野球やサッカーを生で視なくても良い理由 ― 2023年04月10日 12:16
スポーツ中継ならなんでもそうだが、結果が分かってから見てもあまり面白くはない。生での緊張感を感じられないからだ。
ただ、もうひとつだけ生で見たい理由がある。それは生だと自分が応援しているチーム、選手への祈りが通じた結果、勝利に貢献できるのではないかと思い込むことである。
前者ならば、興奮できるので楽しいということになるが、世の中にはほかにも同じような緊張と興奮のアクティビティは多い。
実は、後者の理由が生で見たいという真の理由であろう。
しかし、ここで興ざめの話が出てくる。(誠に申し訳ない)
テレビ中継というものは時間遅れがある。真の生ではない。
それどころか、実は目に入ってくるものは全て過去のことなのである。光の速度は有限なので、目に入ったという時点ですでに過去のことを見ていることになる。真の生など存在しないのである。そこで祈って念を送っても時間遅れで選手には届いてしまう。なぜなら、念力であれ脳波であれ、光の速度を越えられるものは世の中には存在しない。即ち、応援という行為は、その現場でいても勝負の瞬間には意味がない行為である。
だが、勝負の瞬間よりも一瞬前に状況を把握して声援を送ることは有効である。確かに、勝負の瞬間よりは一瞬早い時間での念によるものなのでピンボケになる可能性はあるが、ないよりは大分ましである。
しかし、テレビの場合には生中継というのは錯覚である。どのくらい時間遅れがあるのかは放送関係者のみが分かることである。
従って、本当に生に近い映像なのか、かなり遅れた映像なのかは視聴者には確認できない。それなら生で見る理由は無くなるはずではないか。
このような興ざめのことを言うと視聴率が落ちるかもしれない。それでも、我々は錯覚の中に生きており、生放送は現在起こっていることだと信じて応援するのである。
だが、冷静に考えれば、生で視なくてもひいきの選手を応援をし、念を事前に送ることはできるのである。前の晩に念を送っても、当日の真の生の一瞬前に送っても送ったという観点では同じことだからである。
これこそが、大リーグ中継を早朝に起きてみる必要がない理由である。(今朝の寝坊の言い訳でした。)
ただ、もうひとつだけ生で見たい理由がある。それは生だと自分が応援しているチーム、選手への祈りが通じた結果、勝利に貢献できるのではないかと思い込むことである。
前者ならば、興奮できるので楽しいということになるが、世の中にはほかにも同じような緊張と興奮のアクティビティは多い。
実は、後者の理由が生で見たいという真の理由であろう。
しかし、ここで興ざめの話が出てくる。(誠に申し訳ない)
テレビ中継というものは時間遅れがある。真の生ではない。
それどころか、実は目に入ってくるものは全て過去のことなのである。光の速度は有限なので、目に入ったという時点ですでに過去のことを見ていることになる。真の生など存在しないのである。そこで祈って念を送っても時間遅れで選手には届いてしまう。なぜなら、念力であれ脳波であれ、光の速度を越えられるものは世の中には存在しない。即ち、応援という行為は、その現場でいても勝負の瞬間には意味がない行為である。
だが、勝負の瞬間よりも一瞬前に状況を把握して声援を送ることは有効である。確かに、勝負の瞬間よりは一瞬早い時間での念によるものなのでピンボケになる可能性はあるが、ないよりは大分ましである。
しかし、テレビの場合には生中継というのは錯覚である。どのくらい時間遅れがあるのかは放送関係者のみが分かることである。
従って、本当に生に近い映像なのか、かなり遅れた映像なのかは視聴者には確認できない。それなら生で見る理由は無くなるはずではないか。
このような興ざめのことを言うと視聴率が落ちるかもしれない。それでも、我々は錯覚の中に生きており、生放送は現在起こっていることだと信じて応援するのである。
だが、冷静に考えれば、生で視なくてもひいきの選手を応援をし、念を事前に送ることはできるのである。前の晩に念を送っても、当日の真の生の一瞬前に送っても送ったという観点では同じことだからである。
これこそが、大リーグ中継を早朝に起きてみる必要がない理由である。(今朝の寝坊の言い訳でした。)
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yokoyamashindo.asablo.jp/blog/2023/04/10/9576096/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。