無敵の人にならない方法 ― 2023年05月30日 04:15
無敵の人とは、最近ニュースショウを賑わせている事件の容疑者のように、何も喪うものは無いと思い込み、自分も自分の周囲のものも全て破壊することに生き甲斐を感じるようになったヒトの事を指す。
これは、競争社会でありながら、個性、多様性が尊重されない日本のような社会で、伝統的な強調性と名誉を重視する価値観の中で生きざるを得ないヒトの中には、一定の確率で生じる必然とも言える現象である。
今回のような悲劇的な無敵のヒトによる事件は、過去から繰り返し起こってきた。彼らの目的は、自己の社会的認知であろう。個人主義が未発達の日本では、他人との比較で目立つ、或いは 、一定の居場所をムラ社会の中で確保する事が、その人にとっても、家族にとっても最も重要だった。これが達成できそうもないと認識した時に、名誉を重んじるヒトは無敵のヒトになり易い。
無敵のヒトは、その定義からして、平時のテロリストと言える。即ち、中東でよくある自爆テロと同様、自分の命を掛けた、周囲及び社会への意義申し立てと観る事ができる。
テロリストを完全になくす事は出来ないが、少なくする方法はある。それが無敵のヒトを減らす方法にもなる。
それはどんなものか。
ひとつは、社会が、現状への異議申し立ての場を用意する事である。具体的には、暴力的な手段なしに、その人の主張を社会的に発表できる場を用意することであり、従来のデモが相当する。個人主義が当然のフランスでは、常にデモが起こっているが、日本では規制が強すぎて、政治的団体以外デモを起こす事が難しい。これが異議申し立てをしたいがコミュニケーションが不得意なヒトを無敵のヒトに追い込む事になる。
現代では、 アサブロのようなブログもデモに代わる重要な異議申し立て手段であろう。今回の事件の容疑者も、ブログやSNSで言いたいことを発信していたら、事態はだいぶ変わっていただろう。
もう一つの視点は、個人の価値観の高度化、多様化のための環境整備である。彼の認識が 、日本の強調性、ムラ社会での役割分担という伝統的な価値観に染まっていたからこそ、無敵のヒトになったとも言える。
このような日本の伝統的な価値観は、現代の個性、多様性重視の世界観、歴史観とは相入れない。彼が、価値観を変化させる一つの方法は 、学びである。人間の歴史、この宇宙の様々な事象を知るだけでも彼の狭いムラ社会の価値観がつまらないものであったと認識出来ただろう。
ネットででも、従来の通信教育でも、現在、様々な学習の機会がある。閉じこもりだからこそ、このような学習は可能であり、本人の価値観も変える事ができる。
これを自ら進んで行うのは難しいかもしれないが、いろいろなメディアが多様な発信をする事で、テロリストや無敵なヒトのような固定的価値観を持つヒトの比率を下げる事ができるものと信じている。
これは、競争社会でありながら、個性、多様性が尊重されない日本のような社会で、伝統的な強調性と名誉を重視する価値観の中で生きざるを得ないヒトの中には、一定の確率で生じる必然とも言える現象である。
今回のような悲劇的な無敵のヒトによる事件は、過去から繰り返し起こってきた。彼らの目的は、自己の社会的認知であろう。個人主義が未発達の日本では、他人との比較で目立つ、或いは 、一定の居場所をムラ社会の中で確保する事が、その人にとっても、家族にとっても最も重要だった。これが達成できそうもないと認識した時に、名誉を重んじるヒトは無敵のヒトになり易い。
無敵のヒトは、その定義からして、平時のテロリストと言える。即ち、中東でよくある自爆テロと同様、自分の命を掛けた、周囲及び社会への意義申し立てと観る事ができる。
テロリストを完全になくす事は出来ないが、少なくする方法はある。それが無敵のヒトを減らす方法にもなる。
それはどんなものか。
ひとつは、社会が、現状への異議申し立ての場を用意する事である。具体的には、暴力的な手段なしに、その人の主張を社会的に発表できる場を用意することであり、従来のデモが相当する。個人主義が当然のフランスでは、常にデモが起こっているが、日本では規制が強すぎて、政治的団体以外デモを起こす事が難しい。これが異議申し立てをしたいがコミュニケーションが不得意なヒトを無敵のヒトに追い込む事になる。
現代では、 アサブロのようなブログもデモに代わる重要な異議申し立て手段であろう。今回の事件の容疑者も、ブログやSNSで言いたいことを発信していたら、事態はだいぶ変わっていただろう。
もう一つの視点は、個人の価値観の高度化、多様化のための環境整備である。彼の認識が 、日本の強調性、ムラ社会での役割分担という伝統的な価値観に染まっていたからこそ、無敵のヒトになったとも言える。
このような日本の伝統的な価値観は、現代の個性、多様性重視の世界観、歴史観とは相入れない。彼が、価値観を変化させる一つの方法は 、学びである。人間の歴史、この宇宙の様々な事象を知るだけでも彼の狭いムラ社会の価値観がつまらないものであったと認識出来ただろう。
ネットででも、従来の通信教育でも、現在、様々な学習の機会がある。閉じこもりだからこそ、このような学習は可能であり、本人の価値観も変える事ができる。
これを自ら進んで行うのは難しいかもしれないが、いろいろなメディアが多様な発信をする事で、テロリストや無敵なヒトのような固定的価値観を持つヒトの比率を下げる事ができるものと信じている。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yokoyamashindo.asablo.jp/blog/2023/05/30/9590365/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。