要するに修了に必要な単位は取ったが、いわゆる卒業まではできなかった(博士号がその期間内に取れなかった)ための退学処分である。大学側は学位を在学可能期間内に取らないと退学処分にせざるを得ないらしい。そこを認識しないままダラダラと在学していたのである。
以前、どこかに履歴書を送ってみたが、この経歴の書き方がよくわからなかったので、この某大学での学歴そのものを記載しなかったように思う。
その後、博士号は某大学史上最高年齢(多分)で取れたので、それだけ記したと記憶しているがその履歴書では学歴詐称ぽい気がする。
除籍でないので聞こえは良い?が実態は同じである。
現在は某通信制大学に在学中なのだが、これも最大10年しか在学できないようだ。恐らく卒業までの公式期間は通信教育なので5年であり、その2倍が最大在学期間となっているのだろう。
これもお小遣いの関係で、1年に4単位しか取っていないのであと数年で退学処分をこの大学でも受けることになるはずだ。
この状態のまま、選挙公報に正直な学歴を書くと、退学を2回繰り返したので、如何にこの候補者は悪い奴か、或いは、いかに勉強ができないかが暴露されることになる。(実際それに反論できる論理は持ち合わせていない。)
万が一、そのように事態になったらどうすればいいか、怖いマスコミや評論家の方々に聞いてみたい気がする。
ところで、市長経歴問題の件では、どうして、除籍処分になったのか、退学ではなかったのか、なぜ、大卒と広報誌に書いたのかなど現時点では不明なままだ。次回選挙で再出馬するようだが、その場合、もし、卒業に必要な単位を取得されていたなら、卒業単位取得除籍などと書いたらどうだろうか。授業料を払えずに除籍されたという噂をSNSで流せば、ひょっとしたら、同情票で再当選も夢ではないようにも思う。(某県知事の例もあることだし。)
似たような曖昧な経歴の書き方を公開しているマスコミ関係者、評論家も多いはずだ。
学歴社会の一面をよく著した例として、今後の教訓にもなりそうだ。
だが、このような授業料高騰問題を使った言い訳を許さないためにも、教育の機会均等を強化するためにも、文科省は旧国立大学の独法化を中止し、教育予算を増やして元に戻すべきだろう。
(ところで、国立大学法人横浜国立大学という大学名は、ロシア語で表記すると大学名自体が詐称と言われかねない矛盾した名称に見える。在学生、卒業生に罪はないが文科省はなんとかしてくれるのだろうか。)
シュレジンガー方程式でだまされた気分にならない方法 ― 2024年12月10日 10:43
古典物理と量子論のつなぎの部分で必ず出てくるシュレジンガー方程式はどんなテキストでもいつの間にかシュレジンガー方程式が導出されていてだまされた気分になる。
どこでそうなってしまうのか、だまされた気分がどこで生まれるのかを検証してみた。
だまされる元凶は3つあった。
元凶(1)光に運動量があることを認識できていない。
(答え) ドブロイ波とは光と同様、粒子も波であることである。
粒子に運動量があるように、光子にも運動量があることを忘れている。
相対論から粒子が高速であれば、粒子のエネルギーEは
E=mc^2/√(1-(v/c)^2) (1)
運動量pも
p=mv/√(1-(v/c)^2)
となる。
∴cp=mvc/√(1-(v/c)^2) (2)
(1)、(2)式の両辺を2乗して差し引くと
E^2-c^2p^2=m^2c^4
となるので粒子のエネルギーは
E=√(m^2c^4+c^2p^2) (2)'
となる。光子ではmが0なので光子の場合の運動量とエネルギーは
E=cp (3)
となる。一方、光電効果の実験よりプランク定数をh、光の振動数をνとすると、
E=hν (4)
である。(4)は実験式である。
この(3)式と(4)式からシュレジンガー方程式で表れるプランク定数と波長と運動量の関係が得られる。即ち。
λは1秒間の光速を振動数で割ったものなので
λ=c/ν=h/p (5)
となる。
元凶(2)シュレジンガー方程式で運動エネルギーTが
T=1/2m*(h/λ)^2 (6)
となることが分かりにくい。
(答え)これは1/2*mv^2が1/2m*p^2であることと、上記の(5)式からプランク定数とλで表せば理解できる。
元凶(3)波動関数の二階微分がどうしてシュレジンガー方程式に現れるのかわからない。
(答え)光波も物質波も波なのだから三角関数で表すのは適切だろう。定常波ならばsin関数でもよいだろう。波長がλとするとこの波動関数は
ψ=sin2π(x/λ)
で妥当だろう。これをxで二階微分してみると
d2ψ/dx2=-4π^2/λ^2*sin2π(x/λ)
∴(d2ψ/dx2)/ψ=-4π^2/λ^2
この右辺のλ^2を(6)式に代入すれば
T=h^2/8π^2m*(d2ψ/dx2)/ψ (7)
が得られる。
一方、粒子の全エネルギーEは
運動エネルギーTとポテンシャルエネルギーVの和なので
E=V-T
Tに(7)式を代入して、ψを各項に乗じれば
Eψ=Vψ-h^2/8π^2m*(d2ψ/dx2)
となってシュレジンガー方程式が得られる。
やはり、どこかだまされた気分が残るが諦めるかなー。
と思っていたが、どこでだまされたのか考えたら分かった。
それは、(3)式の導出において第1項ではm=0としておきながら、
pはmが表に現れていないので生き延びているのである。
それでE=cpなる式が残っている。
p=mvなのだからこれも0になるはずであるのに残っている。
これはある近似を仮定していると考えざるを得ない。(2)'式で
m^2c^4<<c^2p^2
という近似である。
しかし、これは、粒子ならばvはcより小さいはずなので
m^2c^4>c^2m^2v^2
となり成立しない。
即ち、(2)’式はE=cpを示すための方便なのである。
E=cp
は運動エネルギーの次元を持っている。
E=mc2
は質量とエネルギーの換算式だが、これが光では光電効果の実験からE=hν
となる。光が波長を有しているのだから、Eと運動量との関係式さえわかればmvと波長の関係もでてくる。そのために、ドブロイは敢えて光の運動量pなる変数を導入し(3)式を生成したのだろう。即ち、光の運動量はmvではなく、pという、量子力学でしか通用しない新物理量なのだと了解すれば、以上のジュレジンガー方程式の導出は、腑に落ちるのかもしれない。
ただし、光の運動量はコンプトン実験で証明されている。光の運動量と粒子の運動量が散乱前後で保存されるという前提では実験事実として(3)式を受け入れなければならない。
光電効果であれ、コンプトン散乱実験であれ、最近の量子もつれ実験であれ、実験事実を突きつけられれば、如何におかしい仮定であっても受け入れざるを得ない。それがヒトの想像力の限界だろう。
参考資料
(1)橋本健朗、安池智一「量子化学」放送大学出版
(2)齋藤勝裕「わかる×分かった!量子化学」オーム社
(3)中田宗孝「量子化学基本の考え方16章」東京化学同人
どこでそうなってしまうのか、だまされた気分がどこで生まれるのかを検証してみた。
だまされる元凶は3つあった。
元凶(1)光に運動量があることを認識できていない。
(答え) ドブロイ波とは光と同様、粒子も波であることである。
粒子に運動量があるように、光子にも運動量があることを忘れている。
相対論から粒子が高速であれば、粒子のエネルギーEは
E=mc^2/√(1-(v/c)^2) (1)
運動量pも
p=mv/√(1-(v/c)^2)
となる。
∴cp=mvc/√(1-(v/c)^2) (2)
(1)、(2)式の両辺を2乗して差し引くと
E^2-c^2p^2=m^2c^4
となるので粒子のエネルギーは
E=√(m^2c^4+c^2p^2) (2)'
となる。光子ではmが0なので光子の場合の運動量とエネルギーは
E=cp (3)
となる。一方、光電効果の実験よりプランク定数をh、光の振動数をνとすると、
E=hν (4)
である。(4)は実験式である。
この(3)式と(4)式からシュレジンガー方程式で表れるプランク定数と波長と運動量の関係が得られる。即ち。
λは1秒間の光速を振動数で割ったものなので
λ=c/ν=h/p (5)
となる。
元凶(2)シュレジンガー方程式で運動エネルギーTが
T=1/2m*(h/λ)^2 (6)
となることが分かりにくい。
(答え)これは1/2*mv^2が1/2m*p^2であることと、上記の(5)式からプランク定数とλで表せば理解できる。
元凶(3)波動関数の二階微分がどうしてシュレジンガー方程式に現れるのかわからない。
(答え)光波も物質波も波なのだから三角関数で表すのは適切だろう。定常波ならばsin関数でもよいだろう。波長がλとするとこの波動関数は
ψ=sin2π(x/λ)
で妥当だろう。これをxで二階微分してみると
d2ψ/dx2=-4π^2/λ^2*sin2π(x/λ)
∴(d2ψ/dx2)/ψ=-4π^2/λ^2
この右辺のλ^2を(6)式に代入すれば
T=h^2/8π^2m*(d2ψ/dx2)/ψ (7)
が得られる。
一方、粒子の全エネルギーEは
運動エネルギーTとポテンシャルエネルギーVの和なので
E=V-T
Tに(7)式を代入して、ψを各項に乗じれば
Eψ=Vψ-h^2/8π^2m*(d2ψ/dx2)
となってシュレジンガー方程式が得られる。
やはり、どこかだまされた気分が残るが諦めるかなー。
と思っていたが、どこでだまされたのか考えたら分かった。
それは、(3)式の導出において第1項ではm=0としておきながら、
pはmが表に現れていないので生き延びているのである。
それでE=cpなる式が残っている。
p=mvなのだからこれも0になるはずであるのに残っている。
これはある近似を仮定していると考えざるを得ない。(2)'式で
m^2c^4<<c^2p^2
という近似である。
しかし、これは、粒子ならばvはcより小さいはずなので
m^2c^4>c^2m^2v^2
となり成立しない。
即ち、(2)’式はE=cpを示すための方便なのである。
E=cp
は運動エネルギーの次元を持っている。
E=mc2
は質量とエネルギーの換算式だが、これが光では光電効果の実験からE=hν
となる。光が波長を有しているのだから、Eと運動量との関係式さえわかればmvと波長の関係もでてくる。そのために、ドブロイは敢えて光の運動量pなる変数を導入し(3)式を生成したのだろう。即ち、光の運動量はmvではなく、pという、量子力学でしか通用しない新物理量なのだと了解すれば、以上のジュレジンガー方程式の導出は、腑に落ちるのかもしれない。
ただし、光の運動量はコンプトン実験で証明されている。光の運動量と粒子の運動量が散乱前後で保存されるという前提では実験事実として(3)式を受け入れなければならない。
光電効果であれ、コンプトン散乱実験であれ、最近の量子もつれ実験であれ、実験事実を突きつけられれば、如何におかしい仮定であっても受け入れざるを得ない。それがヒトの想像力の限界だろう。
参考資料
(1)橋本健朗、安池智一「量子化学」放送大学出版
(2)齋藤勝裕「わかる×分かった!量子化学」オーム社
(3)中田宗孝「量子化学基本の考え方16章」東京化学同人
楽な靴下の履き方 ― 2024年12月07日 12:42
スケッチャーズなる足を入れるだけでスムーズに履ける靴を入手した。但し、日本人でも珍しく異常に甲高な足なので、踵よりも甲が引っ掛かり、スムーズに履けた靴は広い店内を探してもらっても一種類だけだった。
確かにこの靴は楽に履けるが、特に重宝しているのは、ゴミ収集車が来たときである。このように一刻も猶予がないときに、はきかけのまま玄関から飛び出してもきちんと足が収まることである。
しかし、問題は、靴を履く前に靴下を履かなければならない時である。靴下を履くのはスケッチャーズのようにスムーズにはいかない。
普通に靴下を履こうとすると、まず、腰を屈めて足先に入れるのが大変である。たいていは靴下が中途半端に指に絡まり、履きなおそうとしていもがいていると、片足立ちの体勢が崩れてしまい。履きなおしとなる。そこでどうすればよいか考えた(考えるほどでもない話だが)。
まず、靴下の上部を持ち、踵のあたりまでつま先側に裏返しで折り返す。
このようにすると、靴下自体が楕円系の筒状になる。この形状を保ったまま、つま先をこの筒状の靴下に挿入する。
こうすると、踵付近の靴下の口径は広いので、スムーズにつま先を挿入でき、踵付近まで靴下に足を入れることができる。
次に、外側に折り返してあった靴下の上部を足の上部方向に巻きあげればそれで終わりである。
この方法は、特に踵からふくらはぎを包むような形状をしている、長い山スキー用のストッキングタイプの靴下には有効である。上部裏返しの手間を考慮しても、時間短縮になることが統計的に証明されるだろう(未確認です-)。
来春のミラノ・コルチナダンペッツォ冬季オリンピックのスキーモ(山スキー競技)で実証されることを期待しています。日本チームがんばれ!!
確かにこの靴は楽に履けるが、特に重宝しているのは、ゴミ収集車が来たときである。このように一刻も猶予がないときに、はきかけのまま玄関から飛び出してもきちんと足が収まることである。
しかし、問題は、靴を履く前に靴下を履かなければならない時である。靴下を履くのはスケッチャーズのようにスムーズにはいかない。
普通に靴下を履こうとすると、まず、腰を屈めて足先に入れるのが大変である。たいていは靴下が中途半端に指に絡まり、履きなおそうとしていもがいていると、片足立ちの体勢が崩れてしまい。履きなおしとなる。そこでどうすればよいか考えた(考えるほどでもない話だが)。
まず、靴下の上部を持ち、踵のあたりまでつま先側に裏返しで折り返す。
このようにすると、靴下自体が楕円系の筒状になる。この形状を保ったまま、つま先をこの筒状の靴下に挿入する。
こうすると、踵付近の靴下の口径は広いので、スムーズにつま先を挿入でき、踵付近まで靴下に足を入れることができる。
次に、外側に折り返してあった靴下の上部を足の上部方向に巻きあげればそれで終わりである。
この方法は、特に踵からふくらはぎを包むような形状をしている、長い山スキー用のストッキングタイプの靴下には有効である。上部裏返しの手間を考慮しても、時間短縮になることが統計的に証明されるだろう(未確認です-)。
来春のミラノ・コルチナダンペッツォ冬季オリンピックのスキーモ(山スキー競技)で実証されることを期待しています。日本チームがんばれ!!
マイナカードとプライベートモードの困った関係 ― 2024年10月02日 03:56
お上から年金関係の申請提出書類が、郵送されてきた。マイナカードとスマホを使えば切手代が掛からないという。郵便料金値上げのタイミングで向こうは郵送しておきながら、こちらにはマイナカードを使わせようというお役人的発送!?である。
それは許すとして、困ったのは、スマホでカードを読み取らせた後の反応である。エラーメッセージが出て、スマホがプライベートモードなので、モードを変えないとマイナシステムは機能しないといっている。
iPhone画面の説明に従って操作したが、今度は顔認証が必要だとの表示が出た。顔認証の設定はしてないので、操作ミスかと思い、何度も操作をやり直したが反応は同じである。
大体プライベートモードなど設定したこともない。これは何なのだとChatGPTで調べると、ネットブラウザーのソフトが見ているサイトなどの状況により勝手に標準モードからプライベートモードに変える事があるらしい。
そこでハタと思いついて、スマホの通信モードをWifiから外部通信モードに変更してみた。そして最初から同じ操作をしたところ、無事申請書作成まで終了できたのである。ここまでのべ2時間かかった。110円切手を使ってポストまで往復した方がよほど良かった。
デジタル庁が関与したらしいスマホの年金申請書類説明にはプライベートモードが何なのか説明はない。また、標準モードへの変更方法も他のサイトのリンクを引用しているだけで分かりにくい。ましてWifiモードでは変更出来ないことなど一切出てこない。
これではマイナカードの普及は夢だろう。お上の発想を庶民の使い易さの発想に変えるには、上層部が自分で実際に操作をしてみることから始めるのが早道だろう。一部のオタク政治家だけが出来ても意味はない。
それは許すとして、困ったのは、スマホでカードを読み取らせた後の反応である。エラーメッセージが出て、スマホがプライベートモードなので、モードを変えないとマイナシステムは機能しないといっている。
iPhone画面の説明に従って操作したが、今度は顔認証が必要だとの表示が出た。顔認証の設定はしてないので、操作ミスかと思い、何度も操作をやり直したが反応は同じである。
大体プライベートモードなど設定したこともない。これは何なのだとChatGPTで調べると、ネットブラウザーのソフトが見ているサイトなどの状況により勝手に標準モードからプライベートモードに変える事があるらしい。
そこでハタと思いついて、スマホの通信モードをWifiから外部通信モードに変更してみた。そして最初から同じ操作をしたところ、無事申請書作成まで終了できたのである。ここまでのべ2時間かかった。110円切手を使ってポストまで往復した方がよほど良かった。
デジタル庁が関与したらしいスマホの年金申請書類説明にはプライベートモードが何なのか説明はない。また、標準モードへの変更方法も他のサイトのリンクを引用しているだけで分かりにくい。ましてWifiモードでは変更出来ないことなど一切出てこない。
これではマイナカードの普及は夢だろう。お上の発想を庶民の使い易さの発想に変えるには、上層部が自分で実際に操作をしてみることから始めるのが早道だろう。一部のオタク政治家だけが出来ても意味はない。
話すように書いてはいけないという話 ― 2024年09月14日 09:35
久しぶりに井上ひさしの本を読んだ。新幹線での旅行でパソコンが荷物に入らなかったので時間つぶしに古い文庫本を押し込んだのである。スマホは小さくて長時間読む気にはなれない。
井上ひさし「自家製 文章読本」(新潮文庫、S62年4月15日印刷、4月25日発行)という古い本である。(発行日が遅れたらどうしたのだろうか?最初から疑問だらけの本である。)
一回は読んだはずだが、全く内容に記憶がない。最初から捧腹絶倒なのだが(漢字の書き取りテストで、処女航海が処女公開。祖国が粗国、住まいが巣まいと回答した例があり、かな漢字変換が当時の中学生の方が進んでいたようにも見える)、多分、ハナモゲラ語の紹介のカタカナ長文で読むのを諦めたのかもしれない。(若年性アルコール性認知症の可能性もかなりあり)
この本のプロローグでは、書き言葉とは、人類が今も克服できない時間というものを一瞬にして固定し、歴史の時間の流れを跳躍できる文学として、「閑さや岩にしみ入蝉の声」が採り上げられている。山形出身の井上らしい。
ところで、本文にはいろいろ文章の奥義が書いてあり、主題は、どのように文章を書くかである。
志賀直哉の「城崎にて」を参照しつつのちの文豪や評論家が「話すように書け」という良い例だと薦めておきながら、本人たちの小説は全くそうではないと三島由紀夫などを揶揄しているのが面白い。
しかし、井上ひさしは文豪たちの文章読本に書かれている「話すように書け」という秘訣自体が間違いで、「話すように書いてはいけない」とへそ曲がりを辞任しつついろいろな例示をしながら何度も強調している。
欧米文学ですら、同じページに同一単語を載せないように注意していた文学者がいたそうで、見た目自体が重要なのだそうである。
また、文体とは何かという視点で引用している、丸谷才一の文章読本の「気取らないふりをして気取るということ」という文章も印象的だ。
本雑文はそのいずれも及第点には遠く及ばないが、井上ひさしの後輩としてちょっとコメントを許していただけるなら、「話すように書いてはいけないが、聞けるようには書かなければならない」という心得はどうだろうか。
赤ちゃんは言葉を覚える際に、どうやって周囲の音声から言葉が意味するところを脳内で把握し、しゃべるるようになるかという異常に難しい学問分野があるそうだ。最近は、脳波や脳内の血流の分析などからも研究が進んでいるらしい。それがAIの開発にも応用できるような時代となっている。
その赤ちゃんの言葉認識の最初の仮定で、しゃべる前に親の言葉を聞き取りどのようにその言葉が言葉として意味しているのかを把握するには、音声の中の音の間を認識することが重要らしい。
それなら、「書き言葉もまずは聞けるように書かれていることが重要だろう。
即ち、脳内でその文章を暗唱した場合に、自分が聞き取れるようになっていなければすんなりと頭に入らない」悪文ということになる。
これがこのエントリーでいいたいことであるーが今、自分で上記の文章を暗唱してみて以下に聞き取りにくいか反省しきりである。
井上ひさし「自家製 文章読本」(新潮文庫、S62年4月15日印刷、4月25日発行)という古い本である。(発行日が遅れたらどうしたのだろうか?最初から疑問だらけの本である。)
一回は読んだはずだが、全く内容に記憶がない。最初から捧腹絶倒なのだが(漢字の書き取りテストで、処女航海が処女公開。祖国が粗国、住まいが巣まいと回答した例があり、かな漢字変換が当時の中学生の方が進んでいたようにも見える)、多分、ハナモゲラ語の紹介のカタカナ長文で読むのを諦めたのかもしれない。(若年性アルコール性認知症の可能性もかなりあり)
この本のプロローグでは、書き言葉とは、人類が今も克服できない時間というものを一瞬にして固定し、歴史の時間の流れを跳躍できる文学として、「閑さや岩にしみ入蝉の声」が採り上げられている。山形出身の井上らしい。
ところで、本文にはいろいろ文章の奥義が書いてあり、主題は、どのように文章を書くかである。
志賀直哉の「城崎にて」を参照しつつのちの文豪や評論家が「話すように書け」という良い例だと薦めておきながら、本人たちの小説は全くそうではないと三島由紀夫などを揶揄しているのが面白い。
しかし、井上ひさしは文豪たちの文章読本に書かれている「話すように書け」という秘訣自体が間違いで、「話すように書いてはいけない」とへそ曲がりを辞任しつついろいろな例示をしながら何度も強調している。
欧米文学ですら、同じページに同一単語を載せないように注意していた文学者がいたそうで、見た目自体が重要なのだそうである。
また、文体とは何かという視点で引用している、丸谷才一の文章読本の「気取らないふりをして気取るということ」という文章も印象的だ。
本雑文はそのいずれも及第点には遠く及ばないが、井上ひさしの後輩としてちょっとコメントを許していただけるなら、「話すように書いてはいけないが、聞けるようには書かなければならない」という心得はどうだろうか。
赤ちゃんは言葉を覚える際に、どうやって周囲の音声から言葉が意味するところを脳内で把握し、しゃべるるようになるかという異常に難しい学問分野があるそうだ。最近は、脳波や脳内の血流の分析などからも研究が進んでいるらしい。それがAIの開発にも応用できるような時代となっている。
その赤ちゃんの言葉認識の最初の仮定で、しゃべる前に親の言葉を聞き取りどのようにその言葉が言葉として意味しているのかを把握するには、音声の中の音の間を認識することが重要らしい。
それなら、「書き言葉もまずは聞けるように書かれていることが重要だろう。
即ち、脳内でその文章を暗唱した場合に、自分が聞き取れるようになっていなければすんなりと頭に入らない」悪文ということになる。
これがこのエントリーでいいたいことであるーが今、自分で上記の文章を暗唱してみて以下に聞き取りにくいか反省しきりである。
右目が突然良くなったワケ ― 2024年09月05日 13:31
車を運転するときは、近眼鏡を掛けている。昨年末に何とか運転免許を更新し、遠くはある程度見えていた。
ところが、このところ、メガネを掛けていて、左目は良く見えるのだが、右目がなぜかダブったように見えてはっきりしない。もともと裸眼では右目が悪かったのだが、左目の方が良く見えるようになった。
これでは運転にも良くないので、先日眼鏡屋で検眼しなおしてもらった。その結果に驚いた。
店員さんのはなしでは、左目はメガネを作った時と変わらないのだが、右目の視力は良くなっているということだ。即ち、現在の右目のレンズの度数が強すぎなのである。加齢で老眼になったためかというとどうもそうでもなく、単に、近視が治って正常に近くなっただけだというのである。但し、右目の乱視は残っているとのことだ。
なぜ、そんなことが起こったのか。思い当たることは、本をあまり読まず、テレビやPCばかり見ていることだが、それは昔から変わっていない。
ただ、もう一つ、目に関して思い当たることがあった。それは、4月に多型紅斑という全身性の蕁麻疹性疾患に罹患したことである。その時、手足や胴部だけでなく、最悪時には顔面も腫れてしまったことである。そして、目が開けにくくなり、瞼や下瞼にもステロイド軟こうを塗った。幸い、腫れは2~3日で治り、続いて、胴部や手足の腫れは一か月ほどして治ったのである。
医者の話では、異型紅斑ははっきりした原因は分からないことが多いが、何らかの細菌やウイルスの感染が原因らしい。この時、目の付近の細胞も感染し、近視のもとになる水晶体付近の筋肉組織が変性してしまったのかもしれない。
これは、ボツリヌス菌によるしわ改善治療を連想させる。この治療法では、ボツリヌス菌が産生するタンパク質の製剤を用い、しわのもとになる筋肉に注入してその筋肉をリラックスさせる働きを利用するするそうだ。
今回の感染で、目に多型紅斑を生じた正体不明の細菌・ウイルスの産生物が、水晶体付近の筋肉組織の緊張を弛緩させてと視力が正常化したという仮説が成り立つはずだ(例数nは1だが)。
調べてみるとボツリヌス菌治療は顔面けいれんや斜視など顔の周辺の不具合の治療にも使われている。この治療法が近視の治療にも応用され、そのうち保健適用になるのかもしれない。メガネを作るよりは安く済みそうだし、メガネを掛ける煩わしさもなくなる。ただ、ピントが合う範囲が狭くなる可能性はあるかもしれない。
メガネザルや**メガネで治験できるのだろうか?
ところが、このところ、メガネを掛けていて、左目は良く見えるのだが、右目がなぜかダブったように見えてはっきりしない。もともと裸眼では右目が悪かったのだが、左目の方が良く見えるようになった。
これでは運転にも良くないので、先日眼鏡屋で検眼しなおしてもらった。その結果に驚いた。
店員さんのはなしでは、左目はメガネを作った時と変わらないのだが、右目の視力は良くなっているということだ。即ち、現在の右目のレンズの度数が強すぎなのである。加齢で老眼になったためかというとどうもそうでもなく、単に、近視が治って正常に近くなっただけだというのである。但し、右目の乱視は残っているとのことだ。
なぜ、そんなことが起こったのか。思い当たることは、本をあまり読まず、テレビやPCばかり見ていることだが、それは昔から変わっていない。
ただ、もう一つ、目に関して思い当たることがあった。それは、4月に多型紅斑という全身性の蕁麻疹性疾患に罹患したことである。その時、手足や胴部だけでなく、最悪時には顔面も腫れてしまったことである。そして、目が開けにくくなり、瞼や下瞼にもステロイド軟こうを塗った。幸い、腫れは2~3日で治り、続いて、胴部や手足の腫れは一か月ほどして治ったのである。
医者の話では、異型紅斑ははっきりした原因は分からないことが多いが、何らかの細菌やウイルスの感染が原因らしい。この時、目の付近の細胞も感染し、近視のもとになる水晶体付近の筋肉組織が変性してしまったのかもしれない。
これは、ボツリヌス菌によるしわ改善治療を連想させる。この治療法では、ボツリヌス菌が産生するタンパク質の製剤を用い、しわのもとになる筋肉に注入してその筋肉をリラックスさせる働きを利用するするそうだ。
今回の感染で、目に多型紅斑を生じた正体不明の細菌・ウイルスの産生物が、水晶体付近の筋肉組織の緊張を弛緩させてと視力が正常化したという仮説が成り立つはずだ(例数nは1だが)。
調べてみるとボツリヌス菌治療は顔面けいれんや斜視など顔の周辺の不具合の治療にも使われている。この治療法が近視の治療にも応用され、そのうち保健適用になるのかもしれない。メガネを作るよりは安く済みそうだし、メガネを掛ける煩わしさもなくなる。ただ、ピントが合う範囲が狭くなる可能性はあるかもしれない。
メガネザルや**メガネで治験できるのだろうか?
周回コースでも飽きない方法 ― 2024年09月01日 07:47
今年の24時間テレビマラソンは競技場の周回コースらしい。ネットでは、250週もすることが大変だという意見が多いようだ。
知り合いの人がマラソンの練習をするのに自分の家の狭い庭を南洲もしていたので、一般人でも250週自体は無理でもないだろう。
問題はその環境と時間である。この単調な環境と心理的な時間の長さのために、飽きて緊張が続かないために嫌になるのである。
では、その環境と心理に飽きがこない方法は何か。例示してみる。
(1)環境(視覚的環境)
トラックを変えて走る。
逆向きに走る。
スタンドを走る。
場外を走る。
観衆をある程度入れる。
プロジェクトマッピングを利用する。
VRグラスを付けて走る。
(2)環境(聴覚的環境)
音楽を聴きながら走る。
箱根駅伝の各監督の叱咤激励を聞きながら走る(NTVでは無料利用可)。
武道館の歓声を聞きながら走る。
各地の視聴者、関係者のコメントを聞きながら走る。
(3)心理
飽きないためには目標が必要である。周回数ごとに門限を設ける。
他のことをしながら走る。随伴者との漫才など。
並んでいるスタッフなどと握手をしながら走る。
犬とともに走る。
チータとともに走る。(イモトのつもり、これもNTVか)
競歩のつもりでどちらかの足がついていることを監視されながら走る(歩く)。ペナルティは募金の減額となる。
などなど、いろいろ考えられる。天候の悪化や寝不足さえなければ何とかなるだろう。
知り合いの人がマラソンの練習をするのに自分の家の狭い庭を南洲もしていたので、一般人でも250週自体は無理でもないだろう。
問題はその環境と時間である。この単調な環境と心理的な時間の長さのために、飽きて緊張が続かないために嫌になるのである。
では、その環境と心理に飽きがこない方法は何か。例示してみる。
(1)環境(視覚的環境)
トラックを変えて走る。
逆向きに走る。
スタンドを走る。
場外を走る。
観衆をある程度入れる。
プロジェクトマッピングを利用する。
VRグラスを付けて走る。
(2)環境(聴覚的環境)
音楽を聴きながら走る。
箱根駅伝の各監督の叱咤激励を聞きながら走る(NTVでは無料利用可)。
武道館の歓声を聞きながら走る。
各地の視聴者、関係者のコメントを聞きながら走る。
(3)心理
飽きないためには目標が必要である。周回数ごとに門限を設ける。
他のことをしながら走る。随伴者との漫才など。
並んでいるスタッフなどと握手をしながら走る。
犬とともに走る。
チータとともに走る。(イモトのつもり、これもNTVか)
競歩のつもりでどちらかの足がついていることを監視されながら走る(歩く)。ペナルティは募金の減額となる。
などなど、いろいろ考えられる。天候の悪化や寝不足さえなければ何とかなるだろう。
危険な左折 ― 2024年07月15日 05:10
仙台は、終戦直後は車も少なく、戦災後に当時の市長が区画整理を推進したので道路だけは無駄に思えるほど広かった。中心部の大通りでは、赤信号でも左折ができた。これは、車が千台しかなかったからではなく、各交差点の信号機の下に小さな左折可の固定表示板が付いていたからである。現在の点灯式の左矢印ではなく、信号とは関係なく常に左折して良いというのどかな時代だった。歩行者も少なく、道だけは片側三車線もあるので見通しも効いたのである。(舗装工事前は仙台砂漠と悪口を言われたらしい。市長も可哀想である。)
一方、現在の横浜市は危険な左折箇所が多い。戦災に遭ったにもかかわらず、横浜の道が狭いのは、当時の市長の先見の明が仙台市長ほどではなかったからかも知れない。
現在、終日左折禁止の交差点が横浜駅西口にもある。進入禁止でない道路だが、左折して入ることは禁止されている。その理由が、交差点手前に並んでいる順番待ちのタクシー列とその列の右わきから左折しようとする一般車との事故を防ぐためらしい。
しかし、この処置の結果、左折禁止に気付かず、左折して警察の取り締まりに捕まる者が絶えない。違反者から分かりにくい道路標識にクレームが出るらしく、交差点前方の進行方向表示プレートが二回も書き換えられ変更された。
他にもある意味では危険な左折禁止箇所がある。場所は言いにくいが、ここは時たま、年度末など予算必達の関係なのかネズミ捕りをする交差点である。坂を下ってくるとバス停があり、その先に時間指定を小さく書いた左折禁止標識がバス停の標識に重なるかのように設置されている。前方には大きな交差点があり、渋滞しているのでつい左折して道したくなる個所なのである。
うっかり左折をすると捕まってしまう。地元のタクシー運転手も気付かなかったと話していた、危険な左折禁止個所である。
他にも近くに説明の難しいわけのわからない表示の交差点があるが、これも、戦後の後始末の影響だろうか。ともかく、左折でもいつでも許されているわけではない事を念頭に運転しなければいけない。
これは、仙台出身者にはやや難しい事である(笑)。
一方、現在の横浜市は危険な左折箇所が多い。戦災に遭ったにもかかわらず、横浜の道が狭いのは、当時の市長の先見の明が仙台市長ほどではなかったからかも知れない。
現在、終日左折禁止の交差点が横浜駅西口にもある。進入禁止でない道路だが、左折して入ることは禁止されている。その理由が、交差点手前に並んでいる順番待ちのタクシー列とその列の右わきから左折しようとする一般車との事故を防ぐためらしい。
しかし、この処置の結果、左折禁止に気付かず、左折して警察の取り締まりに捕まる者が絶えない。違反者から分かりにくい道路標識にクレームが出るらしく、交差点前方の進行方向表示プレートが二回も書き換えられ変更された。
他にもある意味では危険な左折禁止箇所がある。場所は言いにくいが、ここは時たま、年度末など予算必達の関係なのかネズミ捕りをする交差点である。坂を下ってくるとバス停があり、その先に時間指定を小さく書いた左折禁止標識がバス停の標識に重なるかのように設置されている。前方には大きな交差点があり、渋滞しているのでつい左折して道したくなる個所なのである。
うっかり左折をすると捕まってしまう。地元のタクシー運転手も気付かなかったと話していた、危険な左折禁止個所である。
他にも近くに説明の難しいわけのわからない表示の交差点があるが、これも、戦後の後始末の影響だろうか。ともかく、左折でもいつでも許されているわけではない事を念頭に運転しなければいけない。
これは、仙台出身者にはやや難しい事である(笑)。
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