天皇制の危機とロシアの危機2022年05月24日 06:17

 数年前にロシアを訪れ、国家には統合の象徴が必要だとつくづく思った。
 ソ連崩壊から20年、宿泊したホテルの眼下に流れるモスクワ川の堤防に、ロシア正教会を訪れる数千人の人々の切れる事のない列を目撃したからである。
 これがソ連崩壊でもロシアが崩壊しなかった心理的理由だったのか。共産主義政権下で宗教は無くなったのかと思っていたのは大きな誤解だった。現在、他の宗教もあるが圧倒的多数はロシア正教徒である。それが、年配のロシア国民がウクライナを兄弟国と思う一要因にもなっていて、プーチンの今回のウクライナ侵攻への支持に繋がっている。
 翻って、日本の国民の心理的一体性は何に依拠しているのだろうか。日本語の使用もあるだろうが、心理的には、宗教が冠婚葬祭の時にしか意識されない日本で多くの人が無意識に依拠してきたのは天皇の存在だろう。イベントなどで多くの人が無条件に歓迎の意を表する。
 天皇と日の丸が真理的な日本人の一体感を多くの日本人に感じさせる。アメリカではこれに相当するものが星条旗しかないから、最近の大統領選で見られるように国民の分断が進み易い。
 日本国家が必要だと思うなら、宗教心もなく、共和制も採れそうにない日本では、象徴天皇性は必須であろう。

 最近、一人のジャーナリストが出版した「秋篠宮」という本に対し、週刊誌やネットを含め批判が絶えないそうである。
多くは、小室氏、眞子さん結婚への批判と同様、伝統的な天皇家、家父長制の維持の観点での保守層からの批判である。これに、皇族の生活を羨むネット民からの批判も加わり、多くの国民が同調しているようだ。
 しかし、我が身を振り返って見るなら、産まれながらにして、将来の有り様を皇室典範で規定されている皇族は、天皇制を守ろうとすれば自分の自由を捨てなければならない。それが、自分の意思ではどうしようもない状況である。
 皇族よりももっと良い生活をして、且つ、自由を謳歌している若者、資産家は国内に何万人もいる。それを考えたら、天皇制維持の為に進んで我が子を犠牲にするような教育をする事が可能だろうか。
 週刊誌の記者もジャーナリストならば、皇族と平民が情報的にも隔離され、生活レベルも異なっていた戦前の天皇制と、戦後の日本国憲法下での天皇制維持の違いくらいは、考慮して記事を書いて貰いたい。
 少なくとも、国民の税金云々を言い出す前に、戦後、GHQ、政府が取り上げ、国家資産になっている数千億円の旧皇室財産を皇族に返還する運動を起こすべきだろう。週刊誌の記者もネット民もその国家資産の恩恵は十分に受けているのだから。
 即ち、この著者の本を批判する週刊誌記者などは、皇族が、海外で生活する家族に十分な仕送りも自由にできないような資産的に不安定な状況を煽りつつ、戦前と同じ天皇制の維持が出来るよう自ら犠牲になれと言っているようなものである。また、このような虫の良い要求に賛同する国民も多いという事である。
 かつて、太平洋戦争では日本軍は天皇陛下の為に戦ったが、関係者が家族を大切にできないような状況の象徴天皇制のもとでは、国家のために戦う人の割合は、あのロシアよりも低いという事だけは断言できる。

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