不自由さを皇族に求める人々2021年10月28日 06:03

 かつて、皇室アルバムなる番組があった。その主な視聴者は一般庶民であった。皇族一家の幸せそうな様子を喜んで見ているわけである。やはりあの方々は素晴らしいと思いながら。
 しかし、単純に喜んでいたのだろうか。彼らは生まれながらに恵まれた生活と特権が保障されている。それは、あまりに不公平で、私たちがかわいそうになる。
 そこで思いつくのは、彼らには自由がないという点である。有名な映画スターと同様、彼らは自由に街を歩くことも、自由恋愛もかなわない。即ち、彼らの裕福な生活は不自由さの代償なのだーと思い込むことで、内心、彼らと我が身の違いの辻褄を合わせていたのである。

 しかし、今回の宮家の状況は、自由な一般庶民の振る舞いと同じではないかーそれは許せないーそのような自由と裕福な生活と特権が同時に何の代償もなく得られるなんておかしいーというのが、今回のバッシングする人々の心理の根底にある。

 戦前ならともかく、現在では、皇室以上に裕福でかつ自由な生活を送っている家庭は何万もある。皇室にだけ、裕福さと特権の代償としての不自由さや規律ある振る舞いを要求することは可能だろうか。
 皇族は何も悪いことはしていない。皇室に生まれ、税金を支給されているという理由だけで、一生自由のない生活を強制することは出来ないだろう。
 このままでは若い皇族はみな離脱したがるであろう。天皇制を維持したいのであれば、いまや国民は皇族にお願いをする立場になるべきである。現在雑誌やネットで行われているバッシングは、国家の存立という公共の福祉に反する行為であり、許されるべき自由ではないと思う。

 今回バッシングしている人々は、真の自由の価値を理解していないように思える。日本の民主主義は、自分で勝ち取ったものではなく、戦後、米国から与えられたものだという指摘がこの面でも当たっているのである。

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