身代わり忠臣蔵と白石ウーメンの複雑な関係 ― 2025年01月22日 20:08
以前、宮城県の特産品白石ウーメンの由来は、江戸時代の初期に旅の僧から作り方を教わったことにあることから、その旅の僧は松尾大源という慶長遣欧使節団の随行員ではないかという文を本ブログで書いた。
不連続連載小説 松尾大源(1)プロローグ(2024.2.9)~(14)エピローグ
(2024.6.29)
欧州で洗礼を受けた松尾大源はキリシタン禁令が出たのちに帰国し宮城県村田町に幽閉されていたが、長崎で遣欧使節団の仲間が布教活動をすると聞いて、僧の姿に身を隠し旅にでた。その途中、現在の白石市で、彼はローマで習った細いスパゲティの作り方を白石ウーメンの創始者に教えたが、伊達政宗の家臣片倉小十郎は事情を知ってそれを白石の特産品として広めたという話である。
ムロツヨシ主演の映画「身代わり忠臣蔵」にも武家の倅が旅の僧になって放浪したという話が出てくるので、これは江戸時代の武士階級では一般的なことだったのだろう。
この映画にも武士社会の親族間の問題が描かれているが、伊達政宗が諍いから弟を殺めたという逸話は事実ではなく、その諍いののち、政宗が弟を現在の武蔵五日市の古刹の僧となって身を隠すよう世話をしたとの論証がごく最近仙台の歴史学者からなされている。似たような問題が、この映画でも取り扱われている。
しかし、武士の名誉を重んじて討ち入りをして死ぬのか、僧侶の身となり、名誉とは別の世界を生き延びるのか、現在も似たような話が日本社会にはありそうだ。だから、忠臣蔵は何度も日本の文化史の中で取り上げられてきたのだろう。面白くも、深く考えらさせられる映画ではある。
不連続連載小説 松尾大源(1)プロローグ(2024.2.9)~(14)エピローグ
(2024.6.29)
欧州で洗礼を受けた松尾大源はキリシタン禁令が出たのちに帰国し宮城県村田町に幽閉されていたが、長崎で遣欧使節団の仲間が布教活動をすると聞いて、僧の姿に身を隠し旅にでた。その途中、現在の白石市で、彼はローマで習った細いスパゲティの作り方を白石ウーメンの創始者に教えたが、伊達政宗の家臣片倉小十郎は事情を知ってそれを白石の特産品として広めたという話である。
ムロツヨシ主演の映画「身代わり忠臣蔵」にも武家の倅が旅の僧になって放浪したという話が出てくるので、これは江戸時代の武士階級では一般的なことだったのだろう。
この映画にも武士社会の親族間の問題が描かれているが、伊達政宗が諍いから弟を殺めたという逸話は事実ではなく、その諍いののち、政宗が弟を現在の武蔵五日市の古刹の僧となって身を隠すよう世話をしたとの論証がごく最近仙台の歴史学者からなされている。似たような問題が、この映画でも取り扱われている。
しかし、武士の名誉を重んじて討ち入りをして死ぬのか、僧侶の身となり、名誉とは別の世界を生き延びるのか、現在も似たような話が日本社会にはありそうだ。だから、忠臣蔵は何度も日本の文化史の中で取り上げられてきたのだろう。面白くも、深く考えらさせられる映画ではある。
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