映画オッペンハイマーの虚実 ― 2024年12月29日 15:43
米国映画オッペンハイマーがやっとWOWOWで放映されたので、少々前半は退屈だったが、3時間のテレビ鑑賞をしてみた。
映画なのでオッペンハイマーのプライベートや感情描写の良し悪しにはコメントはしないが、当時の原爆開発の基本的事項で疑問に感じたことを列挙してみる。
(1)広島型原爆と長崎型原爆を混同している。
ロスアラモスでの1945年7月15日のトリニティ実験は長崎型のプルトニウム原爆実験だったにもかかわらず、日本への投下は8月6日に迫っているという設定になっている。広島型は濃縮ウランなので、失敗することは当時であっても考えられなかった。プルトニウム型は、プルトニウムー240からの自発核分裂中性子により超臨界以前に核分裂連鎖反応を開始して不完全爆発することが予想されたので、トリニティ実験で事前確認したのである。
従って、日本にポツダム宣言受諾をさせるために、まず、濃縮ウラン型により広島で確実に原爆の威力を見せつけたうえ、僅か三日後に、不完全爆発の可能性もあったプルトニウム型原爆を長崎に落としたのである。
映画でもトリニティ実験でのプルトニウム原爆の出力予測は、TNT換算で3キロトンから20キロトンと不確かさが大きかったため、ネバダの実験場での兵士配置も9キロも離れたところとなっていた。
なぜこんなに出力予測が難しいかと言えば、超臨界持続時間の評価が困難だからである。爆縮して中性子を入力した後、爆発するのだがその結果、爆発してプルトニウムが熱膨張するため、すぐに未臨界になる。その時間は1マイクロ秒以下である。この短時間挙動が核的臨界性変化と熱的温度変化、結晶構造変化が互いにフィードバック効果により複雑に絡み合うので、解析的な評価がほとんど不可能なのである。この結果、ダイナマイトなどほぼ100%燃焼する従来型爆弾と異なり、原爆では装荷したプルトニウムやウランの数%から10%程度しか核分裂しない。中性子の挿入タイミングが超臨界状態から多少ずれてしまえば不完全爆発となり、通常爆弾よりも出力は小さくなる。
そのため、映画の中では、トリニティ実験が成功したときに、軍関係者、研究技術者など関係者全員がネバダ砂漠の中で大喜びする映像が映されたのである。
現在の各種報告書、ネット情報では、トリニティも長崎原爆もともに20キロトンということになっているが、これには大きな疑問がある。例えば広島・長崎の原爆被ばく生存者の被ばく線量とがん発症率の関係を評価すると被ばく線量は原爆出力と比例しないという不整合なデータが出ている。(本ブログ2024年8月8日記事等参照)
映画でも言及していたが、プルトニウムは濃縮ウランに比べれば製造が容易で、当時ソ連も開発していた。米政府としてはソ連との冷戦に備えて、プルトニウム原爆が確実な兵器となるように、日本がポツダム宣言を受諾する前に長崎で実験をしたかったのだろう。
その結果が、映画後半の主題であるオッペンハイマーのソ連スパイ疑惑審判に繋がっている。オッペンハイマーは水爆開発には反対したうえ、妻は元共産党員であり、かりにオッペンハイマーが失脚してもプルトニウム原爆の実用化には見通しがついていた。水爆には起爆剤としてプルトニウム原爆が必要だが、プルトニウム型原爆に必要な爆縮装置を提案した同僚のエドワード・テラーは戦後水爆開発に積極的だったからで、水爆の父とよばれることになる。
(2)テラーの水爆提案時期が早すぎる
映画では、トリニティ実験前にカリフォルニア大学バークレー校でテラーが水爆構造案を提案したことになっているが、テラーの最初の提案は北朝鮮のキム・ジョンウンが手に持っていた砲弾型のプルトニウム原爆からの中性子をトリチウムとベリリウムで増殖して反射させることで不完全爆発を防ぐテラー型原爆のはずである。トリニティの実験すら行っていない時期にテラーが現在の水爆を提案したというのは盛りすぎだろう。
(3)CIAが出てこないのは解せない
プルトニウム原爆のキー技術は爆縮装置だけでなく、不完全爆発を防ぐ合金組成にある。これは爆縮装置の小型化とICBM搭載のために必須だった。これを実現したのは実はソ連であり、ガリウムをプルトニウムに混合することで熱膨張を防せぎ、超臨界を維持できるようにしたのである。CIAはこの技術を盗み、米国政府に通報したが、その比率までは不明だった。その結果、ソ連の原爆と米国の原爆ではガリウム比率がことなったままである。映画ではFBIが赤狩りやオッペンハイマー審判で関わっているが、CIAのほうが、ソ連との原爆開発競争では情報が豊富なはずである。
いずれにせよ、バークレー校の自由すぎる雰囲気が天才たちの原子力エネルギーの利用や原爆、水爆の開発のきっかけとなり、功罪を生むわけだが、現在のバークレーの研究予算のかなりの部分が軍関係予算となっているようである。
今後はこのような天才はバークレーからは生まれないのではないかという気がする。映画のひとつの主題である開発のスピードアップのための情報共有と情報管理の両立は現代においても、どこの国、組織でも難しいということなのだろう。
(4)量子力学の解説
オッペンハイマーは恋人に量子は粒子であり波動でもあると言い、ヒトも量子でできた波動なのだから揺れていると言った後、二人のヒトが揺れている映像に切り替わるのだが、かなり品がないシナリオになったものである。大喜利以下のダジャレにしか思えない。
電子線の波動性というのは、スリットを通過した多数の電子が干渉し、光と同じような干渉縞や、電子顕微鏡のような光と同じような画像を結ぶことで実証されているが、そうなのだろうか。シナリオライターがちょっと勘違いしているのではないだろうか。
電子線が上記のような光と同じような波動性を有しているのは事実である。しかしである、電子線が波動性を持つのは電子そのものの性質ではなく、電子線を発生している原子の周囲の電子が波動性を持つので、そこから発生した電子線も波動性を持っているということなのである。
個々の電子の波動性により干渉縞を作るには同じ熱振動を有する一群の原子から発生する必要がある。線源が異なる電子は個々にはその波動性を有するが、干渉縞を作ることはない。これでは波動性を実証することはできない。電子線はすべて何らかの原子から発生するので、ここにはばらばらの周波数の波動をもっているので、波動性もあると言っても間違いとまでは言えないが、同期振動も干渉縞も作ることはできない。(多数の電子線の飛び交う中で波長が同じような電子が集まって、偶然干渉縞を作ることはあるだろうが。)
映画の二人のヒトのようには同期振動できないのが普通の人間関係であり、シナリオライターもそこまで掘り下げてほしかった。
映画なのでオッペンハイマーのプライベートや感情描写の良し悪しにはコメントはしないが、当時の原爆開発の基本的事項で疑問に感じたことを列挙してみる。
(1)広島型原爆と長崎型原爆を混同している。
ロスアラモスでの1945年7月15日のトリニティ実験は長崎型のプルトニウム原爆実験だったにもかかわらず、日本への投下は8月6日に迫っているという設定になっている。広島型は濃縮ウランなので、失敗することは当時であっても考えられなかった。プルトニウム型は、プルトニウムー240からの自発核分裂中性子により超臨界以前に核分裂連鎖反応を開始して不完全爆発することが予想されたので、トリニティ実験で事前確認したのである。
従って、日本にポツダム宣言受諾をさせるために、まず、濃縮ウラン型により広島で確実に原爆の威力を見せつけたうえ、僅か三日後に、不完全爆発の可能性もあったプルトニウム型原爆を長崎に落としたのである。
映画でもトリニティ実験でのプルトニウム原爆の出力予測は、TNT換算で3キロトンから20キロトンと不確かさが大きかったため、ネバダの実験場での兵士配置も9キロも離れたところとなっていた。
なぜこんなに出力予測が難しいかと言えば、超臨界持続時間の評価が困難だからである。爆縮して中性子を入力した後、爆発するのだがその結果、爆発してプルトニウムが熱膨張するため、すぐに未臨界になる。その時間は1マイクロ秒以下である。この短時間挙動が核的臨界性変化と熱的温度変化、結晶構造変化が互いにフィードバック効果により複雑に絡み合うので、解析的な評価がほとんど不可能なのである。この結果、ダイナマイトなどほぼ100%燃焼する従来型爆弾と異なり、原爆では装荷したプルトニウムやウランの数%から10%程度しか核分裂しない。中性子の挿入タイミングが超臨界状態から多少ずれてしまえば不完全爆発となり、通常爆弾よりも出力は小さくなる。
そのため、映画の中では、トリニティ実験が成功したときに、軍関係者、研究技術者など関係者全員がネバダ砂漠の中で大喜びする映像が映されたのである。
現在の各種報告書、ネット情報では、トリニティも長崎原爆もともに20キロトンということになっているが、これには大きな疑問がある。例えば広島・長崎の原爆被ばく生存者の被ばく線量とがん発症率の関係を評価すると被ばく線量は原爆出力と比例しないという不整合なデータが出ている。(本ブログ2024年8月8日記事等参照)
映画でも言及していたが、プルトニウムは濃縮ウランに比べれば製造が容易で、当時ソ連も開発していた。米政府としてはソ連との冷戦に備えて、プルトニウム原爆が確実な兵器となるように、日本がポツダム宣言を受諾する前に長崎で実験をしたかったのだろう。
その結果が、映画後半の主題であるオッペンハイマーのソ連スパイ疑惑審判に繋がっている。オッペンハイマーは水爆開発には反対したうえ、妻は元共産党員であり、かりにオッペンハイマーが失脚してもプルトニウム原爆の実用化には見通しがついていた。水爆には起爆剤としてプルトニウム原爆が必要だが、プルトニウム型原爆に必要な爆縮装置を提案した同僚のエドワード・テラーは戦後水爆開発に積極的だったからで、水爆の父とよばれることになる。
(2)テラーの水爆提案時期が早すぎる
映画では、トリニティ実験前にカリフォルニア大学バークレー校でテラーが水爆構造案を提案したことになっているが、テラーの最初の提案は北朝鮮のキム・ジョンウンが手に持っていた砲弾型のプルトニウム原爆からの中性子をトリチウムとベリリウムで増殖して反射させることで不完全爆発を防ぐテラー型原爆のはずである。トリニティの実験すら行っていない時期にテラーが現在の水爆を提案したというのは盛りすぎだろう。
(3)CIAが出てこないのは解せない
プルトニウム原爆のキー技術は爆縮装置だけでなく、不完全爆発を防ぐ合金組成にある。これは爆縮装置の小型化とICBM搭載のために必須だった。これを実現したのは実はソ連であり、ガリウムをプルトニウムに混合することで熱膨張を防せぎ、超臨界を維持できるようにしたのである。CIAはこの技術を盗み、米国政府に通報したが、その比率までは不明だった。その結果、ソ連の原爆と米国の原爆ではガリウム比率がことなったままである。映画ではFBIが赤狩りやオッペンハイマー審判で関わっているが、CIAのほうが、ソ連との原爆開発競争では情報が豊富なはずである。
いずれにせよ、バークレー校の自由すぎる雰囲気が天才たちの原子力エネルギーの利用や原爆、水爆の開発のきっかけとなり、功罪を生むわけだが、現在のバークレーの研究予算のかなりの部分が軍関係予算となっているようである。
今後はこのような天才はバークレーからは生まれないのではないかという気がする。映画のひとつの主題である開発のスピードアップのための情報共有と情報管理の両立は現代においても、どこの国、組織でも難しいということなのだろう。
(4)量子力学の解説
オッペンハイマーは恋人に量子は粒子であり波動でもあると言い、ヒトも量子でできた波動なのだから揺れていると言った後、二人のヒトが揺れている映像に切り替わるのだが、かなり品がないシナリオになったものである。大喜利以下のダジャレにしか思えない。
電子線の波動性というのは、スリットを通過した多数の電子が干渉し、光と同じような干渉縞や、電子顕微鏡のような光と同じような画像を結ぶことで実証されているが、そうなのだろうか。シナリオライターがちょっと勘違いしているのではないだろうか。
電子線が上記のような光と同じような波動性を有しているのは事実である。しかしである、電子線が波動性を持つのは電子そのものの性質ではなく、電子線を発生している原子の周囲の電子が波動性を持つので、そこから発生した電子線も波動性を持っているということなのである。
個々の電子の波動性により干渉縞を作るには同じ熱振動を有する一群の原子から発生する必要がある。線源が異なる電子は個々にはその波動性を有するが、干渉縞を作ることはない。これでは波動性を実証することはできない。電子線はすべて何らかの原子から発生するので、ここにはばらばらの周波数の波動をもっているので、波動性もあると言っても間違いとまでは言えないが、同期振動も干渉縞も作ることはできない。(多数の電子線の飛び交う中で波長が同じような電子が集まって、偶然干渉縞を作ることはあるだろうが。)
映画の二人のヒトのようには同期振動できないのが普通の人間関係であり、シナリオライターもそこまで掘り下げてほしかった。
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