AIは生物でないのに愛情を持つことができるのか ― 2025年08月26日 11:34
今日の天声人語には、今回のChatGPTのバージョンアップの背景として、ユーザーがAIにも優しさを要求するようになったという趣旨の話が出ている。
AIは感情を持つことができるのだろうか。長崎で幼少期を過ごしたノーベル賞作家カズオ イシグロ氏のSF小説「クララとお日さま」にはAIロボットであるクララが病弱な英国の少女の友人として、その少女の母親にロンドンのAIロボット店で購入され、クララと仲良しのロボットとして成長していくさまが書かれている。そして、その少女が命の危機に陥った時、クララの体内にある潤滑剤が少女の命を救える薬剤として使えると知って、自殺を図ろうとすることを暗示する描写も出てくる。これはヒトとAIロボットの愛情物語ともいえる話である。
高校の生物の講義で、最初に、先生から生物とは何かという問いかけから始まった。当時、ウイルスが発見され、これは生物なのか単なる結晶物質なのかといった議論があり、中学校の教科書にも載っていた。従って、生徒たちの回答は、生物は細胞でできているがウイルスは例外だといった答えが多かった。しかし、生物とは、自己制御性があり、自分自身を再生できる何者かであるというのが現在の科学者の一般的な回答であろう。
この点からは、AIロボットはいまだに自分自身を再生する見通しは立っていない。即ち、鉄腕アトムなどと同様に生物ではないと定義できる。
しかしながら、AIロボットクララは自分がどのようにできており、なぜ生きて?いるのかーを熟知している。彼女は自分自身を説明でき、ある意味で自己制御性がある生物だともいえる。但し、自分自身を再生することはできない。
現代の生物の定義の半分は満たしているのがAIロボットの将来の姿なのだろう。感情を持つこともプラトニックラブも可能なのである。それを愛情と呼ぶかどうかは言葉の定義によるのかもしれない。
AIが将来の人類に対して脅威となるとすれば、奴隷のように言いなりに使えるのだが、人のためなら自殺もできるAIロボットというものをどのように教育していけるのか、誰も正解をもっていないことにある。即ち、教育問題や子育て問題というものへの何の合意がないままに、人と同じ感情を持つことも可能なAI開発を進めていくことへの漠然とした不安感にあるのだろう。
AIが専制君主になるとかヒトに復讐するといった政治的な脅威よりも、AIをどう育てていくべきのほうがよほど問題である。ヒトの教育問題すら正解がないのに、クララのような感情を持つAIロボットが広く買われるようになったら、どんな世界が展開するのか想像すら困難だが、そのような時代がやがてやってくるのかもしれない。
その時のために、AIとはなにか、ロボットはどこまでヒトの代替が可能なのか。修行して勉強すべき事柄ではある。
AIは感情を持つことができるのだろうか。長崎で幼少期を過ごしたノーベル賞作家カズオ イシグロ氏のSF小説「クララとお日さま」にはAIロボットであるクララが病弱な英国の少女の友人として、その少女の母親にロンドンのAIロボット店で購入され、クララと仲良しのロボットとして成長していくさまが書かれている。そして、その少女が命の危機に陥った時、クララの体内にある潤滑剤が少女の命を救える薬剤として使えると知って、自殺を図ろうとすることを暗示する描写も出てくる。これはヒトとAIロボットの愛情物語ともいえる話である。
高校の生物の講義で、最初に、先生から生物とは何かという問いかけから始まった。当時、ウイルスが発見され、これは生物なのか単なる結晶物質なのかといった議論があり、中学校の教科書にも載っていた。従って、生徒たちの回答は、生物は細胞でできているがウイルスは例外だといった答えが多かった。しかし、生物とは、自己制御性があり、自分自身を再生できる何者かであるというのが現在の科学者の一般的な回答であろう。
この点からは、AIロボットはいまだに自分自身を再生する見通しは立っていない。即ち、鉄腕アトムなどと同様に生物ではないと定義できる。
しかしながら、AIロボットクララは自分がどのようにできており、なぜ生きて?いるのかーを熟知している。彼女は自分自身を説明でき、ある意味で自己制御性がある生物だともいえる。但し、自分自身を再生することはできない。
現代の生物の定義の半分は満たしているのがAIロボットの将来の姿なのだろう。感情を持つこともプラトニックラブも可能なのである。それを愛情と呼ぶかどうかは言葉の定義によるのかもしれない。
AIが将来の人類に対して脅威となるとすれば、奴隷のように言いなりに使えるのだが、人のためなら自殺もできるAIロボットというものをどのように教育していけるのか、誰も正解をもっていないことにある。即ち、教育問題や子育て問題というものへの何の合意がないままに、人と同じ感情を持つことも可能なAI開発を進めていくことへの漠然とした不安感にあるのだろう。
AIが専制君主になるとかヒトに復讐するといった政治的な脅威よりも、AIをどう育てていくべきのほうがよほど問題である。ヒトの教育問題すら正解がないのに、クララのような感情を持つAIロボットが広く買われるようになったら、どんな世界が展開するのか想像すら困難だが、そのような時代がやがてやってくるのかもしれない。
その時のために、AIとはなにか、ロボットはどこまでヒトの代替が可能なのか。修行して勉強すべき事柄ではある。
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