不連続連載小説 松尾大源(7) ― 2024年06月16日 18:10
大源は30名に及ぶ一行の中では最年少であった。そのためか、或いはソテロが特に可愛がったためか、スペイン語の習得は早く、地元民との意思疎通には問題がなかった。そして、スペインにとっての宗主国であるバチカンがあるローマの日常語も彼はマスターできたのであった。
マドリッドに一行が到着して半年後の1615年夏にバチカンからのやっと謁見の許可が下りたとの連絡が入った。但し、人数は最小限にしてもらいたいとのことであった。バチカンとしては、東洋の小国の代表、それもキリスト教禁令の出ている国の派遣団と公式に会うことをできるだけ目立たせなくないとの意向があったのである。
そのため、バチカンに向かったのは10名足らずであった。当然、大源も留め置かれるかと思われたが、彼には通訳ができるほどの語学力がついていたのである。若いということがここで生きたのである。
しかし、バチカンに到着し、明日は法王に謁見できるという朝、謁見できる人数は7名にしてくれとの連絡が入り、大源は法王庁には行けなくなったのである。やはり若年者であるということがその理由になっていた。
常長らが法王庁に向かった当日、大源は時間を持て余し、ローマの街を一人見物することとした。ソテロに教わっていたおかげで、意思疎通に不安はなかった。
そして、ある街かどで、仙台では見慣れたはずの素麺作りをしている現場にであったのである。ただ、わずかに作り方が違っていた。素麺では小麦を長く伸ばす際に切れないように植物油を薄く塗るのである。それが仙台での作り方と異なっていた。話を聞くと、捻りながら打った麺を伸ばすことで植物油を使わずに細い麺を作ることができるそうである。それが現地ではスパゲッティと呼ばれているポピュラーな食べ物だった。ただ、その麺の色はやや黄色ががった見慣れないものだった。小麦の種類がことなるスパゲッティ専用の小麦だそうである。
大源は政宗から西欧との交易のための知識を得てくるようにとの命も受けていた。この植物油を使用しない麺の作り方をマスターするために、その後、常長がローマを離れるまでにそのスパゲッティ工場に数回通い、実際にスパゲティの作り方を習得してしまったのである。
マドリッドに一行が到着して半年後の1615年夏にバチカンからのやっと謁見の許可が下りたとの連絡が入った。但し、人数は最小限にしてもらいたいとのことであった。バチカンとしては、東洋の小国の代表、それもキリスト教禁令の出ている国の派遣団と公式に会うことをできるだけ目立たせなくないとの意向があったのである。
そのため、バチカンに向かったのは10名足らずであった。当然、大源も留め置かれるかと思われたが、彼には通訳ができるほどの語学力がついていたのである。若いということがここで生きたのである。
しかし、バチカンに到着し、明日は法王に謁見できるという朝、謁見できる人数は7名にしてくれとの連絡が入り、大源は法王庁には行けなくなったのである。やはり若年者であるということがその理由になっていた。
常長らが法王庁に向かった当日、大源は時間を持て余し、ローマの街を一人見物することとした。ソテロに教わっていたおかげで、意思疎通に不安はなかった。
そして、ある街かどで、仙台では見慣れたはずの素麺作りをしている現場にであったのである。ただ、わずかに作り方が違っていた。素麺では小麦を長く伸ばす際に切れないように植物油を薄く塗るのである。それが仙台での作り方と異なっていた。話を聞くと、捻りながら打った麺を伸ばすことで植物油を使わずに細い麺を作ることができるそうである。それが現地ではスパゲッティと呼ばれているポピュラーな食べ物だった。ただ、その麺の色はやや黄色ががった見慣れないものだった。小麦の種類がことなるスパゲッティ専用の小麦だそうである。
大源は政宗から西欧との交易のための知識を得てくるようにとの命も受けていた。この植物油を使用しない麺の作り方をマスターするために、その後、常長がローマを離れるまでにそのスパゲッティ工場に数回通い、実際にスパゲティの作り方を習得してしまったのである。
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