閉塞感と自己否定の文化2021年02月28日 05:35

浦和神経サナトリウムの院長ブログ(2020.5.31)によれば、

「現在の日本の精神科医療で顕著な潮流は、自己否定であり、日本人の集団的、精神病理学的特徴なのかもしれない。どう思われるかということを過剰に気にする恥の文化ということと関連する。」といったことが書かれている。

このコロナ禍の閉塞感を更に増幅し、また、自粛という日本でしか作用しないと思われる見えない力の根源が、この恥の文化であろう。

この文の中の自己否定という言葉を半世紀前に初めて聞いた。現在の日本の社会を作った世代が大学紛争時に全共闘運動で標語としていた言葉である。前オリンピック組織委員長のような運動部出身者であっても、この言葉の影響を受けなかった者はいないと思う。恥の文化と自己否定が根底にある社会。閉塞感が一層増すことは間違いない。
これにマスコミによるスキャンダル指摘合戦である。ますます自粛と巣籠症候群が進むのは仕方がないかもしれない。

しかし、時代は変わる。自己否定の意識よりも、自己肯定の意識を好ましいと思うのは生物の本能であろう。だからこそ、スポーツで活躍しているアスリートを羨ましく思い、讃えるのであろう。自己肯定をうまくでき、他人のお手本となれる人々である。

では、アスリートやタレントでない市井の一住民が簡単に自己肯定できる方法は何か。簡単である。自分が本当に好きなことを好きなようにすればよい。そして自己満足するのである。

それは一般には酒や異性やギャンブルということだと思うかもしれないが、長くは続かないし、本当に好きなことなのだろうか。自粛中のクラブ訪問のような後ろめたさを感じているはずだ。即ち、心から好きなことをしているとは言えない。そのような場合、何をすればよいか。

自分が最も得意だと思うことを突き詰めるしかないのではないだろうか。そして、法の許す限り、他人が何をしても許容する。そのような社会になることが閉塞感を打破する近道であろう。

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