不連続連載小説 松尾大源(9)2024年06月25日 08:54

 長崎から仙台までの一か月の道中も、常長らと一緒とはいえ、大源にとっては、針の筵の上を歩く厳しい旅だった。
 すでに、キリシタン禁令は全国に行きわたっており、彼らは幕府の役人の監視下、武士の命である刀を取り上げられ、目立たぬ服装で歩くしかなかったのである。

 まして、藩主正宗から指示があった西欧との貿易の目途はつかず、仙台に着いたらどんな沙汰が待っているのか、6年ぶりの日本の変わりように心は沈むばかりだった。

 常長はどんな気持ちでこの旅を見ているのだろうか。どのような処遇になるのだろうか。ソテロが日本に来ることはできるのだろうか。それよりも長崎で見聞きしたように、我々一行がキリシタン禁令に触れるとして仙台で火あぶりになったりすることはないのだろうか。

 伊達政宗は機を見るに敏な藩主である。家康が、日光に東照宮を作ると、仙台にも同じように町の東の端に東照宮を建て、北山には輪王寺まで建立し、日光と同じような城下町とすることで家康のご機嫌取りをした。

 本心はどうであれ、表立って幕府への反発はできないはずだ。数年前に反発する異母弟を討ち首にしたという政宗の噂は嘘で、実際には、多摩の五日町の旧庵へ出家させたということは聞いてはいた。

 我々は政宗の親戚ですらない。結果的に政宗の命を達成できなかったのだから、打ち首になっても仕方はなかった。

 だが、政宗はそれほど冷たい藩主ではなかった。仙台城に到着して彼らが受けた裁量は、故郷での蟄居だった。常長は仙台の西、蔵王の麓の川崎に、大源は川崎に隣接する村田に戻されたのである。

 蔵王と東側の丘陵に挟まれて盆地になった村田は冬は蔵王降ろしが冷たく、夏は仙台湾からの海風が届かないために多くの農民が日射病で倒れる厳しい気候だった。

 まだ、三十にもならない、若い大源は、滞在した欧州の事物の記憶を整理しながら、この村田からの脱出の機会を窺っていた。