引率教員の有罪判決は法の下の平等に反するのではないか?2024年05月31日 20:17

 那須岳の高校山岳部訓練での雪崩事故で、引率教員ら3名に対し一審の有罪判決が出た。禁固2年の実刑という非常に厳しいものである。

 わが子をなくした遺族は誰かに責任を取ってもらわなければ怒りの持って生きようがないのは分かる。

 しかし、相手は自然である。わが子が山岳部に入った時から、自然とは人間の手には負えないリスクのある存在であることを覚悟すべきではあったと思う。

 確かに、客観的に見て、晴天後の大量降雪のあと、急斜面を歩行訓練するのは無謀に近い。しかし、引率教員はそれほどの冬山経験がなく、林間での雪上歩行訓練だったため、雪崩の危険は事前には感じられなかったであろう。実際、雪崩のブレークポイントは一行の隊列よりかなり上部であった。即ち、人工雪崩ではないのである。

 現時点でも雪崩が発生する定量的な条件というものは予測不可能である。即ち、斜面と雪があれば雪崩が発生する可能性は必ずある。
 そこを線引きできるだけの人間はいまだにいない。

 即ち、責任者を断罪するということは、端的に言えば結果論で断罪しているのである。これは法律的にもおかしい判断であると思う。

 かって、立山大日岳での大学生雪上訓練で雪庇の崩落により学生が死亡した事故があったが、引率した文科省登山研修所の指導者たちは刑事責任は問われていない。損害賠償を国が支払うという民事裁判だけで決着している。
http://shirakaba-law.jp/handling/007.htm

 雪庇の崩落も雪崩の発生も自然現象であり、予測が完全にできることはあり得ない。

 しかし、この二つの事故における引率指導者に対する不平等な警察、検察の扱いはなぜなのか。

 一方は、地方公務員である高校教師であり、他方は文科省の組織にある国家公務員の研修員である。この差がこれら裁判での警察、検察、裁判所の判断に影響しているとしか思えないのである。

 法の下の平等はどこに行ったのだろうか?