IT化支払い装置が分かりにくいワケ2024年05月21日 21:23

「上手くいけば早い。トラぶれば手計算の方がマシ。」
というのは、昔、プログラムを教えてくれた先輩の言葉である。

現在、各店舗の支払い窓口で、若年層も含め、戸惑うのは
、装置の仕様が各社バラバラで何処が読み取り装置なのか一見してわからない事である。

加えて、取引の段取りが分かりにくい。最初の状態から、支払い完了までの手順が書かれてない事が多い。

これはデジタル庁が率先して標準化すべき事項である。

少なくとも、何処がスキャナーなのか一見してわかるよう表示させるべきだ。

また、複雑な支払い手順がある場合やカードの取り扱い制限がある場合に、表示画面だけではなく、見やすいボードの利用も含めた表示の工夫が必要だ。言語は日本語も含め4ヶ国語で十分だろう。

急斜面、ガレ場での簡単で邪魔にならないストックの扱い方2024年05月22日 16:30

 ストックは便利だが、ガレ場や急な下り斜面では手で直接木の根や岩をホールドしたくなることも多い。その際に、邪魔になるのもこの長いストックである。

 いちいちザックに仕舞い込んだりしていては、時間がいくらあっても足りない。しかし、長く硬いストックを手首にぶら下げたままホールドを掴んでもストックがどこかに当たって邪魔になり、或いはひっかけて危険でもある。

 そこで、、簡単にストックが邪魔にならない方法を考えた。必要になるのは、

(1)チェストベルト付きのザック(左右の肩紐の胸の部分をつなげるようにしてあるザック)
(2)ストック下部が通せる程度の中型のカラビナ(山やにはおいてある。)

だけである。(1)のベルトの代わりにカラビナが下に落ちないような手作り紐をつけても良い。

具体的な方法は、

(1)最近のストックは、簡単にストラップの長さが調整できるので、できるだけ長めにして置き、手首が自由に動くようにする。
(2)肩紐の下部に落ちて行かないように、チェストベルトの上部にカラビナを取り付ける。
(3)ガレ場などに近づいたら、ストックを空に向けて回転し、このカラビナにストック下部を通す。

これだけである。
ストックは、この構成により、逆さにして肩で担いだような配置になり、しかもカラビナの内部を通っているので上下にも自由に動く。
このため、手によるホールドの上下位置の相対変化がストックに邪魔される可能性はほぼなくなる。

このストックを回転させて胸付近にあるカラビナに通すという動作は数秒でできるだろう。ただ、周囲に人がいないことを確認してから行わないとストックをぶつける心配はあるので、注意する必要はある。

シングルならば利き手側のストックをこのような構造にしておけばよい。
ダブルストックの場合も利き手側をこのようにして、反対側はホールドには使わないという癖をつけておけば全体として時間節約になる。

オートクルーズ利用時のリスク増大2024年05月23日 03:46

オートクルーズ機能と言っても千差万別だろう。
私の車の基本機能は、
最高速度は、いつでも変更できる。
先行車両との間隔も変更が自由にできる。
ボタンを押して開始、終了する。
ブレーキを踏めば解除する。

といった標準的なものである。

これで、高速でどんなリスクがあるのか。経験も踏まえてリストアップした。

①ブレーキを踏むのを忘れがちになる。
漫然と指先だけで速度をコントロールできるので、緊急時にブレーキを踏み損なう。これは暫く足を使わないでいると歩きが億劫になるのと同様、咄嗟に足を動かすための神経系統が動きにくくなるためだろう。無理にでも 右足を常に貧乏揺すりのように動かし、脳神経に足の存在を認識させる事で、このリスクは回避できるかも知れないが、保証は出来ない。

②バイクに割り込まれた際の速度抑制
先行車両が車線変更などで、いなくなると、加速し始める訳だが、右、又は左にバイクが走っていると、そのバイクも先行車両の空きスペースに割り込んでくる事がたまにある。設定最高速度で加速も勝手に変わるようだが、いずれにせよ、バイクと競合する事になる。カメラの死角にバイクが入っていれば、追突事故リスクはかなり高い。

③先行車両が遅い車を追い越した後の状況でのリスク
先行車両が遅いトラックなどを追い越す事は良くある。その先行車両が追い越し後すぐに元の車線に復帰した場合、割り込めない可能性が高い。そのまま追い越し車線で走行すれば良いのだが、そこには先行車両がなく、オートクルーズがリセットせざるを得なくなる。無理に割り込めば事故になる。

④合流時の他車挙動
オートクルーズ使用時には車間距離がある程度長くなる。この状態ではICでの合流で、合流側が無理に2台以上割り込まれる事が増える。そのため車間が短くなりブレーキをつい踏んでしまう。どれだけカメラの視界が広いのか、プログラムが対応してくれるのか、不安になる。

ーというワケで、結構神経を使うので、オートクルーズは急ぎの時は使わない方が精神的に良いし、リスクも低いというのが現在の結論である。
使うとしたら、時間に余裕があり、先行車両がいかに遅くてもじっとついていけるだけの度量がある場合か、前方に注意を集中できないほど疲れて追突する危険を自分が感じた場合だけである。

(右足を使えない場合もあり得るが、これもオートクルーズの悪用かもしれない。)

迷路での救急車からの離脱経緯と反省2024年05月27日 14:57

 今日、横浜市内の慣れない細い迷路のような道を走っていて、前方に救急車が停止している場面に出会った。追い越せるような幅はない。後ろからはBMWが追いてきている。

 ところが、救急隊員は家に入ったきりなかなか現れない。具合が悪いのか、移送先の病院が決まらないのかわからない。
 右側の路地があったが、歩行者に話を聞くとそこは行き止まりらしい。
そこで仕方なく、追走してきたBMWに状況を話してバックするよう声をかけた。

 しかし、更に困ったことに、BMWの運転者は細い道でのバックが苦手なのか、スムーズにバックができない。こちらは小さい車なので幅が無くても問題はないが、中型BMWではやや心配なのだろう。

 そのうち、横の路地から配送トラックまで現れた。この迷路から脱出することは万事休すかと思われた。

 そして、BMWのバックの状況を見たりしながらウロウロして、15分ほど経った(感覚的には30分だが)ころ、前方で救急隊員が家から出てきて、救急車に乗り込むのが見えた。

 後方のBMWの運転手に声をかけ、救急車の後を追ってやっと知らない迷路から脱出した時には喉がカラカラだった。

 近くの茶店で休憩し、本日の仕事を終えた(と思えるくらい、神経が疲れた)。

 反省点
(1)迷路に迷い込む前にカーナビをきちんと設定すべきだった。
(2)救急車のサイレンがどこかから聞こえた時点で、問題なさそうな経路を確認すべきだった。
(3)救急隊員が戻ってくるまでじっと待つべきだった。
(4)BMWを運転しているからと言って、必ずしも運転が上手なわけではない。
(5)車にはドリンクを常備しておくべきだ。
(6)急ぎの時は知らない道に入り込んではいけない。

 今回は、時間的な余裕が十分で、あせる必要がなかったのがそれ以上のトラブルにならない最大の要因だった。即ち、車が無くても何とかなる程度に行動の時間的余裕があることが重要と感じた。
 
 (では最初から車を使わなければよかったのではというご指摘は甘んじて受けます。)(-_-;)

東京を2番目の都市にしてもらいたい!2024年05月28日 00:53

 蓮舫氏が都知事選に立候補されるとの報道である。
 
 蓮舫氏と言えば、2番目でなぜいけないかというセリフが頭を離れない。

 東京も2番目でなぜいけないのだろうか。

 首都移転が叫ばれてから30年は経つだろう。

 この一極集中の危険な構造が、日本をダメにしている。

 多様性のなさ、発展性のなさ、縦社会、構造の硬直性、お上意識の強さ‐――すべて東京一極集中が無意識的に作用している。

 蓮舫さんにはぜひ選挙戦を勝って、東京を第2の都市になるよう、一極集中から日本を救うよう頑張ってもらいたい。都知事の権限は大きいらしい。

 東京集中にならないよう、東京の税金を地方で使ってー例えば福島に大規模投資をして、実質首都機能を移転するなどして、第2の都市に出来れば、日本再興のヒロインとなりうる。頑張ってほしい。

痒い背中の流し方2024年05月29日 04:02

 背中が痒いとき、手が届かない場所だと何とか孫の手のようなもので搔きむしることがあるが、あまり衛生的ではない。

 こんな時に使える簡単な背中の洗い方を見つけた。

 それは、厚手のボディータオル(泡立ちをよくするための粗めのメッシュタオル)を用い、一回中間部で結び目を作り、背中を洗う方法である。

 背中の形状は肩甲骨のために中間部が凹んでいる。そこが特に痒いことが多い。孫の手や背中用のブラシもあるが、どうにも力が入らない。

 そんな時に、結び目付きのボディータオルで普通に背中を擦れば、凹んだ部分に結び目が当たり、痒みもとれる(実際には皮膚表面の劣化細胞が剥がれる)ことになる。

 タオルは厚みと幅があり、長めの方が結び目も大きくなり、使いやすい。

引率教員の有罪判決は法の下の平等に反するのではないか?2024年05月31日 20:17

 那須岳の高校山岳部訓練での雪崩事故で、引率教員ら3名に対し一審の有罪判決が出た。禁固2年の実刑という非常に厳しいものである。

 わが子をなくした遺族は誰かに責任を取ってもらわなければ怒りの持って生きようがないのは分かる。

 しかし、相手は自然である。わが子が山岳部に入った時から、自然とは人間の手には負えないリスクのある存在であることを覚悟すべきではあったと思う。

 確かに、客観的に見て、晴天後の大量降雪のあと、急斜面を歩行訓練するのは無謀に近い。しかし、引率教員はそれほどの冬山経験がなく、林間での雪上歩行訓練だったため、雪崩の危険は事前には感じられなかったであろう。実際、雪崩のブレークポイントは一行の隊列よりかなり上部であった。即ち、人工雪崩ではないのである。

 現時点でも雪崩が発生する定量的な条件というものは予測不可能である。即ち、斜面と雪があれば雪崩が発生する可能性は必ずある。
 そこを線引きできるだけの人間はいまだにいない。

 即ち、責任者を断罪するということは、端的に言えば結果論で断罪しているのである。これは法律的にもおかしい判断であると思う。

 かって、立山大日岳での大学生雪上訓練で雪庇の崩落により学生が死亡した事故があったが、引率した文科省登山研修所の指導者たちは刑事責任は問われていない。損害賠償を国が支払うという民事裁判だけで決着している。
http://shirakaba-law.jp/handling/007.htm

 雪庇の崩落も雪崩の発生も自然現象であり、予測が完全にできることはあり得ない。

 しかし、この二つの事故における引率指導者に対する不平等な警察、検察の扱いはなぜなのか。

 一方は、地方公務員である高校教師であり、他方は文科省の組織にある国家公務員の研修員である。この差がこれら裁判での警察、検察、裁判所の判断に影響しているとしか思えないのである。

 法の下の平等はどこに行ったのだろうか?