文章の問題とはなにか?2022年06月14日 03:04

 ある人に、この文章は問題ないか?と問われた。
 その場合の問題とはどう解釈したならいいのだろうか。
当然ながら、この世は全て問題なのだから、その文章にも問題は当然あるだろう。
 しかし、それでは議論は進まない。そのような一般的なことを返答したならば、更にその人との間は感情的な問題が発生するだけだろう。
 では、その場合に問題とは何か?
 それは、その文章を書いた人の真意が、それを読む人に誤解なくうまく伝わるかどうかということだろう。
 それは、その文章が、事実かどうかとは全く異なる。事実かどうかを確かめることは更に困難を極めるし、ほぼ永久に不可能だろう。
 では、その文章の真意の伝達とはなにか。
 そのためには、書いた人と読む人の間に、ある程度の言葉に対する合意や予備知識の共有が必要だろう。それが無ければ、大きな誤解が生じる。極端な話、ある単語の意味が分からない、或いは異なる意味で同一の単語を使っている場合には、誤解を生じるのは当然で、真意が通じるはずはない。
 従って、相手がどの程度その話題に関し、知識があり、用語に対する認識や予備知識があるのか、同レベルで議論ができるかが最初に問題となる。すべての用語に対し合意や同レベルの知識を共有することは不可能であるにせよ、言いたいことが分かる程度には個々の用語の意味を相手に伝える必要がある。或いはその意味が分かっているかどうかを確認する必要があるだろう。
 その前提なしには、その文章が相手に誤解なく伝わったかどうかは書き手にとっては確認しようがない。
 即ち、その文章で筆者が言いたい真意が伝わったのかどうか確認しようがないーということであろう。
 単に、どこかの国のプロパガンダのように、言いたい放題で、聞く方はまたプロパガンダが始まったという認識ですむような文章ならば、問題以前の話で、感情に溺れた人々の無意味な営みであるーというようなことを、知性が人間を救うと考えて居た(と思うが)哲学者スピノザは言いたいようだ。

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