白石ウーメン起源仮説(その2)2022年04月07日 10:53

以前、ど素人ながら、ある歴史に関わる説を唱えてブログに書き、周りからフェイクだといじめらたが、最近、その説は真実に近いのではないかと思うようになってきた。

それは、大した話ではないのだが、

「宮城県南部白石市の名産乾麺、白石ウーメンはイタリアのスパゲッティが起源で、支倉常長一行が伝承したものだ」

という説である。

 ある時、なぜかこれを思いついて、知人に話したら、本当の話だと信じてしまったので、慌ててそれは仮説だと補足した。その後、ネットで見た白石ウーメンの記述と、数年前にNHK BSで放送された支倉常長特集の放送内容を併せ考えると
スパゲッティ起源説はかなり真実に近いのではないかと思えてきた。

 下記サイト
http://www.u-men.co.jp/shiroishi_u-men/
によると、白石ウーメンの起源は江戸時代初期に白石に住んでいた鈴木浅右衛門という青年が、病気の親に食べやすい食事を探していたところ、
ある日、旅の僧から、油を使わない乾麺の作り方を教わり、伝え聞いた白石城主の片倉小十郎が広めたということである。

一方、NHK BSで2年ほど前に放送された支倉常長特集を見ていたところ、以下の内容で放映されてた。
「支倉常長の西欧使節団が6年後に帰国した時にはキリスト教禁制と鎖国の世の中になり、スペインで洗礼を受けた常長は現在の宮城県川崎町に蟄居、同じく部下の松尾太源は隣町の村田町に蟄居になった。松尾太源は、その後長崎に隠れキリシタンが多数いることを知り、旅の僧に身を隠し、長崎に転居した。長崎に今も松尾太源が支援した教会が現存しており、松尾の墓も残っているようだ。」

 このサイトに出てくる鈴木に乾麺の作り方を教えた「旅の僧」が松尾太源だったというのが私の推論である。当時、身を隠して旅行するのは僧に扮するのが一般的だった上、松尾が住んでいた村田町から白石までは30キロほどで、田舎道がちょうど白石付近でメインルートの奥州街道と交わるため、松尾は白石で一泊したはずである。
 また、スパゲッティも原料は水と小麦だけであり、白石ウーメンのような1㎜程度の細いスパゲッティもイタリアにはあるそうだ。

 伊達政宗と白石城主片倉小十郎は親密な間柄にあり、また、支倉常長や松尾太源を蟄居させたのは伊達政宗だが、常長一行がスペインやバチカンとの交渉のためにキリスト教に改宗しながらも、何の成果もなく帰国し、徳川幕府の世になって、蟄居させざるを得なくなったことを、政宗は心の底で申し訳なく思っていたに違いない。
 常長は数年欧州に滞在し、松尾太源もバチカンで法王と面会するなど、伊達藩と欧州との貿易交渉活動をしていたのだから、生産物の知識習得もキリスト教改宗の件も政宗の了解を得ていたはずである。しかし、出国から6年後に帰国後、幕府令に従ったとはいえ、部下を蟄居させざるを得なかったことに、政宗は後悔の念を抱いたはずである。
 そのころ、長崎への旅の途中、松尾太源が白石でイタリアで習得した乾麺の作り方を鈴木浅右衛門に教え、広めたことを後で知った政宗は、小十郎に対し、白石ウーメンを白石の名産品にすることを提案し、大消費地であった仙台にも広めた、これは政宗の小さな罪滅ぼしの行いであったーーーという仮説は作りすぎだろうか。

なお、最近親戚に聞いて知ったのだが、福島県伊達市出身の祖父が太平洋戦争の前に、仙台で製粉会社を運営していたが、仙台に出て来る前に、途中にある白石市で白石ウーメンの会社の工場長をしていたそうだ。以前、自分では思い付きだと思っていた白石ウーメン-スパゲッティ起源説は、実はDNAのなせる業だったのかもしれない。(笑)

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