技術の継承と競争、進歩に対する考え方 ― 2022年04月22日 06:36
あるところで、その技術は、以前、私が提案したものであるとコメントしたところ、他の参加者から、今更そんなことを言っても、実現しなかったのだから恨み言にしか聞こえないとの発言があった。
確かに、今の停滞した日本では、そのような過去の経緯を後悔するような考えが主流であろう。中国や韓国などに過去の技術をまねされ、実用化され、逆に売り込まれてしまっている例も多い。
しかし、日本も、嘗ては米国や欧州の科学技術をまねし、改良を重ねて人類の進歩に寄与してきたのである。
まねされるということは、その技術がそれだけの価値があったということでもある。
技術を自社、自国内で維持できない状況であれば、積極的に公開し、開発を進められる組織、国に実用化してもらうことが重要である。
なぜなら、その実用化により、間接的に我々の生活が豊かになることを意味する。そして、最初に提唱した技術提案が無駄でなかったことの証明にもなる。
このような技術の継承は、自国の安全を最優先とする軍事技術に関しては難しいだろうが、民生技術に対しては、もっと積極的な活用があってもよいのではないだろうか。
そのためには、どんな技術でも自社、自国内で実用化し、囲い込もうとする過度の競争意識を変革することも必要だろう。
確かに、今の停滞した日本では、そのような過去の経緯を後悔するような考えが主流であろう。中国や韓国などに過去の技術をまねされ、実用化され、逆に売り込まれてしまっている例も多い。
しかし、日本も、嘗ては米国や欧州の科学技術をまねし、改良を重ねて人類の進歩に寄与してきたのである。
まねされるということは、その技術がそれだけの価値があったということでもある。
技術を自社、自国内で維持できない状況であれば、積極的に公開し、開発を進められる組織、国に実用化してもらうことが重要である。
なぜなら、その実用化により、間接的に我々の生活が豊かになることを意味する。そして、最初に提唱した技術提案が無駄でなかったことの証明にもなる。
このような技術の継承は、自国の安全を最優先とする軍事技術に関しては難しいだろうが、民生技術に対しては、もっと積極的な活用があってもよいのではないだろうか。
そのためには、どんな技術でも自社、自国内で実用化し、囲い込もうとする過度の競争意識を変革することも必要だろう。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yokoyamashindo.asablo.jp/blog/2022/04/22/9483915/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。