チャールズ三世戴冠式と皇室の微妙な関係2023年05月07日 05:28

 チャールズ三世の戴冠式を見ながら考えた。

 イギリスも日本も立憲君主制ということになっている。表現の自由も建前上は保障されている。しかし、両国の王室はどうしてこんなに違うのか。

 思い出すのは、5年ほど前にモスクワに旅行した時のことである。クレムリン近くのホテルの窓から見えたモスクワ川に沿って並ぶ数千の人々の行列の光景を見て、国家とは、国民とは何かを考えさせられた。

 彼らは、モスクワ川沿いに建つロシア正教会本部のミサに参列するため近郊から集まってきた民衆である。待ち時間が長いので、多くの仮設トイレが堤防上に設置されている。半世紀の共産主義政権の弾圧にも拘わらず、ロシア正教が民衆の心の中に生き延びていたということである。毎朝、クレムリン近くでは、教会からの大きな鐘の音が響き渡る。

 ソ連崩壊後は、その宗教を今度はプーチン政権が国家統一のための道具として利用しているという構図である。プーチンはロシア正教会との連携の上で、ウクライナに侵攻したのがニュースを見ていてよくわかる。

 もう一つ印象的だったのは、赤の広場を散歩しつつ、レーニン廟を見ていた時のことである。一人の青年が、観光客も多い中、レーニン廟の前でプラカードを掲示し始めた。その瞬間、どこからともなく、ミニパトが現れ、その青年をミニパトに押し込み連れ去った。その間、1分もかからない。青年は一言も発することなく、抵抗もしなかった。

 言論の自由が奪われているということはこのような状態なのだろう。
 中国では、経済発展の中で、国民の意見は政治にどう反映されているのだろうか。かつて、作家小田実は、「中国に自由は無くなったかもしれないが、飢餓も無くなった。」とベストセラーの中に記した。しかし、飢餓が無くなった状態では、政治に縛られない自由を求めるのが人間なのだろう。食料が豊富でも、精神的に抑圧された中で生活することは辛いことなのである。

 世界国家や国連が幻想である以上、我が日本もこのような国家と個人の関係をどうするかに無関心ではいられない。何らかの国民統合のシステムが必要なはずである。

 しかし、日本には、星条旗も、ロシア正教会のような宗教も、共産党独裁政権もない。それでどういう精神的な国民統合のための支柱がありうるのだろうか。
 
 日本には共和制に耐えられるだけの知性が育っているのだろうか。フランスのような共和制は、激しい混乱を生じかねない。彼らは数度の革命により、現在の個人の尊重による共和制と大統領制を獲得してきた歴史がある。多くの日本人はそのような個人主義社会に耐えられるだろうか。

 残念ながら、宗教心も薄く、個人主義にもなじめない現在のにほんでは、暫くは天皇制を国民統合のシステムとして政治利用をするしかないというのが私の結論である。

 少なくとも、半数以上の日本国民は天皇制に反対はしていない。それは、長い歴史と伝統の力もあるだろうが、歴代の天皇の人柄、行動が多くの日本人に尊敬され続けてきたということが非常に大きいと思う。

 イギリス王室の現状はその逆で、エリザベス女王はともかく、他の王族は一般民衆と同じレベルのように見えてしまう。それは情報化社会における民主主義制度の帰結だろう。

 我々はテレビを通し、イギリス王室の現状を対岸の火事のなかで荘厳な慈雨が降っているのを見るかのようにイベントとして楽しんでいる。しかし、参列された秋篠宮御夫妻は、ヘンリー王子の挙動をどうご覧になったのか、そして、チャールズ三世の様子をどう感じたのか。

 戴冠式のチャールズ三世の様子を見ると、上皇が、早期に引退し、今世天皇に引き継いだのは非常に良い判断だったと思う。そして、日本の皇室が、秋篠宮家に対する週刊誌記事などの影響を受け流し、少なくとも上手くやっているように見えるのは国民にとって大きな幸運である。
 
 今後も女性天皇など後継問題など、皇室存続における大きな壁が生じるだろうが、イギリスのような王室分裂状態にならないよう、皇室全体で国民の尊敬を獲得し続けられるよう知恵を出していただきたい。マスコミも、イギリスのタブロイド判の真似はせず、共和制に代わる唯一の方策である立憲君主制維持のための知恵を出してもらいたい。それが、80年近くも平和を維持してきた日本が分断されずに生き延びる唯一の方法なのだから。