毛糸の帽子が鼻づまりを防止できるワケ2025年01月22日 04:40

 ここ数年、就寝中に鼻づまりが悪化し、息苦しくて起きてしまうことが続いていた。もともと軽い副鼻腔炎と診断されており、ある耳鼻科ではアレルギー性鼻炎ともいわれたが、薬を飲むのをやめると鼻づまりを生じるのである。

 そこで、鼻洗浄とか、マスクとか、鼻づまり防止用鼻スプレーとかいろいろ試してみたが、なかなか改善しない。

 ところが、昨日記載したように床暖をやめ、代わりに毛糸の帽子を被って寝たところ鼻づまりが改善される結果となっている。

 毛糸の帽子は目深に被って、頭や顔が寒くならないようにしているのである。これが改善の主要因ではないかと感じた。

 では、なぜ、毛糸の帽子を目深に被ると鼻づまりが改善されるのか。

 鼻づまりとは、副鼻腔と鼻腔の間の連絡孔が粘液でふさがり、粘性抵抗が生じるために呼吸がしづらくなるためと考えられる。副鼻腔とは顔の前面の皮膚の下部にあり、軟骨組織で構成された扁平形状の洞窟である。この洞窟は全部で6個あり、額下部に2個、ほほの内側の左右に2個づつ、鼻腔の左右に2個、計8個あり、これが細い孔でその内側にある鼻腔とつながっている。この連通孔(合計8か所)は直径が1~3㎜と細く、これらが粘液でふさがると鼻づまりの息苦しさの症状を呈する。

 従って、この連通孔が粘液で塞がらないようにすることが鼻づまりの防止になる。漢方では、副鼻腔炎は呼吸の仕方に問題があるから発生する症状だとのことである。即ち、呼吸が正常に起こっていればこの連通孔は粘液で塞がることはなく、内部で炎症が生じることもないという考えである。

 就寝時は、呼吸が浅いうえ、横になるので、炎症で副鼻腔内で生じた粘液(軽症の場合はこれが粘膜を感染から防ぐ役目もするのだが)がこれらの連通孔(計8個ある)のどれかに重力落下し、その付近に滞留するので息苦しく感じ、鼻づまりの症状を呈しやすくなる。

 この粘液の連通孔での滞留を防ぐには、副鼻腔内の気圧を上げることが有効である。空気力学的に考えれば、気圧が上がった高気圧部(副鼻腔)から低気圧部(鼻腔)に気流が流れやすくなるはずである。粘液は気流のジェット噴射効果により、鼻づまりが緩和される。例えれば、ダイソンの扇風機がジェット気流で中心の空気が巻き込まれて風量をますのと同様のジェット効果が期待できる。即ち、呼吸時の空気の掃き出しにより、鼻腔の内圧が下がる。この時、副鼻腔の内圧が鼻腔の内圧より高ければ、空気のジェット噴射が連通孔内で生じる。この噴射により連通孔に粘りついていた粘液が巻き込まれて鼻腔に落ち、鼻の通りが良くなるというメカニズムである。
 漢方ではこのようなメカニズムまで想定して、副鼻腔炎は呼吸に問題があるとしていたのだろう。

 一方、毛糸の帽子を目深に被ることは、額やほほの前面を保温することになり、その付近の副鼻腔内の空気の温度を上昇させることになるはずである。即ち、副鼻腔内の空気圧力はボイル・シャルルの法則により上昇する。その結果、副鼻腔から鼻腔への空気の流れが生じやすくなり、連通孔での粘液の渋滞は生じにくくなって、鼻づまりが起こらなくなる。

 これが毛糸の帽子が鼻づまりの防止に役立つのであるーという、「風が吹けば桶屋が儲かる」という話よりはかなり尤もらしい仮説である。この仮説をエビデンスレベルにどなたか実証していただけると夜に鼻づまりで苦労している睡眠不足に陥っている人への福音になるだろう。医療費や薬の削減にも多大の寄与をするし、光熱費の低下、環境へ好影響もある。

 ところで、この副鼻腔という軟骨組織は、なぜ存在するのか、医学書を読んでもその存在理由は分かっていないようだ。想像するに、ヒトの祖先がまだ海の中で生活する魚の段階だったころ、泳いでいて物体に衝突したときに中枢神経系を守るための衝撃緩衝装置として発達したのか、或いは脳が重くなり、頭部に浮袋機能が必要となって発達した空洞かのどちらか、或いはその両方なのだろう。

 毛糸の帽子よりも更に強力に顔面の温度を上昇させるものに、冬山用の赤い目出帽がある。かつて、ザ・デストロイヤーというプロレスラーが被っていた目と鼻と口だけが出ている頭部全体を覆う派手な色の帽子と同形状である。最近の冬山用の目出帽はもう少しスマートになって黒い化学繊維でできており、プロレスで使っても迫力はないが、夜就寝時に使うならどちらでも可である。なお、ザ・デストロイヤーが意識して赤の目出帽を使っていたのではなく、当時の冬山用の目出帽は、雪崩で埋もれたりしたときに白い雪山で目立つよう、一般に赤の毛糸でできていたのである。(これはエビデンスなしの余談です。)

行方不明ファイルの発見経緯2025年01月22日 07:36

 昨日作業して保存したはずのWORDファイルが行方不明になった。フォルダーを調べても一昨日の古い同名のファイルが残っているだけである。
 昨日のファイルはどこに消えたのか。修正追加した作業は夢だったのか。よくある話である。

 ChatGPTに聞いたら、Recuvaという行方不明ファイルの検索ソフトがあるそうだ。使ってみたらC:ドライブを検索するのに1時間くらいかかる。それらしいファイルを開こうとしたらそれは有料だとの表示が出た。

 諦めかけて、ゴミ箱を除いてみたらそこにファイル名+拡張子asdとなっている昨日のファイルらしいものが残っていた。削除した記憶はないのだが、なぜか、同一名のファイルを開いたときに最初に開いたファイルがゴミ箱に移動したようだ。その際、ファイルの拡張子が自動的にasdになったようだ。ChatGPTでも最初にゴミ箱を探せと書いてあったが削除した記憶がないので無視したのが間違いの元だった。

これらの一連の作業時間は約2時間で、昨日修正追加に費やした作業時間も約2時間であるが、同じ作業を繰り返すのは精神的につらい。ゴミ箱に感謝して(お賽銭は入れなかったが)asdファイルをWORDで開いてバックアップを二つほど作成した。happy!?

身代わり忠臣蔵と白石ウーメンの複雑な関係2025年01月22日 20:08

 以前、宮城県の特産品白石ウーメンの由来は、江戸時代の初期に旅の僧から作り方を教わったことにあることから、その旅の僧は松尾大源という慶長遣欧使節団の随行員ではないかという文を本ブログで書いた。
不連続連載小説 松尾大源(1)プロローグ(2024.2.9)~(14)エピローグ
(2024.6.29)

  欧州で洗礼を受けた松尾大源はキリシタン禁令が出たのちに帰国し宮城県村田町に幽閉されていたが、長崎で遣欧使節団の仲間が布教活動をすると聞いて、僧の姿に身を隠し旅にでた。その途中、現在の白石市で、彼はローマで習った細いスパゲティの作り方を白石ウーメンの創始者に教えたが、伊達政宗の家臣片倉小十郎は事情を知ってそれを白石の特産品として広めたという話である。

 ムロツヨシ主演の映画「身代わり忠臣蔵」にも武家の倅が旅の僧になって放浪したという話が出てくるので、これは江戸時代の武士階級では一般的なことだったのだろう。

 この映画にも武士社会の親族間の問題が描かれているが、伊達政宗が諍いから弟を殺めたという逸話は事実ではなく、その諍いののち、政宗が弟を現在の武蔵五日市の古刹の僧となって身を隠すよう世話をしたとの論証がごく最近仙台の歴史学者からなされている。似たような問題が、この映画でも取り扱われている。

 しかし、武士の名誉を重んじて討ち入りをして死ぬのか、僧侶の身となり、名誉とは別の世界を生き延びるのか、現在も似たような話が日本社会にはありそうだ。だから、忠臣蔵は何度も日本の文化史の中で取り上げられてきたのだろう。面白くも、深く考えらさせられる映画ではある。