落穂拾いに隠された意味2024年08月11日 04:17

 山梨県立美術館には。ミレーの落穂拾いが飾られている。
 65歳以上は県民以外も入場無料なのだが、一見の価値がある。

 この絵を購入した際は税金の無駄遣いだと話題になったが、このような有名な美術品は価値が落ちることはないので、長期安定資産だと思えば高くはない。しかも、現金や株と違い、鑑賞する喜びもある。(お金の好きな人は貯金通帳や札束の鑑賞の方が嬉しいかもしれないので人それぞれかもしれないが、上品さでは絵画鑑賞にはかなわないだろう。)

 実は、ミレーの「落穂拾い」(英語ではThe Gleaner)は、二つあり、オルセー美術館にあるのが、教科書に出ている絵であり、山梨県立美術館にあるのはほぼ同じ構図の落穂拾いであるが、名前は「落穂拾い、夏」(英語ではThe Gleaner, summer)という。両方とも本物である。(山梨県立美術館にはミレーの「種をまく人」もある。これも本物である。)

 先日、訪れた際、我々は全くの素人なので説明を聞きたいと一言頼んだところ、以下のように二つの落穂拾いの絵に隠された意味を特別にボランティアの方が説明してくれた。

 その説明により、二つの落穂拾いを並べてみないとはっきりとはわからないかもしれない隠された意味があることが分かった。

 オルセー博物館の「落穂拾い」は有名だからある程度イメージできるであろう。

 遠くに三つの干し草の山があり、手前に三人の農婦がいて落穂を拾っている。

 この構図は、山梨県立美術館の「落穂拾い、夏」も基本的に同じである。 違いは、山梨県立美術館の「落穂拾い、夏」では、干し草の山(実は収穫したばかりの小麦の穂の山)と落穂拾いをしている農婦の距離が短く、すぐそばに見える。一方、オルセー美術館の落穂拾いでは視角が多少異なり、干し草の山までの距離が一キロぐらいに離れて見えることである。

 この暗示するところは、小麦の山は地主の収穫物であり富裕層を象徴し、落穂拾いの農婦は庶民を象徴しているということである。即ち、「落穂拾い、夏」の絵では富裕層と庶民が夏の収穫の際にはまじかに見えているが、実際にはオルセー美術館の「落穂拾い」の絵のように、秋のような厳しい季節になれば格差が大きいことが明らかになるーという身につまされるような真実が二つの絵でミレーが言いたかったことなのである。

 これが実感できるかどうか、可能であれば山梨県立美術館を訪れてほしい。(なお、説明ボランティアは常駐してはいないそうである。)
 
 オルセーの方は、教科書でもネットでもよく見られるので余裕のある方はパラリンピック見学を兼ねてパリを訪問されたら良い。(なお、昔フランスの美術館は週末は無料だったような気がするが今は分からない。)

 話は変わるが、モスクワの美術館はすべて入場無料で説明ボランティアもおり、写真撮り放題だった、文化レベルの差なのか政治レベルの差なのか現在では確認できないのが残念である。

差別発言と「the」問題2021年02月15日 07:18

マーク・ピーターセンさんの「日本人の英語」に書かれていたと記憶するが、「the」には話者と読者が了解している場合の名詞に使われるので、無知の「the」というものがあるそうだ。宇宙人の襲撃のSF映画で、誤解してロシアからの攻撃だと思いこんだ米国人がthe Russians comeとか言ったそうだ。
冷戦時代の米国民でも差別意識なしに、the Russians と言ってしまうのだから、女性が鉄のカーテンの向こうの人々だと思って生きてきたお方がthe Femalesと言ってしまっても仕方がないかもしれない。

しかし、冷戦はとっくに終わったし、genderに関係なく共生する社会となっている。

日本人は特に同質化が進んだ民族なので、同質でない人々をこの無知のtheでグルーピングしないと不安になり、自分の存在意義がなくなると思いがちである。当事者にとっては不愉快なこともおおいであろう。このような例は山のようにある。

the 大阪のおばちゃん
the 迷惑老人
the 若者
the サラリーマン
the 政治家
the マスコミ

しかし、しかし、言葉というものはもともと事象をグルーピングすることで抽象化し、効率的に意識を具現化、伝達するものなのである。どうしてもtheでまとめたような言葉が必要になる。

ではどうするか。すべてはその単語ではなく、どのような文脈でその言葉が使われたかで判断せざるを得ない。そういう意味で私は文章となっていないスローガン、キーワードの羅列、最近ではツイッターでの短い発言などはまともに聞かないようにしている。マスコミやCMで使われる何とかが重要だとか、何とかが良いなどという話もそれだけではあまり意味がないものと思っている。

イヤホン勉強では英語が上達しない訳2020年08月29日 19:41

IPADでニュース英語を聞いていて気が付いた。
昼間歩きながら英語をイヤホンで聞いているが、IPADでスピーカから聞いている時と聞こえ方が違う。というより細かい発音が分かれて聞こえる。

体の反応の違いに注意を向けると、IPADで顔の下のほうから音が聞こえると、口でかすかにシャドウイングして発音しているようである。聞こえる音声を無意識で無音声でスピーキングしているのである。これは顎や顔の骨格が音を感じて同じ音を反復しているのではないかと思う。
ヒアリング上達のコツはその音をうまく発音できることと言われている。
IPADでは上記のような理由で発音練習になっているため、細かい音がとらえられるようになるのではないか。

一方、イヤホンで英語を聞いても口のかすかな動きが感じられない。単に耳だけで音を聞いているのである。つまり発音練習にはなっていないので、音の微妙さ、反復練習ができていないので、何度聞いても音がスルーしてしまうのではないか。

室内でも歩きながらでも、英語を聞く際は、ちょっと迷惑かもしれないがスピーカーを使って顔の下から音を浴びせるようにしたほうが良いと思う。