ワクチンの功罪議論2021年06月14日 09:26

現在進められているコロナワクチン接種に対し、安全性の観点で反対する医師が多数いることは事実である。それが単に感覚ではなく、いろいろな論文データに基づいている。一方、主流であるワクチン接種推進派は、対策の決め手がワクチン接種を広げることとしている。
確かに、現在のワクチン開発は様々な点で人体実験に近い試行である。それが取り返しのつかない愚行であったという可能性も当然ある。
 では、どのように現状を捉えるべきであろうか。
これまで、人類は多くの取り返しのつかない愚行を行ってきたことを歴史を学んでいるとよくわかる。それは、無謀な戦争、無謀な開発、無謀な医療が行われてきた。そして、運が悪いとその悲劇は関係者には一生のダメージを与えてきた。今回もその可能性が強いが、唯一救われるのは、ワクチン接種は個人の意思で決められることである。日本が真の自由社会であればであるが。
 ワクチン接種についても、現状、感染して重症化するリスクと、ワクチン接種により副反応やその他の長期的な影響を受けるリスクのどちらを重視するかを冷静に判断するのが理性的なたいおうであろう。
 一種の賭けである。
 この賭けのオッズがどの程度かを医療関係者の議論に任せるだけの時間的な余裕がない、或いは、先のことを考えずに早く安心したいという高齢者はワクチン接種を受けたほうが良い。
 先のある若年者は感染覚悟で接種を受けないか、様子見をするのも個人の自由であろう。
 問題は、選択自由度の少ない未成年者である。親の意見に従うか、どこかのネットで見かけたワクチン危険論に組して接種を拒否したいか、学校での仲間外れを恐れて大勢に委ねるか。いずれにしても、自分の意思とは反する扱いを受けることになるだろう。
 しかし、その昔、様々な予防接種を受けてB型肝炎にかかった人への補償制度ができたという多少の歴史への社会的な学びもある。
 特に未成年者、学生に対しては、将来の補償の可能性も考えて、ワクチン接種の個々人の記録を確実に残せ、法的な証拠をデジタルでもアナログでも良いが保証できるようなシステムを早急に整備すべきである。
 現状では、接種記録の保管は高齢者であっても、個々人の責任になっている。これでは将来、上記の賭けに人類が負けたときに大きな混乱を生じるだろう。