自己承認欲求は誰に認められたいということなのか2021年11月10日 10:02

 最近、連続している電車テロの原型として、「黒子のバスケ」脅迫事件があったと篠田博之氏のブログ記事にあったので、犯人が獄中で書いた手記「生ける屍の結末:「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相」を購読してみた。そのあとがきは衝撃的なものであったが、篠田氏の記事では、刑務所での作業の責任者となり、人柄が変わったらしい。
 刑務所内で自己承認欲求が満たされるものであるならば、事件前の環境は、犯人にとって運が悪かったとしか言いようがない。
 心理学者やマスコミはテロ事件やその容疑者の背景を報じるが、実際には身近な人のたった一言、一挙動で容疑者が救われることが多いのではないだろうか。
 もっとも自己承認欲求を満たす可能性が大きい人物は、彼又は彼女の母親であろう。しかし、親子でも相性がある。母親のリテラシー能力も常にあるとは限らない。親が虐待的しつけをしたことが事件の背景にあることも多い。また、母親がすでに亡くなっているか分かれているなどの状況もありうる。
 ではどうしたらいいのだろうか。

 まず、この手記を読んで、彼の自頭の良さに感銘した。これだけ詳細に自分の背景と事件の背景、社会の問題点を具体的に指摘している本はない。社会学者、心理学者にこれだけ当事者の状況に踏み込んだ本は書けるものではない。彼が両親に対し、自分のような汚物を社会に排出したなどと記述しているが、このような本を記述できるだけでも素晴らしいリテラシーである。そして、この本がこのブログのように引用されること自体が、自己承認欲求を満たすものとなっている。

 では、なぜ、多くの自己承認欲求に悩みを持つ人々がこのネット社会で満たされないのか。
 その一因は、ネット社会での発信が、多くの場合、匿名になっているためではないのだろうか。匿名であるということは、自分が社会では直接見えない存在ということになる。それは自己承認欲求とは本質的に矛盾するシステムなのである。
 彼は、ネットを駆使してこの事件を起こしたわけであるが、その前に、実名で様々な発信をしていたら、まったく別の展開になっていたかもしれない。
 実名で発信するということは、少なくとも社会への自己開示であり、即ち、反発を受けることもあるだろうが、直接的な自己承認、アイデンティティの確認になる。
 このブログは匿名なので言っていることは矛盾しているが、自己承認欲求への対応として、実名ブログ、実名SNSを多くの人が始めたら、日本であっても、このような事件は減少していくだろう。