都道府県別新型コロナ感染者のポアソン回帰分析2020年12月05日 07:43

12月2日現在の都道府県別累積新型コロナ感染者数を対象に以下のような想定でポアソン回帰分析を行った。
(1)各県の人口密度が感染率に比例すると仮定する。
(2)各県の中心地(主に県庁所在地)から1時間で行ける範囲の面積割合が感染率に比例すると仮定する。
(3)(1)と(2)がともに成立すると仮定する。
また、日本の平均感染率を各都道府県の人口を乗じて得た感染者数も求めた。

なお、(2)の1時間到達範囲面積割合データはYahooの発表データを用いている。

結果を実際の感染者数と比較して図に示す。
赤:実感染者数
茶:想定(1)での推定感染者数
黄:想定(2)での推定感染者数
紫:想定(3)での推定感染者数
青:平均感染率と人口から求めた感染者数

10月時点では地方の感染者数が少なく、この解析はできなかったが、今回可能となったのは残念ながら地方にも新型コロナが広がってきた証とも言いえる。
このデータ比較から多くの県では、今回の推定値が実感染者数に近いので、人口密度や交通の便利さが感染者数に強く関係していることはほぼ間違いないであろう。(なお、クラスタ発生が多い都道府県では、発生事象が独立であるというポアソン分布の条件を満たさず感染者数は発生事象数より大きめになるため、推定結果との一致は悪くなる。)
一方、日本の平均感染率を各都道府県の人口を乗じた場合の感染者数は実感染者数と人口が多いいくつかの県でしか一致が良くないので、多くの県の予測には適用できない。

新型コロナと放射線被ばくの感覚的類似性2020年12月11日 10:45

見えないものに対する個々人の対応は様々である。
社会的、法的な環境だけでなく、その人の知識レベル、創造性、科学的感覚、自己信頼性など様々な要素で個々人の対応が変わる。
新型コロナウイルスにおける個々人の対応の差は、それが経験が少なく、科学者、医学者でも様々な考えが表明されているのであるから、多少の経験のある放射線被ばくに対する対応よりも個人差が大きいのは当然であろう。
しかし、多くの日本人は結構国際的な基準や、法律での規制を遵守し、一旦制定されるとそれが正しいものとして行動する傾向がある。
福島事故では、ICRPの基準により(一部誤解されたものではあるが、)避難区域が設定されそれに多くの住民が従った。
新型コロナでは自粛警察のような極端に防衛的な方から、GOTOを何回も利用し、まったく気にしない方まで様々である。しかし、これらの方々も政府が緊急事態宣言をすればそれに従う方が殆どである。
両方とももう少し自分で理性的に考えて行動する必要があろう。

電磁波と放射線の人体影響2020年12月13日 04:47

電磁波が健康に悪いとか、放射線ががんを引き起こすとか言われている。近代物理学では物質は波と粒子の両方の特性を持っているらしいが、ここでは、光子に限って人体影響を考えてみる。生物が地球上に誕生したのは数十億年前らしいが、そのころから地球は自転していたはずだ。
一方、太陽は地球を照射し続けているので、生物も、その末裔である人間も昼と夜の生活を繰り返している。太陽からは強力な電磁波(一部は可視光線、一部は電離放射線)が地球に降り注いでいたし、今もc大気層による多少の遮へいができるようにはなったが、特に長波長の電磁波に対しては大気層の効果は小さい。しかし、夜間は地球自体が遮へい体となり、その強度は大きく低下する。長波長電磁波である紫外線、可視光線そして、いわゆる電磁波はいずれも夜には10桁以上低下しているであろう。

しかし、人間が電気を利用するようになってから、可視光線以下のいわゆる電磁波の強度は昼間だけではなく、夜間も相当程度強くなってしまった。最近はスマホもあり、このような人工電磁波が人体にどの程度影響するかは分からないが、少なくとも、故豊岡賢治医師が言われていたように電気製品を身の廻りから遠ざけて寝ると寝起きが良くなるのは実感できる。レーザ光線のような強力な可視光線やイージス艦のような強力な電磁波の有害性は明らかであろうが、電気製品関係の電磁波の有害性議論では、生体対する昼夜影響問題も取り入れるべきであろう。生命が誕生してから、ずっと夜間は長波長電磁波の殆どない環境で生きてきたのだから。


なお、短波長電磁波、即ち、ガンマ線やX線などの電離放射線はどうだろうか。現時点では宇宙線でも地中からの放射線も昼夜の差はないように思えるが。

歴史的事故、事象と記録の重要性2020年12月20日 09:32

土光敏夫氏は日本に原子炉がGEから導入されるとき、GEに対し、設計の独自チェックを申し入れたが、拒否されたそうである。もし、設計変更するならば日本には沸騰水型原子炉は提供しないという脅しもあったと聞いている。沸騰水型原子炉の配置は、世界初の原子力発電所であるEBRの配置をまねていると考えられる。EBRはアイダホの砂漠に設置されたので非常用電源は竜巻を考慮して(耐震性の向上もあるが)地下に配置された。これが日本にそのまま導入され、歴史的な大津波でタービン建屋の地下に配置された電源設備が津波で溜まった海水に長時間浸かったので。福島の悲劇が生じたとも考えられる。土光氏ならば津波の想定を考慮して配置設計を変更したかもしれない。しかし、これらの歴史は伝聞と推定であり、正式な記録は残っていないようである。
現在、新型コロナが世界を席巻しているが、この短期間に様々な判断が政界や経済界、医学界で行われただろう。今後の教訓のために正確な記録を残しておく必要がある。

コロナによる1年の自粛と時間への思い込み2020年12月22日 21:43

この1年、殆ど新しいことは出来なかった。成人してから最も移動距離の少ない1年だった。毎日が昨日の繰り返し、そんな感じの1年だった。
ただ、コロナ感染者の分析のために、ポアソン回帰分析という統計手法を齧ったのがわずかな新しい経験だった。
ポアソン回帰分析では、感染率が例えば人口密度に対し指数関数的に増大すると想定して相関関係を評価する。まるで人類の発展が時間に対し、指数関数的に増大すると想定するのと似ている。これが自然なのだろうか。
しかし、産業革命以前や鎖国の日本では毎日が昨日の繰り返しただと感じていたのではないだろうか。この1年の自粛生活が昨日の繰り返しのように殆ど進歩がないような日々であってもおかしくはない。単に数百年前に戻っただけである。進化が時間に比例するというのは単なる思い込みである。時間の経過に対して殆ど動きがなくてもおかしくはない。
ポアソン回帰分析においては、原因と結果の相関が直線的である必要がないことを学んだが、時間と進歩の関係も直線的である必然性はない。たまに停滞していてもそのほうが自然だということがこの1年で学んだことである。

一瞬の判断の重要性2020年12月27日 08:12

一昨日NHK‐BSで、シスパーレ登攀での中島健郎氏の落下とその直前のスクリュー挿入が効いて、悲劇を救った様子がリピートされていた。
オツルミズ沢でも同様のことがあったことを思い出した。私の不首尾でカグラ滝上部で日が暮れ、狭い落ち口で2人ビバークすることになった。先輩は薄暗い中、もっと広い場所が無いかと5メートルほど左側の壁を登って行った。その時、一瞬、体に重いものを感じた。このままでは二人とも滝から落下する。たしか、右側に滝の落ち口の水たまりがあったはずだ。水は冷たいけれど右側にうっちゃれば二人とも助かるはずだ。ーこれだけの考えをこの瞬間にできなかったなら、二人とも今は生きていない。これは偶然だろうか。
その当時、私は中性子の散乱反応の勉強をしていた。高速の中性子が水の静止した水素と衝突し、散乱されるのだが、衝突が正面衝突であれば、水素は遠くに弾き飛ばされる。しかし、互いにかするような衝突であれば、エネルギは分散され、中性子も水素も遠くには弾かれない。これを無意識にあの一瞬思い出したのではないだろうか。脳の働きは謎だらけだが、無限の可能性を秘めているようだ。
先輩が落ちたのは、アプザイレンでハーケンが抜けたとのことであったがそこはシスパーレとは違っていた。