日本人の苗字規則と思い出し方2022年05月05日 15:05

タレントの名前が出てこない―そんなとき、手掛かりなしに苗字を思い出す方法を検討した。

基本的に2つの漢字から構成される。
パターン1
その漢字の一つの多くは地名、地形に由来している。
他の漢字はその形容詞である。

地名、地形由来の漢字には、
山、川、崎、谷、浜、岩、木、森、野
村、町、戸、家、橋、田、畑、井、原

がある。

その形容詞としては、
上、下、中、横、
大、小、前、後、
内、外、新、古、
遠、近、間、
白、黒
東、西、南、北
がある。

パターン2
歴史上の人物に由来する名前
藤原氏に代表される漢字一文字+藤(党)型の名前

後ろの漢字は

藤、部、辺

前の漢字は

阿、伊、宇、江、
加、工
佐、須


以上、挙げた漢字は50個である。
多くの苗字はこの50個の漢字の組み合わせでできている。

従って、この50個の漢字のみを覚えておけばよい。これらの漢字の組み合わせで、大部分の名前を思い出せるはずである。

核攻撃に対する専守防衛策2022年05月14日 06:09

通常の核爆弾は、即発臨界以上の超臨界状態で中性子を投入することで十分な爆発力を得ているはずである。即ち、臨界状態で中性子が投入されれば、熱的フードバックにより不完全爆発となるはずである。
そこで、核攻撃を受けた際に、上空の中性子密度を上げておけば、爆縮で臨界状態になった際に中性子が投入され、不完全爆発となる確率を増大できる。
その方策として、都市上空にベリリウムを散布することが考えられる。ベリリウムは宇宙線中の中性子を増倍できる性質を持っている。ベリリウムから発生する中性子密度を爆縮中の核爆弾の臨界から即発臨界までの時間内に核爆弾に投入できるシステムができれば核攻撃に対する専守防衛が可能となる。
これは単純な爆縮型の核爆弾だけでなく、ブースター型の核爆弾に対しても核融合反応が生じない程度に臨界直後の早期に中性子が投入できれば有効となるはずである。

天皇制の危機とロシアの危機2022年05月24日 06:17

 数年前にロシアを訪れ、国家には統合の象徴が必要だとつくづく思った。
 ソ連崩壊から20年、宿泊したホテルの眼下に流れるモスクワ川の堤防に、ロシア正教会を訪れる数千人の人々の切れる事のない列を目撃したからである。
 これがソ連崩壊でもロシアが崩壊しなかった心理的理由だったのか。共産主義政権下で宗教は無くなったのかと思っていたのは大きな誤解だった。現在、他の宗教もあるが圧倒的多数はロシア正教徒である。それが、年配のロシア国民がウクライナを兄弟国と思う一要因にもなっていて、プーチンの今回のウクライナ侵攻への支持に繋がっている。
 翻って、日本の国民の心理的一体性は何に依拠しているのだろうか。日本語の使用もあるだろうが、心理的には、宗教が冠婚葬祭の時にしか意識されない日本で多くの人が無意識に依拠してきたのは天皇の存在だろう。イベントなどで多くの人が無条件に歓迎の意を表する。
 天皇と日の丸が真理的な日本人の一体感を多くの日本人に感じさせる。アメリカではこれに相当するものが星条旗しかないから、最近の大統領選で見られるように国民の分断が進み易い。
 日本国家が必要だと思うなら、宗教心もなく、共和制も採れそうにない日本では、象徴天皇性は必須であろう。

 最近、一人のジャーナリストが出版した「秋篠宮」という本に対し、週刊誌やネットを含め批判が絶えないそうである。
多くは、小室氏、眞子さん結婚への批判と同様、伝統的な天皇家、家父長制の維持の観点での保守層からの批判である。これに、皇族の生活を羨むネット民からの批判も加わり、多くの国民が同調しているようだ。
 しかし、我が身を振り返って見るなら、産まれながらにして、将来の有り様を皇室典範で規定されている皇族は、天皇制を守ろうとすれば自分の自由を捨てなければならない。それが、自分の意思ではどうしようもない状況である。
 皇族よりももっと良い生活をして、且つ、自由を謳歌している若者、資産家は国内に何万人もいる。それを考えたら、天皇制維持の為に進んで我が子を犠牲にするような教育をする事が可能だろうか。
 週刊誌の記者もジャーナリストならば、皇族と平民が情報的にも隔離され、生活レベルも異なっていた戦前の天皇制と、戦後の日本国憲法下での天皇制維持の違いくらいは、考慮して記事を書いて貰いたい。
 少なくとも、国民の税金云々を言い出す前に、戦後、GHQ、政府が取り上げ、国家資産になっている数千億円の旧皇室財産を皇族に返還する運動を起こすべきだろう。週刊誌の記者もネット民もその国家資産の恩恵は十分に受けているのだから。
 即ち、この著者の本を批判する週刊誌記者などは、皇族が、海外で生活する家族に十分な仕送りも自由にできないような資産的に不安定な状況を煽りつつ、戦前と同じ天皇制の維持が出来るよう自ら犠牲になれと言っているようなものである。また、このような虫の良い要求に賛同する国民も多いという事である。
 かつて、太平洋戦争では日本軍は天皇陛下の為に戦ったが、関係者が家族を大切にできないような状況の象徴天皇制のもとでは、国家のために戦う人の割合は、あのロシアよりも低いという事だけは断言できる。

電子のエネルギーが負になる訳2022年05月25日 06:11

エネルギーは質量と等価であるが、質量が変わらない場合、粒子のエネルギーは運動エネルギーと位置エネルギー(ポテンシャルエネルギー)の和で表すことになっている。
電子は自由電子というものもあるが、一般には原子核に結びついている。その結合度合いが化学では重要であり、エネルギー状態を定義する際に運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの合計をEとしている。
では、運動エネルギーは正なので、ポテンシャルエネルギーが正だとEも正にできそうである。しかし、ポテンシャルエネルギーを正にしてしまうと、電子は原子核に結合していないことになる。即ち、運動エネルギーが正ということは、自由電子の状態となるので、化学論の対象外となる。化学論では、あくまで電子はある程度原子核に結合している必要があり、運動エネルギーが与えられればポテンシャルエネルギーはエネルギー保存則の補償分として正側に(負が小さくなる側)に変化することになる。
ここで、運動エネルギーは大きいほど正側にすることが分かりやすいので、ポテンシャルエネルギーは負として定義せざるを得なくなる。
基底状態の電子位置と原子核との距離によりポテンシャルエネルギーの極小値が決まり、距離が遠くなればその分が運動エネルギーとして与えられることになる。地球上空の衛星軌道を想定すると解りやすい。)即ち、無限遠では衛星は自由電子のようにふるまうことになるので、無限遠でポテンシャルエネルギーが0となるよう定義すればよい。運動エネルギ-は、基底状態から離れることを意味し、その分が正の運動エネルギーとして与えられ、ポテンシャルエネルギーと運動エネルギーの合計は常に保存されることになる。

消費することが生きがいであって何が悪い!2022年05月29日 06:06

 生きがいには2種類ある。

 (1)自分が好きなもの、好きなことをやること。
 (2)他者が求めるもの、求められるものをやること。

(1)は簡単そうだが、(2)は何を他人が求めているのか簡単には分からない。
 しかし、消費するというのはどうだろう。お金は誰もが求めるものであるので、消費することでお金をだれかに渡すということは正々堂々と生きがいにしていいはずである。
 それが無駄遣いだろうが、環境に負荷をかけようが(経済活動、人間活動はすべからく環境を利用している、環境の維持に活動が寄与しているという言辞は、相対的に環境負荷が小さくなるという言い訳ともいえる)他者のためになるはずである。
 だが、消費を生きがいにしているということを公言するのは、日本の平均的価値観から離れているようだ。
 それはなぜだろうか。
 
 儒教的労働観から働くことが当然であり、労働や勉強のためだけに消費することが許される価値観が世間にまん延している。
 ある知り合いは、長年公務員として勤め上げたので子息も当然働くべきであり、働かない限り、遊び消費することを許さないのである。
 それが昭和の父親の価値観であろう。

 しかし、リーマンショック後の日本では、効率的な労働者のみが求められ、不要とみなされる労働者は増加の一途である。このような傾向は、生きがいを失った人々の増加による病的社会傾向となって、社会的な大きな負担と損失に結びついている。

 これを解決するには消費は労働しなくても可能なのであり、効率的に消費することを社会的な価値あることとして認める風潮を広げるのが一番である。

 私も胸を張っておおいに浪費しよう。後ろめたく思う必要はない、価値のある生きがいなのである。

 ただ、生きがいとなるには各自が心から満足し、社会への負担を減らす方向になるはずである。
 賭け事を心から自分の生きがいだと公言している人を聞いたことがないが、それは賭け事で心から満足し、真の喜びをえることがないからだろう。