皇室への”カスハラ”の結末2021年10月16日 04:30

 現在の皇室への多くの国民の態度は、はやりの言葉で言えば”カスハラ”である。税金というお金を払っているのだから、自分たちの言うことを聞けということである。或いは自分たちは意見を言う権利があるということである。
 実際には年代により様々な立場がある。
 分かりやすいのは多くの若者たちである。
「税金を払っている自分に比べ、楽をして良い暮らしをしているーこれは不公平だーまして、借金をしている親戚にその税金が流れるのは許せない。」という立場である。
 税金で食べているのは、皇室だけではない。殆どの公務員がそうである。皇室は国会解散などの重要な国事行為を天皇の親戚である。これを考えれば、これらの若者の主張がどういうカスハラであるかが理解できる。自分より良い暮らしをしているが、立場上反論できない皇族への思いやりのない発言というカスハラである。なぜ皇族は反論できないか。それは日本の象徴の一族であるので、常に節度ある態度をとることが暗黙の了解になっているからである。イギリスならばそうではないかもしれない。
 次にカスハラするのは、多くの熟年層の男性である。そこそこ良い暮らしをしているが、皇室へは厳しい態度をとる。その親の世代とは異なり、戦後民主主義の中で成長してきた。
 「人間宣言をした天皇一家は自分たちと同じ人間であるはずだが、良い暮らしをしているーそれは税金と憲法で保障されているーだから、品位ある人々であらねばならないーそれなのに、今回のお相手はとてもそうとは言えない」という立場である。
 『お客様は神様です』を信じてきた、そして、仕事上もそれを信条としてきた熟年世代は、皇室に対しても同じ態度で心無い言葉を吐くのである。但し、男性皇族へ直接吐くのは憚られている。なぜなら、天皇になる可能性があるからである。そのため、もともと民間人、又は、民間人になるであろう女性皇族へ過大な要求をするのである。こう考えれば、美智子妃、雅子妃と続いてきた女性皇族への様々な圧力を理解できる。また、彼らの女系天皇への反発も理解できる。
 最後にやや複雑なのは、皇室ファンと呼ばれてきたそれなりの年齢の女性たちである。この人々の多くは専業主婦、又は、それに近い人々であった。
 「憧れの皇室の方々ー自分も理想的にはそうなりたいー近づきがたい高貴な方々ー自分はなれそうもないけれど常に夢を与えてもらいたい」という立場である。
 ところが、若い一人の女性皇族が、自分たちと同じように一人の恋する女性としてふるまっているーそれは、理想的な人々のイメージではない、もっとお相手も含め理想の高貴な方々であってほしいーと言いたいのがこの人々である。

 これらの人々は、大きな勘違いをしていると考える。
それは、現代の日本は、皇室を含め、ほとんどの情報が公開されてしまっていることである。そのため、皇族も多くの日本人と同じ感覚を持った方々であり、決して江戸時代の大奥のお姫様のような世間知らずではないということである。
 また、資本主義のこの世の中で、自分たちよりも裕福で自由に生活している多くの富裕層がいることも知っている。なぜ、このように国民からカスハラを受けなければならないのかーそれは皇族ゆえならばーそれは離脱してもいいーと思うのが人情である。
 
 もっとも心配なのは、国外に行かれる姉君ではなく、弟君である。多くの親たち、先生たちの考えが生徒たちに影響して繰り広げられているだろう学校でのいじめは、週刊誌などの間接的カスハラとは異なり、直接的な心理的圧力であろう。そこに、一般的な姉弟関係であれば、もっとも頼りにしている姉君との長い別れが来る。現代日本で普通に育った若者であれば、家出をしたくなるような状況である。将来の国民の統合の象徴となるべき方が、多くの国民のカスハラにより、そのような状況に陥っていることに人々は思いを馳せるべきである。
 象徴天皇制ではなく、お隣の国のような共和制がよいというのであれば別のはなしになるが。

 なお、憲法論議からすれば、天皇は基本的人権を有する国民には含まれないかもしれないが、皇族は天皇になる可能性はあっても、天皇ではないので、基本的人権を有しないとまでは言えないというのが大方の憲法学者の見解であろう。従って、皇族のどなたかが結婚以外であっても皇室を離れる自由はあると解釈できる。
 イギリスでは実際に王位を捨てた例もあるので、同じような制度の日本でそれが起こらないと保証することはできない。