遅すぎた名誉回復2019年12月09日 14:46

良雄は生き残った。昭和20年8月16日。海軍航空部芙蓉部隊の新参者で、これまで、鹿屋基地から沖縄に夜間攻撃に参加したのは10回に満たなかった。前回は米軍の艦砲射撃で、零戦の泣き処、座面鋼板に穴が開いたが運良く身体には当たらなかった。レーダーに探知されないよう海面すれすれを戻ってきたので鹿屋についたときは燃料計は空に近かったが、これでまた出撃できると一息ついていた。すでに仲間の半分は戻ってきていない。お国のためには陸軍の連中には負けていられない。蓑口少佐の次回の出撃命令を待って機体の整備をしていたが、昨日の昼には日本が負けたとの噂が広がっていた。格納壕にいくと皆泣いている。蓑口少佐は作戦本部で司令官と部隊の今後についてやりあっていたが、話し途中で格納壕まで戻ってきた。そして、芙蓉部隊の隊員に訓令した。「日本は負けた。このまま、じっとしていても米軍が進駐して、軍機はすべて没収される。遠くの者は残った軍機を使って田舎の父母のもとにすぐに帰れ。これは命令だ。」ある戦友は爆撃機彗星で松本にある滑走路に戻るといっていたが、良雄の田舎は宮城県北部の金成村だ。滑走路などないが、零戦なら稲穂の実った田んぼの上に何とか着陸できるのではないかーと一瞬考えた。零戦の航続距離は1800キロだが、ほかの隊員のためには1000キロ分の燃料でなんとか帰り着くだろう。16日夕刻、良雄は鹿屋を飛び立った。終戦とはいえ、米軍はまだ戦闘態勢を解除していないはずだ。見つかったら撃ち落される可能性は大きい。高度を500m以下にして南方米軍の偵察レーダーから逃れるとしても、本土の友軍のレーダーに捕捉されたらどうなるのだろうか。そんな不安のなか、四国の沿岸、紀伊半島を横切り、静岡で親しんだ駿河基地や房総半島、福島沿岸を過ぎ、懐かしい松島湾の上空まで来たころには地上は完全に闇に包まれていた。だが、芙蓉部隊は夜襲部隊である。夜に飛ぶのは慣れていた。そして、金成村の街並みは覚えていた。終戦になった家々は灯火管制が解除されて、以前のように明るい街並みがあった。田んぼと各農家の配置の関係は頭にはいっていた。あそこは畔のすくない大きな田んぼになっているはずだ。良雄は意を決して高度を下げていった。