シュレジンガー方程式でだまされた気分にならない方法2024年12月10日 10:43

 古典物理と量子論のつなぎの部分で必ず出てくるシュレジンガー方程式はどんなテキストでもいつの間にかシュレジンガー方程式が導出されていてだまされた気分になる。

 どこでそうなってしまうのか、だまされた気分がどこで生まれるのかを検証してみた。

 だまされる元凶は3つあった。

元凶(1)光に運動量があることを認識できていない。

(答え) ドブロイ波とは光と同様、粒子も波であることである。
粒子に運動量があるように、光子にも運動量があることを忘れている。
相対論から粒子が高速であれば、粒子のエネルギーEは
E=mc^2/√(1-(v/c)^2) (1)
運動量pも
p=mv/√(1-(v/c)^2)
となる。
∴cp=mvc/√(1-(v/c)^2)  (2)

(1)、(2)式の両辺を2乗して差し引くと
E^2-c^2p^2=m^2c^4
となるので粒子のエネルギーは

E=√(m^2c^4+c^2p^2)  (2)'
となる。光子ではmが0なので光子の場合の運動量とエネルギーは
E=cp (3)
となる。一方、光電効果の実験よりプランク定数をh、光の振動数をνとすると、
E=hν (4)
である。(4)は実験式である。

この(3)式と(4)式からシュレジンガー方程式で表れるプランク定数と波長と運動量の関係が得られる。即ち。
λは1秒間の光速を振動数で割ったものなので

λ=c/ν=h/p  (5)

となる。

元凶(2)シュレジンガー方程式で運動エネルギーTが
T=1/2m*(h/λ)^2  (6)
となることが分かりにくい。

(答え)これは1/2*mv^2が1/2m*p^2であることと、上記の(5)式からプランク定数とλで表せば理解できる。

元凶(3)波動関数の二階微分がどうしてシュレジンガー方程式に現れるのかわからない。

(答え)光波も物質波も波なのだから三角関数で表すのは適切だろう。定常波ならばsin関数でもよいだろう。波長がλとするとこの波動関数は

ψ=sin2π(x/λ)

で妥当だろう。これをxで二階微分してみると

d2ψ/dx2=-4π^2/λ^2*sin2π(x/λ) 
∴(d2ψ/dx2)/ψ=-4π^2/λ^2

この右辺のλ^2を(6)式に代入すれば

T=h^2/8π^2m*(d2ψ/dx2)/ψ (7)
が得られる。

一方、粒子の全エネルギーEは
運動エネルギーTとポテンシャルエネルギーVの和なので

E=V-T

Tに(7)式を代入して、ψを各項に乗じれば

Eψ=Vψ-h^2/8π^2m*(d2ψ/dx2)

となってシュレジンガー方程式が得られる。


やはり、どこかだまされた気分が残るが諦めるかなー。

と思っていたが、どこでだまされたのか考えたら分かった。

それは、(3)式の導出において第1項ではm=0としておきながら、
pはmが表に現れていないので生き延びているのである。

それでE=cpなる式が残っている。
p=mvなのだからこれも0になるはずであるのに残っている。

これはある近似を仮定していると考えざるを得ない。(2)'式で
m^2c^4<<c^2p^2
という近似である。

しかし、これは、粒子ならばvはcより小さいはずなので
m^2c^4>c^2m^2v^2
となり成立しない。

即ち、(2)’式はE=cpを示すための方便なのである。
E=cp
は運動エネルギーの次元を持っている。
E=mc2
は質量とエネルギーの換算式だが、これが光では光電効果の実験からE=hν
となる。光が波長を有しているのだから、Eと運動量との関係式さえわかればmvと波長の関係もでてくる。そのために、ドブロイは敢えて光の運動量pなる変数を導入し(3)式を生成したのだろう。即ち、光の運動量はmvではなく、pという、量子力学でしか通用しない新物理量なのだと了解すれば、以上のジュレジンガー方程式の導出は、腑に落ちるのかもしれない。
ただし、光の運動量はコンプトン実験で証明されている。光の運動量と粒子の運動量が散乱前後で保存されるという前提では実験事実として(3)式を受け入れなければならない。

光電効果であれ、コンプトン散乱実験であれ、最近の量子もつれ実験であれ、実験事実を突きつけられれば、如何におかしい仮定であっても受け入れざるを得ない。それがヒトの想像力の限界だろう。



参考資料
(1)橋本健朗、安池智一「量子化学」放送大学出版
(2)齋藤勝裕「わかる×分かった!量子化学」オーム社
(3)中田宗孝「量子化学基本の考え方16章」東京化学同人

楽な靴下の履き方2024年12月07日 12:42

 スケッチャーズなる足を入れるだけでスムーズに履ける靴を入手した。但し、日本人でも珍しく異常に甲高な足なので、踵よりも甲が引っ掛かり、スムーズに履けた靴は広い店内を探してもらっても一種類だけだった。

 確かにこの靴は楽に履けるが、特に重宝しているのは、ゴミ収集車が来たときである。このように一刻も猶予がないときに、はきかけのまま玄関から飛び出してもきちんと足が収まることである。

 しかし、問題は、靴を履く前に靴下を履かなければならない時である。靴下を履くのはスケッチャーズのようにスムーズにはいかない。

 普通に靴下を履こうとすると、まず、腰を屈めて足先に入れるのが大変である。たいていは靴下が中途半端に指に絡まり、履きなおそうとしていもがいていると、片足立ちの体勢が崩れてしまい。履きなおしとなる。そこでどうすればよいか考えた(考えるほどでもない話だが)。

 まず、靴下の上部を持ち、踵のあたりまでつま先側に裏返しで折り返す。

 このようにすると、靴下自体が楕円系の筒状になる。この形状を保ったまま、つま先をこの筒状の靴下に挿入する。

 こうすると、踵付近の靴下の口径は広いので、スムーズにつま先を挿入でき、踵付近まで靴下に足を入れることができる。

 次に、外側に折り返してあった靴下の上部を足の上部方向に巻きあげればそれで終わりである。

 この方法は、特に踵からふくらはぎを包むような形状をしている、長い山スキー用のストッキングタイプの靴下には有効である。上部裏返しの手間を考慮しても、時間短縮になることが統計的に証明されるだろう(未確認です-)。

来春のミラノ・コルチナダンペッツォ冬季オリンピックのスキーモ(山スキー競技)で実証されることを期待しています。日本チームがんばれ!!

マイナカードとプライベートモードの困った関係2024年10月02日 03:56

お上から年金関係の申請提出書類が、郵送されてきた。マイナカードとスマホを使えば切手代が掛からないという。郵便料金値上げのタイミングで向こうは郵送しておきながら、こちらにはマイナカードを使わせようというお役人的発送!?である。

それは許すとして、困ったのは、スマホでカードを読み取らせた後の反応である。エラーメッセージが出て、スマホがプライベートモードなので、モードを変えないとマイナシステムは機能しないといっている。

iPhone画面の説明に従って操作したが、今度は顔認証が必要だとの表示が出た。顔認証の設定はしてないので、操作ミスかと思い、何度も操作をやり直したが反応は同じである。

大体プライベートモードなど設定したこともない。これは何なのだとChatGPTで調べると、ネットブラウザーのソフトが見ているサイトなどの状況により勝手に標準モードからプライベートモードに変える事があるらしい。

そこでハタと思いついて、スマホの通信モードをWifiから外部通信モードに変更してみた。そして最初から同じ操作をしたところ、無事申請書作成まで終了できたのである。ここまでのべ2時間かかった。110円切手を使ってポストまで往復した方がよほど良かった。

デジタル庁が関与したらしいスマホの年金申請書類説明にはプライベートモードが何なのか説明はない。また、標準モードへの変更方法も他のサイトのリンクを引用しているだけで分かりにくい。ましてWifiモードでは変更出来ないことなど一切出てこない。

これではマイナカードの普及は夢だろう。お上の発想を庶民の使い易さの発想に変えるには、上層部が自分で実際に操作をしてみることから始めるのが早道だろう。一部のオタク政治家だけが出来ても意味はない。

話すように書いてはいけないという話2024年09月14日 09:35

 久しぶりに井上ひさしの本を読んだ。新幹線での旅行でパソコンが荷物に入らなかったので時間つぶしに古い文庫本を押し込んだのである。スマホは小さくて長時間読む気にはなれない。

 井上ひさし「自家製 文章読本」(新潮文庫、S62年4月15日印刷、4月25日発行)という古い本である。(発行日が遅れたらどうしたのだろうか?最初から疑問だらけの本である。)

 一回は読んだはずだが、全く内容に記憶がない。最初から捧腹絶倒なのだが(漢字の書き取りテストで、処女航海が処女公開。祖国が粗国、住まいが巣まいと回答した例があり、かな漢字変換が当時の中学生の方が進んでいたようにも見える)、多分、ハナモゲラ語の紹介のカタカナ長文で読むのを諦めたのかもしれない。(若年性アルコール性認知症の可能性もかなりあり)

 この本のプロローグでは、書き言葉とは、人類が今も克服できない時間というものを一瞬にして固定し、歴史の時間の流れを跳躍できる文学として、「閑さや岩にしみ入蝉の声」が採り上げられている。山形出身の井上らしい。

 ところで、本文にはいろいろ文章の奥義が書いてあり、主題は、どのように文章を書くかである。

 志賀直哉の「城崎にて」を参照しつつのちの文豪や評論家が「話すように書け」という良い例だと薦めておきながら、本人たちの小説は全くそうではないと三島由紀夫などを揶揄しているのが面白い。

 しかし、井上ひさしは文豪たちの文章読本に書かれている「話すように書け」という秘訣自体が間違いで、「話すように書いてはいけない」とへそ曲がりを辞任しつついろいろな例示をしながら何度も強調している。

 欧米文学ですら、同じページに同一単語を載せないように注意していた文学者がいたそうで、見た目自体が重要なのだそうである。

 また、文体とは何かという視点で引用している、丸谷才一の文章読本の「気取らないふりをして気取るということ」という文章も印象的だ。

 本雑文はそのいずれも及第点には遠く及ばないが、井上ひさしの後輩としてちょっとコメントを許していただけるなら、「話すように書いてはいけないが、聞けるようには書かなければならない」という心得はどうだろうか。

 赤ちゃんは言葉を覚える際に、どうやって周囲の音声から言葉が意味するところを脳内で把握し、しゃべるるようになるかという異常に難しい学問分野があるそうだ。最近は、脳波や脳内の血流の分析などからも研究が進んでいるらしい。それがAIの開発にも応用できるような時代となっている。

 その赤ちゃんの言葉認識の最初の仮定で、しゃべる前に親の言葉を聞き取りどのようにその言葉が言葉として意味しているのかを把握するには、音声の中の音の間を認識することが重要らしい。

 それなら、「書き言葉もまずは聞けるように書かれていることが重要だろう。
即ち、脳内でその文章を暗唱した場合に、自分が聞き取れるようになっていなければすんなりと頭に入らない」悪文ということになる。

 これがこのエントリーでいいたいことであるーが今、自分で上記の文章を暗唱してみて以下に聞き取りにくいか反省しきりである。

右目が突然良くなったワケ2024年09月05日 13:31

 車を運転するときは、近眼鏡を掛けている。昨年末に何とか運転免許を更新し、遠くはある程度見えていた。

 ところが、このところ、メガネを掛けていて、左目は良く見えるのだが、右目がなぜかダブったように見えてはっきりしない。もともと裸眼では右目が悪かったのだが、左目の方が良く見えるようになった。

 これでは運転にも良くないので、先日眼鏡屋で検眼しなおしてもらった。その結果に驚いた。

 店員さんのはなしでは、左目はメガネを作った時と変わらないのだが、右目の視力は良くなっているということだ。即ち、現在の右目のレンズの度数が強すぎなのである。加齢で老眼になったためかというとどうもそうでもなく、単に、近視が治って正常に近くなっただけだというのである。但し、右目の乱視は残っているとのことだ。

 なぜ、そんなことが起こったのか。思い当たることは、本をあまり読まず、テレビやPCばかり見ていることだが、それは昔から変わっていない。

 ただ、もう一つ、目に関して思い当たることがあった。それは、4月に多型紅斑という全身性の蕁麻疹性疾患に罹患したことである。その時、手足や胴部だけでなく、最悪時には顔面も腫れてしまったことである。そして、目が開けにくくなり、瞼や下瞼にもステロイド軟こうを塗った。幸い、腫れは2~3日で治り、続いて、胴部や手足の腫れは一か月ほどして治ったのである。

 医者の話では、異型紅斑ははっきりした原因は分からないことが多いが、何らかの細菌やウイルスの感染が原因らしい。この時、目の付近の細胞も感染し、近視のもとになる水晶体付近の筋肉組織が変性してしまったのかもしれない。

 これは、ボツリヌス菌によるしわ改善治療を連想させる。この治療法では、ボツリヌス菌が産生するタンパク質の製剤を用い、しわのもとになる筋肉に注入してその筋肉をリラックスさせる働きを利用するするそうだ。
 
 今回の感染で、目に多型紅斑を生じた正体不明の細菌・ウイルスの産生物が、水晶体付近の筋肉組織の緊張を弛緩させてと視力が正常化したという仮説が成り立つはずだ(例数nは1だが)。

 調べてみるとボツリヌス菌治療は顔面けいれんや斜視など顔の周辺の不具合の治療にも使われている。この治療法が近視の治療にも応用され、そのうち保健適用になるのかもしれない。メガネを作るよりは安く済みそうだし、メガネを掛ける煩わしさもなくなる。ただ、ピントが合う範囲が狭くなる可能性はあるかもしれない。

 メガネザルや**メガネで治験できるのだろうか?

周回コースでも飽きない方法2024年09月01日 07:47

 今年の24時間テレビマラソンは競技場の周回コースらしい。ネットでは、250週もすることが大変だという意見が多いようだ。
 知り合いの人がマラソンの練習をするのに自分の家の狭い庭を南洲もしていたので、一般人でも250週自体は無理でもないだろう。
 問題はその環境と時間である。この単調な環境と心理的な時間の長さのために、飽きて緊張が続かないために嫌になるのである。
 では、その環境と心理に飽きがこない方法は何か。例示してみる。

(1)環境(視覚的環境)
 トラックを変えて走る。
 逆向きに走る。
 スタンドを走る。
 場外を走る。
 観衆をある程度入れる。
 プロジェクトマッピングを利用する。
 VRグラスを付けて走る。
(2)環境(聴覚的環境)
 音楽を聴きながら走る。
 箱根駅伝の各監督の叱咤激励を聞きながら走る(NTVでは無料利用可)。
 武道館の歓声を聞きながら走る。
 各地の視聴者、関係者のコメントを聞きながら走る。
(3)心理
 飽きないためには目標が必要である。周回数ごとに門限を設ける。
 他のことをしながら走る。随伴者との漫才など。
 並んでいるスタッフなどと握手をしながら走る。
 犬とともに走る。
 チータとともに走る。(イモトのつもり、これもNTVか)
 競歩のつもりでどちらかの足がついていることを監視されながら走る(歩く)。ペナルティは募金の減額となる。

などなど、いろいろ考えられる。天候の悪化や寝不足さえなければ何とかなるだろう。

危険な左折2024年07月15日 05:10

仙台は、終戦直後は車も少なく、戦災後に当時の市長が区画整理を推進したので道路だけは無駄に思えるほど広かった。中心部の大通りでは、赤信号でも左折ができた。これは、車が千台しかなかったからではなく、各交差点の信号機の下に小さな左折可の固定表示板が付いていたからである。現在の点灯式の左矢印ではなく、信号とは関係なく常に左折して良いというのどかな時代だった。歩行者も少なく、道だけは片側三車線もあるので見通しも効いたのである。(舗装工事前は仙台砂漠と悪口を言われたらしい。市長も可哀想である。)

一方、現在の横浜市は危険な左折箇所が多い。戦災に遭ったにもかかわらず、横浜の道が狭いのは、当時の市長の先見の明が仙台市長ほどではなかったからかも知れない。

現在、終日左折禁止の交差点が横浜駅西口にもある。進入禁止でない道路だが、左折して入ることは禁止されている。その理由が、交差点手前に並んでいる順番待ちのタクシー列とその列の右わきから左折しようとする一般車との事故を防ぐためらしい。

しかし、この処置の結果、左折禁止に気付かず、左折して警察の取り締まりに捕まる者が絶えない。違反者から分かりにくい道路標識にクレームが出るらしく、交差点前方の進行方向表示プレートが二回も書き換えられ変更された。

他にもある意味では危険な左折禁止箇所がある。場所は言いにくいが、ここは時たま、年度末など予算必達の関係なのかネズミ捕りをする交差点である。坂を下ってくるとバス停があり、その先に時間指定を小さく書いた左折禁止標識がバス停の標識に重なるかのように設置されている。前方には大きな交差点があり、渋滞しているのでつい左折して道したくなる個所なのである。

うっかり左折をすると捕まってしまう。地元のタクシー運転手も気付かなかったと話していた、危険な左折禁止個所である。

他にも近くに説明の難しいわけのわからない表示の交差点があるが、これも、戦後の後始末の影響だろうか。ともかく、左折でもいつでも許されているわけではない事を念頭に運転しなければいけない。

これは、仙台出身者にはやや難しい事である(笑)。

パンツの腰ひもを抜けにくくする方法2024年06月23日 20:17

 パンツのゴム紐に沿って内側を通した伸びない腰ひもが洗濯中などに抜けてしまうことは往々にしてある。

この腰ひもはゴムが緩んだ場合やしっかりパンツを抑えたい場合などに有用であるが、いったんこれが抜けると再度孔に通して一周させるのは意外に時間と手間がかかる。

 では多少のことでは腰ひもが抜けないようにする方法はないか、検討してみた。その結果、

 (1)パンツをはいたときにへその前に二つの孔がある。右側の孔から腰ひもを入れて、左側の孔からだすのが普通だが、これを左側の孔から入れて右側の孔に出すように変更する。

 (2)次に、両側の孔から出た2つの紐の端を正しく2回結ぶ。

 (3)更にパンツのゴム紐を完全に伸ばした状態にして孔から出た紐の位置に同じく2回結んだ結び目を作る。これを逆側の紐に対しても行う。

これだけで、腰ひもが抜ける確率は1桁下がる(はずである。)
 即ち、仮に右側の紐の(3)で結んだ結び目が孔から内側に入り込んでも、左側の紐の(3)で結んだ結び目が邪魔になってそれ以上引っ張り込まれないのである。

 但し、この結び目干渉実験は1回しかしていないので、条件によっては抜ける場合もあるかもしれないが、従来の単純結び目の方法よりは抜け確率は一桁程度下がるはずである。


(申し訳ありませんが、仮に紐が抜けて何らかの損害を負われても、当局は一切の責任と補償は負いかねます。)

東京を2番目の都市にしてもらいたい!2024年05月28日 00:53

 蓮舫氏が都知事選に立候補されるとの報道である。
 
 蓮舫氏と言えば、2番目でなぜいけないかというセリフが頭を離れない。

 東京も2番目でなぜいけないのだろうか。

 首都移転が叫ばれてから30年は経つだろう。

 この一極集中の危険な構造が、日本をダメにしている。

 多様性のなさ、発展性のなさ、縦社会、構造の硬直性、お上意識の強さ‐――すべて東京一極集中が無意識的に作用している。

 蓮舫さんにはぜひ選挙戦を勝って、東京を第2の都市になるよう、一極集中から日本を救うよう頑張ってもらいたい。都知事の権限は大きいらしい。

 東京集中にならないよう、東京の税金を地方で使ってー例えば福島に大規模投資をして、実質首都機能を移転するなどして、第2の都市に出来れば、日本再興のヒロインとなりうる。頑張ってほしい。

調査研究費に多額の書籍代が含まれる謎2024年02月14日 20:38

 報道によれば、某派閥の首領の政治資金報告書に約3500万円の書籍代が含まれており、各マスコミのニュースショーではそれは出版社から同じ書籍を多数購入して関係者に配布したものだという解説になっている。それで、各局のコメンテーターは一応納得したように見える。

 しかし、この政治資金報告書の詳細リストを見ると
項目が調査研究費で、
その使用目的が書籍代
という不思議な構成になっている。

 常識的には調査研究で同じ書籍を何百冊も購入する必要はない。それが必要なのは、正に多数の関係者に配布するときだけであろう。
 調査するなら同じ本は1冊だけで済むはずである。
 
 ある人物が、身内のものの著作物である同じ本を数百冊購入するのは、広報、宣伝目的の時だけである。調査研究するなら1冊だけで充分である。また、自分の本なら調査研究自体が不要である。

 各番組のコメンテーターは、そのような単純なことまで分からなくなったのだろうか。調査研究費の中に、書籍代という目的で同じ書籍が何百冊も購入されていることが如何におかしいか、政治家と同様、言葉のプロであるならば、すぐに気が付くべきであろう。

 故大宅壮一が予言した通り、テレビ界では一億総白痴化という現象が実現してしまっているとしか思えない。